■「文士の魂・文士の生魑魅」新潮文庫(平成22年刊)
過去に1回か2回読んだ憶えがある。
ところが車谷長吉の小説は「武蔵丸」を読んだだけで、あとはどういうわけか、さっぱり読めないという現象がつづいている(´Д`)
なんといったらいいか、こういう作家が、たまにいるというか、けっこういるものだ。
「文士の魂・文士の生魑魅」についてコメントを残しているかとかんがえたが、過去にはなにも書いていない。
つい最近、高橋順子さんの「夫・車谷長吉」に胸を抉られた。ご本人は東京大学を出た才媛で詩人、この女性がすばらしい、読み応えたっぷりのエッセイを書いたのだ。
その深い共感が残っているうちに「文士の魂・文士の生魑魅」を読み返すことができたので、ページによってはにやにやしながら最後まで、おもしろく読ませてもらった。
評論家(昔から大学の教員が多いが)の文章とは、あきらかに違う。とても具体的で、ある意味、独断と偏見に満ちている。そこがわたしの背中を、後押ししてくれるのだ。
《人の苦痛が一ト時の慰めを求めて手を伸ばすもの、それが文学。毒蛇になって人に咬みつくもの、それが作家。「文学の魔」に憑かれた著者が自らの読書遍歴を披瀝、作品百篇を取り上げその魅力を縦横無尽に語る。近代日本ベスト・スリーは「明暗」「流れる」「楢山節考」。そして青春小説、伝記小説、エロ小説の傑作とは? 反時代的小説作家による文学の秘密と毒に満ちた危険な読書案内。》BOOKデータベースより
「文士の魂」は15篇、「文士の生魑魅(いきすだま)」は17篇の評論というか、エッセイで成り立っている。最初に取り上げた3作は夏目漱石「明暗」、幸田文「流れる」、深沢七郎「楢山節考」。
「作品百篇を取り上げその魅力を縦横無尽に語る」とあるように、これらを手始めに作品論、作家論を無手勝流=車谷長吉流に語ってゆく。
バロックの真珠のように、一粒ひとつぶゆがんでいる。だがわたしにいわせればそこに妙味がある・・・のである。
これが私小説家というものであろう。現代に生きた嘉村礒多といえないこともない。
上林暁をめぐるエピソード、藤枝静男をめぐるエピソードは、ノンフィクションの輝きを潜めている。恣意的なようでいて、勝手な方向にはころがっていかないから、編集者・読者がついてくる。作家的な舞台の裏と表と裏を、執念深く、ねちねちと綴っているのだ。
巻末に収められた田中和生さん(文芸評論家)による“解説”が役に立ったので、引用させていただく。
《つまりそこには車谷長吉という作家によって私小説のように生きられた、いわば「生きた」文学史があり、そのことが本書を日本の近代小説についての文学案内として稀有なものにしている。
また「生きた」文学史としてもう一つ興味深いのは、車谷長吉自身が一九七〇年代以降のその文学史の登場人物だからである。》346ページ
現代の私小説作家というと、車谷長吉と西村賢太を挙げる人が多いだろう(むろんほかにもいるが)。お二人の違いは、車谷は慶応大学を出ていること、西村は中卒であること。根っこに粘つくような“加虐と自虐”を、たっぷり持っているところは似ているが、似ていないところを探す方が早いかも( -ω-)
「文士の魂」と「文士の生魑魅」の2冊の本が合体している。
過去にさかのぼると、日本型私小説の小説家は、近松秋江の「執着」、すなわち「別れたる妻に送る手紙」と「疑惑」のあいだを嚆矢とするそうである(平野謙の所説)。
大正2年(1913)、そのとき近松秋江37歳であった。
ところで私小説といわれて、個人的に一番印象鮮やかなのが、葛西善蔵、嘉村礒多あたり。
そこからエンタメにはなかわないまでも、一部の読者の支持をうけて、颯々と車谷長吉、西村賢太へとつづいているわけである。
この評論集はたっぷりと引用がなされていて、そこも“読みどころ”となっている。要所を、ずばり、ずばり衝いている。しばしば「おぬし、やるな!」といいたくなった。高橋順子さんの「夫・車谷長吉」は“奇蹟の書”であったが本作も、それに劣らない際どい低空飛行が、良質な焼酎にも通じる滋味を出している・・・と思われた。
「武蔵丸」だけしか読んでいないというのは、いかにも片手落ちじゃな。
※なお生魑魅(いきすだま)とは、生きている人の怨霊だそうです。
「夫・車谷長吉とともに ~詩人・高橋順子の愛情告白」
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/fae360f47cbb35c51cc2277d0c95b1f0#:~:text=%E8%BB%8A%E8%B0%B7%E9%95%B7%E5%90%89%E3%81%AF%E3%80%81%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%82%82%E3%81%84
