(おおきなくしゃみしたため、コーヒーをこぼし、2冊目を買うハメに)
■氣賀澤保規「絢爛たる世界帝国 隋唐時代」中国の歴史6 (講談社学術文庫2020年刊 原本は2005年)
すべりだしの第一章、二章、三章はやや退屈だった。知っている話を、また聞かされているような・・・。
ところが、第四章から俄然おもしろくなる。
目次を掲げてみよう。
第一章 新たな統一国家 隋王朝
第二章 唐の再統一とその政治
第三章 安史の乱後の唐代後半の時代様相
第四章 律令制下の人々の暮らし
第五章 則天武后と唐の女たち
第六章 都市の発展とシルクロード
第七章 隋唐国家の軍事と兵制
第八章 円仁の入唐求法の旅 唐後半期の社会瞥見
第九章 東アジアの国々の動向
第十章 隋唐文化の諸相
終 章 唐宋の変革の理解にむけて
索引をふくめ、文庫本で463ページ。
氣賀澤保規(けがさわやすのり)教授、渾身の著作であろう。わたしは随所で圧倒された。
川本芳昭先生の「中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝」も読みごたえがあったが、それにまさるともおとらない、秀抜な一冊である。
昔、京都学派といわれる一群の知識人がいたが、氣賀澤さんも、京大ご出身の教授。
東大系より、京大系の教授陣の書く本の方が、どうもおもしろく読める気がする。
教室の一番前列にすわって、氣賀澤先生の授業を聴講している気分をたっぷり味わわせてもらった(´v’) すばらしい時間は、たちまち過ぎ去ってゆく。
一章から三章まではこの時代の概説であり、いわば見取り図。
そして、四章から各論に入って、氣賀澤さんの数十年にわたる研究成果が披露される。大半知らなかったことばかり。活字(印字)が小さいのが、だんだん気にならなくなった。
このシリーズすべて、図版、写真が豊富。
教室にすわっていたら、こうはいかないだろうが。
一般の読書人や、教え子に講義しているようでわかりやすいし、論証がいきとどいている。
終章をふくめ、12回の講義というか、ゼミに出席し、最後に拍手・・・を送りたくなった。先生の汗の飛沫のようなものさえ飛んでくる(^^♪アハハ
わたしのような本好きも、こういう本とは、そう滅多に出会えないのだ。
《大運河を開いた名君か、民衆を疲弊させた悪王か、毀誉定まらぬ隋煬帝。短命に終わった隋王朝の後をうけ、七~一〇世紀東アジア世界に君臨した大唐帝国。絲綢の道を行き交う多彩な民族と国際都市長安。則天武后・楊貴妃など目覚ましい女性の進出。李白・白居易らの優れた文芸。やがて民衆反乱により滅亡へと向かう三百年余の興亡史を描き出す。》(BOOKデータベースより引用)
歴史の本を読んで感動するなんていう体験はほとんどないが、この本は別。歴史家としての著者の鼓動がはっきりつたわってくる。
「第八章 円仁の入唐求法の旅 唐後半期の社会瞥見」まできて、わたしの胸は少々震えた。
ライシャワーさんの「円仁 唐代中国への旅」 (講談社学術文庫)は手許にあったはずだけど、まだ読んでいない。
氣賀澤さんは、第八章をまるまる使って、円仁の旅の様子を描いている。昨今のお気軽な旅行と比べたらこの時代の入唐(にっとう)とは、命を賭した冒険に満ちた旅である。
9年6ヶ月に及ぶ求法の旅のあいだに書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記である(「土佐日記」は旅行記とはいえない)。
元駐日大使ライシャワーの研究により日本でも著名になり、欧米でも知られるようになる。
山東半島の新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅人社会の助けを借りて、苦難の末、長安にたどりつく。円仁の志を知り、旅先でたくさんの中国人が施しをしてくれた。「公験(くげん)」や「過所(かしょ)」という、現在の旅券にあたるものを、お役所で発給してもらわないと、関所を通過することができない。
それにしても廃仏運動が盛り上がるなか、よくもまあ、生きて帰ってきたものだ。
第十章「隋唐文化の諸相」や終章「唐宋の変革の理解にむけて」もまことに興味深いものがある。
隋唐の時代は、タイトルにもあるように絢爛たる文化、世界に誇れる華やかな文化が花開いた、中国史のハイライト! この時代の中華文明を知らずして、世界を語ることなかれ・・・である。
20世紀の末ごろから、今世紀初頭にかけて、これまで知られていなかったさまざまな発見があった。
煬帝の墓誌の発見や、吉備真備関係石刻の発見などがそれに該当する。
日本国朝臣備書
「井真成墓誌」に刻まれたこの七文字から、推定される秘められたドラマ。
則天武后に面謁した日本の使者が“702年”に、自分たちの国が唐(周)の中国側が呼ぶ『倭』ではなく『日本』であると名乗っているのである。日本の国名が誕生したのが、西暦702年(または701年)であることの有力な証拠の一つであると同時に、当時の都長安で、若くして亡くなった、無名の井真成なる日本人がいたのである。
ご専門とはいえ、氣賀澤さん、この種の通史を書き下ろしたのははじめてのご経験だそうである。書き終えたら気が抜けたのではあるまいか?
