二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

なにをするのも物憂い一日&「伝説」(ポエムNO.43)

2011年08月16日 | 俳句・短歌・詩集


昨日で4日間の夏休みが終わった。
ロスから一時帰国した娘まりと遊んだりしていたため、時間はまたたくまに過ぎていった。
今日から仕事。入居者が2人、家賃をもってあらわれた。銀行振込してくれたら世話がないのに、それをやってくれない、やりたがらない入居者が、必ず何人かいる(^^;)

冷たいものを食べ過ぎたせいか、体調があまりすぐれず、体がだるい。
なにをするのも物憂い一日・・・とは、こんな日をいうのか?
市の広報配布と、銀行めぐりが終わってから、詩が一編生まれてきた。

シベリウスの「ヴァイオリン協奏曲」(ヴァイオリン=パールマン)と、ブラームスの「クラリネット五重奏曲ロ短調」(ウィーン八重奏団員)をBGMにするつもりで、ラジカセから流していた。けれど、いつのまにか引きずり込まれ、ボリュームを上げて、聴き入ってしまった。ラジカセ音源なので、音域は狭く、当然ながら、分離も悪い。
しかし、こんな場合、まったく鑑賞のさまたげにはならないってのが、われながらおかしい(笑)。

明日は水曜定休。
さてさて、なにをしようかなぁ(=_=)

* * * * *


伝説 ――シベリウス「ヴァイオリン協奏曲」のかたわらで(ポエムNO.43)


薄明のスミレいろした青銅の時代がおわり
赤サビをうかべた鉄の時代がはじまり
途方もない時間がながれたことを書物が記録する。
ヴァイオリン・コンチェルトのまわりをめぐる小惑星・・・
生贄となった仔ヒツジの霊や 森と湖を住処とする北方遊牧民の影が
過去のほうばかり気にするぼくのまぶたをチラチラとゆらめかせる。
民族と民族のあだいに横たわる昏い谷間をうめつくすスカシユリの大群落にいま人影はなく
音符のようにうねうねとつづく鉄路に
過去からも未来からも電車はやってこない。

シベリウスのかたわらにあったのは
わずか一時間 いやおおよそ二時間であったはずなのに
断崖の向こうには積乱雲に姿をかえた永遠がもくもく湧きだしているのが見えたんだ。
ああ あんなところにも。
色とりどりのコクリコが咲き乱れ 若い雌牛が牧草をはみ
トゥオネラと現世をゆききするハクチョウが今日も空を渡っていく。
杳かにはるかな――
薄明のスミレいろした青銅の時代へと。

アインシュタインのオウムが啼いているね。
手塚治虫の火の鳥も。
ヤマアジサイやホタルブクロのシーズンが去り
天体の運行をつかさどる空の神が袋の口金をゆるめる。
ぼくはロバの尻に鞭をあてて ゆっくりと動きだす。
きびしい寒風から眼や耳をかばいながら
ハクチョウが渡っていった方角へカーヴをきるように。

ああ いやになっちゃうよ まったく。
やたら落ちている折れ釘に足をひっかかれながら
ぼくはそっちへいってしまったぼくを探さなくちゃならない。
老いぼれた牛飼いのじいさんが 一頭の牛を探している。
その隣で ぼくはありえたかもしれないぼくを探している。
赤サビをうかべた鉄の時代の中で
杳かにはるかへと行方を断ってしまったぼく自身の中の無名の作曲家を。
彼が持ち去った楽譜のつづきを。

「さよなら。また十九世紀の終わりにお会いしましょう。
楽譜はそのときご用意します。
あなたがわたしと出会った あの北極海のほとりでね」
そんなことばを 夢うつつにたしかに聞いたのだが。



※いつものように、詩と写真とのあいだに直接の関係はありません。

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