■加藤徹「西太后 大清帝国最後の光芒」中公新書 2005年刊
これは評伝の秀作! 文句なしの。
内容については、例によってAmazonのデータベースからコピーさせていただく。
《内憂外患にあえぐ落日の清朝にあって、ひときわ強い輝きを放った一代の女傑、西太后。わが子同治帝、甥の光緒帝の「帝母」として国政を左右し、死に際してなお、幼い溥儀を皇太子に指名した。その治世は半世紀もの長きにわたる。中級官僚の家に生まれ、十八歳で後宮に入った娘は、いかにしてカリスマ的支配を確立するに至ったか。男性権力者とは異なる、彼女の野望の本質とは何か。「稀代の悪女」のイメージを覆す力作評伝。》
レビューを書くどころではない、ほぼ100%はじめて教えていただくことばかり。
加藤徹さんは西太后(せいたいこう、ごうではない)の悪女のイメージを、見事に、じつに鮮やかに払拭してみせた。
ここから浮かび上がるのは等身大の西太后・・・といっていいのだろう。
このところ中国史に熱をあげているのだが、宮崎市定さんの「雍正帝」を読んで、ますますそれがヒートアップ↑
中国史の本は以前から15冊程度は手許にあったが、さらに7-8冊の図書が新たにやってきた。最新情報が欲しいので(古典は古典で読んでいるが)、すべて新刊本で買っている^ωヽ
中国史がおもしろいのはわかっていたが、興味の矛先が、ここに集中できていなかった。
アタリもあれば、ハズレもある。たまたま買った本がハズレだと、たちまち興味が薄れてゆく。
宮崎市定さんの「雍正帝」が大アタリだったので、こういう書籍をさがしていた。
通史もだいたいはおもしろいが、焦点を絞りこんで、一人の歴上の人物をじっくりと炙り出す手法も、それが見事に的を射ている場合はすばらしい効果。肺腑をえぐるような場面にしばしば遭遇する。まさに“評伝”の魅力といっていいだろう。
加藤徹さんは奥さまが中国人。ほぼ毎年、北京を訪れているという。「京劇」の大ファンで、そちらの本では、サントリー学芸賞を受賞しておられる。
西太后という人物に寄り添って、その光と影を、大げさな身振りを交えることなく、クセのない率直な文体で叙述している。学者臭も感じられない。
そうか、中国最後の王朝、清とは、こういう世界であったのか!
現代の中華人民共和というのは、その表層を一枚剥がすと、清朝の時代を引きずっているのだ。わたしは上海、南京を1週間旅したときのことを思い出す。
不動産業をしているとき、店舗を借りにきた在日中国人と何度かおしゃべりしたことがあった。あるスナックで、銀川から留学しているという蒙古系の女の子がいて、彼女の故郷の話を興味深く聞いたこともあった。
本書も、Amazonの評価はかなり高い(^^♪
わたしも最高点を付しておく。おそらく書下ろしなのだろう。知識をひけらかしたような本ではない。加藤さんは「書きたくて書いた」のである。稀代の女傑・西太后とは、本当はこういう人物なのですよ、と。
こういう本を読んだあと、書評なんておこがましいなあ(´Д`) すいません。
洗練された味のステキなお料理、おいしく、おいしくいただきました。
評価:☆☆☆☆☆
■平勢隆郎「都市国家から中華へ 殷周 春秋戦国」中国の歴史2 講談社学術文庫(2020年刊、原本は2005年)
こういう本をどう評価すべきなのだろう。いやはや、くり返しの多さに、いささか辟易させられた。
あとがき、索引をふくめ、文庫本で529ページ! 上下2冊本にしてゆったりと文字が組んであればいいのだが、小さな印字でびっしり埋めつくされている。
かなりの歴史好きを自認するわたしですら、読んでいる途中「えっ、またですか」という気分に襲われ、煮詰まってしまい、部分的には斜め読み、飛ばし読みとなってしまった。
専門書ではないが、専門領域にも踏み込んでいる。司馬遷とは違って、人物中心史観ではなく、社会史なので、趣がずいぶん違い、考古学的資料が盛りだくさん、社会の成り立ち、構造に主眼が置かれている。
司馬遷はさすがに“古い”ということがわかる仕掛けになっている。いや、漢の武帝のころ生きた司馬遷ではなく、同時代のこれまであまり知られていなかった資料を取り上げ、左見右見(ときこうみ)子細に検討がなされているのだ。
《講談社創業100周年企画「中国の歴史・全12巻」の学術文庫版がいよいよスタート。本全集は、2014年には中国で、2016年からは台湾で翻訳出版され、累計で150万部を超えるベストセラーになっている。
第1巻と同時発売の第2巻では、夏・殷・周の三代の王朝と、春秋戦国時代を扱う。司馬遷の『史記』などに語られる歴史は、すべてが確かな「事実」なのだろうか。後代の建て前や常識に縛られ、架空の「事実」を盛り込まれた史書や注釈書の中から、ほんとうの「事実」を探り出す道筋を示す。夏殷周三代の王朝や、戦国時代の領域国家は、新石器時代以来の文化地域を母体として成立しており、いまだ『史記』で語られるような「天下」を成してはいなかったのである。
紀元前1023年、大国・殷を滅ぼした周は、青銅器に文字を鋳込む技術を殷から継承し、独占してそれを権威とした。しかし、その周も前8世紀には東西に分裂してやがて滅ぶ。つづく春秋時代も、それまでと同じく文化地域ごとに大国が小国を率いた時代だったが、漢字が周以外の大国の地域にも根づいていく。そして、大国が小国を滅ぼして官僚を派遣し、中央と地方を結ぶ文書行政が開始され、それを支える律令が整備されたのが、戦国時代だった。》(Bookデータベースより)
司馬遷の史記を筆頭に、さまざまな文献を縦横無尽に引用しているのはたいしたもの。歴史家というより、文献学者が書くとこうなるのか・・・と思わぬでもないほど(´?ω?)