持てる力量のすべてを投入したことがわかる。
この学術文庫版の補遺で、つぎのように書いておられる。
《(15年前に書いた)本書をあらためて読み返しながら、あの時期、隋唐時代の全体像をどう構築するか、時代の構造や社会の様相をいかにわかりやすく丁寧に表現するか、そのような課題を胸に、日々歴史と向き合っていた自身の姿を想い起こした。それは大変であったが、半面未知の世界と遭遇するような思いに駆られた、本当に楽しく充実した時間であったと感じている。》(本書401ページ)
歴史家には知的好奇心のほか、過ぎ去りし時代への惜別の情がなければならない、と思う。そういう意味で知情意と、熱意がたっぷりとこもった一冊、すばらしい仕上がりである。
ところで・・・冒頭でもふれたように、読み終えてこのblogを書こうとしていたら、大きなくしゃみ(゚Д゚;)
コーヒーをこぼし、本がだいなしになってしまった。シミだらけで気分悪いので今日さっそく買いなおした。
評価:☆☆☆☆☆
■氣賀澤保規「絢爛たる世界帝国 隋唐時代」中国の歴史6 (講談社学術文庫2020年刊 原本は2005年)
すべりだしの第一章、二章、三章はやや退屈だった。知っている話を、また聞かされているような・・・。
ところが、第四章から俄然おもしろくなる。
目次を掲げてみよう。
第一章 新たな統一国家 隋王朝
第二章 唐の再統一とその政治
第三章 安史の乱後の唐代後半の時代様相
第四章 律令制下の人々の暮らし
第五章 則天武后と唐の女たち
第六章 都市の発展とシルクロード
第七章 隋唐国家の軍事と兵制
第八章 円仁の入唐求法の旅 唐後半期の社会瞥見
第九章 東アジアの国々の動向
第十章 隋唐文化の諸相
終 章 唐宋の変革の理解にむけて
索引をふくめ、文庫本で463ページ。
氣賀澤保規(けがさわやすのり)教授、渾身の著作であろう。わたしは随所で圧倒された。
川本芳昭先生の「中華の崩壊と拡大 魏晋南北朝」も読みごたえがあったが、それにまさるともおとらない、秀抜な一冊である。
昔、京都学派といわれる一群の知識人がいたが、氣賀澤さんも、京大ご出身の教授。
東大系より、京大系の教授陣の書く本の方が、どうもおもしろく読める気がする。
教室の一番前列にすわって、氣賀澤先生の授業を聴講している気分をたっぷり味わわせてもらった(´v’) すばらしい時間は、たちまち過ぎ去ってゆく。
一章から三章まではこの時代の概説であり、いわば見取り図。
そして、四章から各論に入って、氣賀澤さんの数十年にわたる研究成果が披露される。大半知らなかったことばかり。活字(印字)が小さいのが、だんだん気にならなくなった。
このシリーズすべて、図版、写真が豊富。
教室にすわっていたら、こうはいかないだろうが。
一般の読書人や、教え子に講義しているようでわかりやすいし、論証がいきとどいている。
終章をふくめ、12回の講義というか、ゼミに出席し、最後に拍手・・・を送りたくなった。先生の汗の飛沫のようなものさえ飛んでくる(^^♪アハハ
わたしのような本好きも、こういう本とは、そう滅多に出会えないのだ。
《大運河を開いた名君か、民衆を疲弊させた悪王か、毀誉定まらぬ隋煬帝。短命に終わった隋王朝の後をうけ、七~一〇世紀東アジア世界に君臨した大唐帝国。絲綢の道を行き交う多彩な民族と国際都市長安。則天武后・楊貴妃など目覚ましい女性の進出。李白・白居易らの優れた文芸。やがて民衆反乱により滅亡へと向かう三百年余の興亡史を描き出す。》(BOOKデータベースより引用)
歴史の本を読んで感動するなんていう体験はほとんどないが、この本は別。歴史家としての著者の鼓動がはっきりつたわってくる。
「第八章 円仁の入唐求法の旅 唐後半期の社会瞥見」まできて、わたしの胸は少々震えた。
ライシャワーさんの「円仁 唐代中国への旅」 (講談社学術文庫)は手許にあったはずだけど、まだ読んでいない。
氣賀澤さんは、第八章をまるまる使って、円仁の旅の様子を描いている。昨今のお気軽な旅行と比べたらこの時代の入唐(にっとう)とは、命を賭した冒険に満ちた旅である。
9年6ヶ月に及ぶ求法の旅のあいだに書き綴った日記が『入唐求法巡礼行記』で、これは日本人による最初の本格的旅行記である(「土佐日記」は旅行記とはいえない)。
元駐日大使ライシャワーの研究により日本でも著名になり、欧米でも知られるようになる。
山東半島の新羅人の港町・赤山浦の在唐新羅人社会の助けを借りて、苦難の末、長安にたどりつく。円仁の志を知り、旅先でたくさんの中国人が施しをしてくれた。「公験(くげん)」や「過所(かしょ)」という、現在の旅券にあたるものを、お役所で発給してもらわないと、関所を通過することができない。
それにしても廃仏運動が盛り上がるなか、よくもまあ、生きて帰ってきたものだ。
第十章「隋唐文化の諸相」や終章「唐宋の変革の理解にむけて」もまことに興味深いものがある。
隋唐の時代は、タイトルにもあるように絢爛たる文化、世界に誇れる華やかな文化が花開いた、中国史のハイライト! この時代の中華文明を知らずして、世界を語ることなかれ・・・である。
20世紀の末ごろから、今世紀初頭にかけて、これまで知られていなかったさまざまな発見があった。
煬帝の墓誌の発見や、吉備真備関係石刻の発見などがそれに該当する。
日本国朝臣備書
「井真成墓誌」に刻まれたこの七文字から、推定される秘められたドラマ。
則天武后に面謁した日本の使者が“702年”に、自分たちの国が唐(周)の中国側が呼ぶ『倭』ではなく『日本』であると名乗っているのである。日本の国名が誕生したのが、西暦702年(または701年)であることの有力な証拠の一つであると同時に、当時の都長安で、若くして亡くなった、無名の井真成なる日本人がいたのである。
ご専門とはいえ、氣賀澤さん、この種の通史を書き下ろしたのははじめてのご経験だそうである。書き終えたら気が抜けたのではあるまいか?
持てる力量のすべてを投入したことがわかる。
この学術文庫版の補遺で、つぎのように書いておられる。
《(15年前に書いた)本書をあらためて読み返しながら、あの時期、隋唐時代の全体像をどう構築するか、時代の構造や社会の様相をいかにわかりやすく丁寧に表現するか、そのような課題を胸に、日々歴史と向き合っていた自身の姿を想い起こした。それは大変であったが、半面未知の世界と遭遇するような思いに駆られた、本当に楽しく充実した時間であったと感じている。》(本書401ページ)
歴史家には知的好奇心のほか、過ぎ去りし時代への惜別の情がなければならない、と思う。そういう意味で知情意と、熱意がたっぷりとこもった一冊、すばらしい仕上がりである。
ところで・・・冒頭でもふれたように、読み終えてこのblogを書こうとしていたら、大きなくしゃみ(゚Д゚;)
コーヒーをこぼし、本がだいなしになってしまった。シミだらけで気分悪いので今日さっそく買いなおした。
評価:☆☆☆☆☆