学術文庫版のあとがきは、あとがきというより、独立した論考である。読者のことは二の次、仕入れた情報を、これでもか、これでもかとしこたま書き込んでいる。
100ページか150ページ刈り込めば、もっとすっきりした読後感が得られただろう。
殷・周、春秋・戦国時代は、中国の基層をなす社会であり、文化である。この時代を理解せずして中国史の理解はありえない。
しかも、本シリーズの中国語版が、150万部とは恐れ入った。全12巻だが、11巻、12巻は、中国共産党の睨みが効いているので、翻訳できないとのこと。
すなわち、一巻あたり15万部ということになる。単行本が高いため、わたしは購入をためらっていたが、2020年から21年へかけ、ぞくぞく文庫化される。最終的には、わたしも学術文庫版で全巻そろえることになるかもしれない。
中国史とはいえ、筆者の意見や歴史観が、かなり思い切って表出されている。鶴間和幸さんの「ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国)」も、クセのある文体だった。
アタリ、ハズレが、巻によってまちまちだろうと予想している。平勢隆郎さんの「都市国家から中華へ 殷周 春秋戦国」はハズレに属するが、一応最後のページまで読み終えることはできた。
評価はややきびしく、3点ということにしておく。
評価:☆☆☆
年末年始はこんな本を読もうとかんがえてスタンバイさせてある( ´◡` )
講談社学術文庫に感謝だなあ。
これは評伝の秀作! 文句なしの。
内容については、例によってAmazonのデータベースからコピーさせていただく。
《内憂外患にあえぐ落日の清朝にあって、ひときわ強い輝きを放った一代の女傑、西太后。わが子同治帝、甥の光緒帝の「帝母」として国政を左右し、死に際してなお、幼い溥儀を皇太子に指名した。その治世は半世紀もの長きにわたる。中級官僚の家に生まれ、十八歳で後宮に入った娘は、いかにしてカリスマ的支配を確立するに至ったか。男性権力者とは異なる、彼女の野望の本質とは何か。「稀代の悪女」のイメージを覆す力作評伝。》
レビューを書くどころではない、ほぼ100%はじめて教えていただくことばかり。
加藤徹さんは西太后(せいたいこう、ごうではない)の悪女のイメージを、見事に、じつに鮮やかに払拭してみせた。
ここから浮かび上がるのは等身大の西太后・・・といっていいのだろう。
このところ中国史に熱をあげているのだが、宮崎市定さんの「雍正帝」を読んで、ますますそれがヒートアップ↑
中国史の本は以前から15冊程度は手許にあったが、さらに7-8冊の図書が新たにやってきた。最新情報が欲しいので(古典は古典で読んでいるが)、すべて新刊本で買っている^ωヽ
中国史がおもしろいのはわかっていたが、興味の矛先が、ここに集中できていなかった。
アタリもあれば、ハズレもある。たまたま買った本がハズレだと、たちまち興味が薄れてゆく。
宮崎市定さんの「雍正帝」が大アタリだったので、こういう書籍をさがしていた。
通史もだいたいはおもしろいが、焦点を絞りこんで、一人の歴上の人物をじっくりと炙り出す手法も、それが見事に的を射ている場合はすばらしい効果。肺腑をえぐるような場面にしばしば遭遇する。まさに“評伝”の魅力といっていいだろう。
加藤徹さんは奥さまが中国人。ほぼ毎年、北京を訪れているという。「京劇」の大ファンで、そちらの本では、サントリー学芸賞を受賞しておられる。
西太后という人物に寄り添って、その光と影を、大げさな身振りを交えることなく、クセのない率直な文体で叙述している。学者臭も感じられない。
そうか、中国最後の王朝、清とは、こういう世界であったのか!
現代の中華人民共和というのは、その表層を一枚剥がすと、清朝の時代を引きずっているのだ。わたしは上海、南京を1週間旅したときのことを思い出す。
不動産業をしているとき、店舗を借りにきた在日中国人と何度かおしゃべりしたことがあった。あるスナックで、銀川から留学しているという蒙古系の女の子がいて、彼女の故郷の話を興味深く聞いたこともあった。
本書も、Amazonの評価はかなり高い(^^♪
わたしも最高点を付しておく。おそらく書下ろしなのだろう。知識をひけらかしたような本ではない。加藤さんは「書きたくて書いた」のである。稀代の女傑・西太后とは、本当はこういう人物なのですよ、と。
こういう本を読んだあと、書評なんておこがましいなあ(´Д`) すいません。
洗練された味のステキなお料理、おいしく、おいしくいただきました。
評価:☆☆☆☆☆
■平勢隆郎「都市国家から中華へ 殷周 春秋戦国」中国の歴史2 講談社学術文庫(2020年刊、原本は2005年)
こういう本をどう評価すべきなのだろう。いやはや、くり返しの多さに、いささか辟易させられた。
あとがき、索引をふくめ、文庫本で529ページ! 上下2冊本にしてゆったりと文字が組んであればいいのだが、小さな印字でびっしり埋めつくされている。
かなりの歴史好きを自認するわたしですら、読んでいる途中「えっ、またですか」という気分に襲われ、煮詰まってしまい、部分的には斜め読み、飛ばし読みとなってしまった。
専門書ではないが、専門領域にも踏み込んでいる。司馬遷とは違って、人物中心史観ではなく、社会史なので、趣がずいぶん違い、考古学的資料が盛りだくさん、社会の成り立ち、構造に主眼が置かれている。
司馬遷はさすがに“古い”ということがわかる仕掛けになっている。いや、漢の武帝のころ生きた司馬遷ではなく、同時代のこれまであまり知られていなかった資料を取り上げ、左見右見(ときこうみ)子細に検討がなされているのだ。
《講談社創業100周年企画「中国の歴史・全12巻」の学術文庫版がいよいよスタート。本全集は、2014年には中国で、2016年からは台湾で翻訳出版され、累計で150万部を超えるベストセラーになっている。
第1巻と同時発売の第2巻では、夏・殷・周の三代の王朝と、春秋戦国時代を扱う。司馬遷の『史記』などに語られる歴史は、すべてが確かな「事実」なのだろうか。後代の建て前や常識に縛られ、架空の「事実」を盛り込まれた史書や注釈書の中から、ほんとうの「事実」を探り出す道筋を示す。夏殷周三代の王朝や、戦国時代の領域国家は、新石器時代以来の文化地域を母体として成立しており、いまだ『史記』で語られるような「天下」を成してはいなかったのである。
紀元前1023年、大国・殷を滅ぼした周は、青銅器に文字を鋳込む技術を殷から継承し、独占してそれを権威とした。しかし、その周も前8世紀には東西に分裂してやがて滅ぶ。つづく春秋時代も、それまでと同じく文化地域ごとに大国が小国を率いた時代だったが、漢字が周以外の大国の地域にも根づいていく。そして、大国が小国を滅ぼして官僚を派遣し、中央と地方を結ぶ文書行政が開始され、それを支える律令が整備されたのが、戦国時代だった。》(Bookデータベースより)
司馬遷の史記を筆頭に、さまざまな文献を縦横無尽に引用しているのはたいしたもの。歴史家というより、文献学者が書くとこうなるのか・・・と思わぬでもないほど(´?ω?)
学術文庫版のあとがきは、あとがきというより、独立した論考である。読者のことは二の次、仕入れた情報を、これでもか、これでもかとしこたま書き込んでいる。
100ページか150ページ刈り込めば、もっとすっきりした読後感が得られただろう。
殷・周、春秋・戦国時代は、中国の基層をなす社会であり、文化である。この時代を理解せずして中国史の理解はありえない。
しかも、本シリーズの中国語版が、150万部とは恐れ入った。全12巻だが、11巻、12巻は、中国共産党の睨みが効いているので、翻訳できないとのこと。
すなわち、一巻あたり15万部ということになる。単行本が高いため、わたしは購入をためらっていたが、2020年から21年へかけ、ぞくぞく文庫化される。最終的には、わたしも学術文庫版で全巻そろえることになるかもしれない。
中国史とはいえ、筆者の意見や歴史観が、かなり思い切って表出されている。鶴間和幸さんの「ファーストエンペラーの遺産(秦漢帝国)」も、クセのある文体だった。
アタリ、ハズレが、巻によってまちまちだろうと予想している。平勢隆郎さんの「都市国家から中華へ 殷周 春秋戦国」はハズレに属するが、一応最後のページまで読み終えることはできた。
評価はややきびしく、3点ということにしておく。
評価:☆☆☆
年末年始はこんな本を読もうとかんがえてスタンバイさせてある( ´◡` )
講談社学術文庫に感謝だなあ。