「正常・異常の境界例を生きた男 ~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって」
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/0ef4e470291f919b3e8c4919978c8d72#:~:text=%E5%A6%BB%E3%81%AE%E7%95%99%E5%AE%88%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%80%81%E8%A7%A3%E5%87%8D%E4%B8%AD
過去に1回か2回読んだ憶えがある。
ところが車谷長吉の小説は「武蔵丸」を読んだだけで、あとはどういうわけか、さっぱり読めないという現象がつづいている(´Д`)
なんといったらいいか、こういう作家が、たまにいるというか、けっこういるものだ。
「文士の魂・文士の生魑魅」についてコメントを残しているかとかんがえたが、過去にはなにも書いていない。
つい最近、高橋順子さんの「夫・車谷長吉」に胸を抉られた。ご本人は東京大学を出た才媛で詩人、この女性がすばらしい、読み応えたっぷりのエッセイを書いたのだ。
その深い共感が残っているうちに「文士の魂・文士の生魑魅」を読み返すことができたので、ページによってはにやにやしながら最後まで、おもしろく読ませてもらった。
評論家(昔から大学の教員が多いが)の文章とは、あきらかに違う。とても具体的で、ある意味、独断と偏見に満ちている。そこがわたしの背中を、後押ししてくれるのだ。
《人の苦痛が一ト時の慰めを求めて手を伸ばすもの、それが文学。毒蛇になって人に咬みつくもの、それが作家。「文学の魔」に憑かれた著者が自らの読書遍歴を披瀝、作品百篇を取り上げその魅力を縦横無尽に語る。近代日本ベスト・スリーは「明暗」「流れる」「楢山節考」。そして青春小説、伝記小説、エロ小説の傑作とは? 反時代的小説作家による文学の秘密と毒に満ちた危険な読書案内。》BOOKデータベースより
「文士の魂」は15篇、「文士の生魑魅(いきすだま)」は17篇の評論というか、エッセイで成り立っている。最初に取り上げた3作は夏目漱石「明暗」、幸田文「流れる」、深沢七郎「楢山節考」。
「作品百篇を取り上げその魅力を縦横無尽に語る」とあるように、これらを手始めに作品論、作家論を無手勝流=車谷長吉流に語ってゆく。
バロックの真珠のように、一粒ひとつぶゆがんでいる。だがわたしにいわせればそこに妙味がある・・・のである。
これが私小説家というものであろう。現代に生きた嘉村礒多といえないこともない。
上林暁をめぐるエピソード、藤枝静男をめぐるエピソードは、ノンフィクションの輝きを潜めている。恣意的なようでいて、勝手な方向にはころがっていかないから、編集者・読者がついてくる。作家的な舞台の裏と表と裏を、執念深く、ねちねちと綴っているのだ。
巻末に収められた田中和生さん(文芸評論家)による“解説”が役に立ったので、引用させていただく。
《つまりそこには車谷長吉という作家によって私小説のように生きられた、いわば「生きた」文学史があり、そのことが本書を日本の近代小説についての文学案内として稀有なものにしている。
また「生きた」文学史としてもう一つ興味深いのは、車谷長吉自身が一九七〇年代以降のその文学史の登場人物だからである。》346ページ
現代の私小説作家というと、車谷長吉と西村賢太を挙げる人が多いだろう(むろんほかにもいるが)。お二人の違いは、車谷は慶応大学を出ていること、西村は中卒であること。根っこに粘つくような“加虐と自虐”を、たっぷり持っているところは似ているが、似ていないところを探す方が早いかも( -ω-)
「文士の魂」と「文士の生魑魅」の2冊の本が合体している。
過去にさかのぼると、日本型私小説の小説家は、近松秋江の「執着」、すなわち「別れたる妻に送る手紙」と「疑惑」のあいだを嚆矢とするそうである(平野謙の所説)。
大正2年(1913)、そのとき近松秋江37歳であった。
ところで私小説といわれて、個人的に一番印象鮮やかなのが、葛西善蔵、嘉村礒多あたり。
そこからエンタメにはなかわないまでも、一部の読者の支持をうけて、颯々と車谷長吉、西村賢太へとつづいているわけである。
この評論集はたっぷりと引用がなされていて、そこも“読みどころ”となっている。要所を、ずばり、ずばり衝いている。しばしば「おぬし、やるな!」といいたくなった。高橋順子さんの「夫・車谷長吉」は“奇蹟の書”であったが本作も、それに劣らない際どい低空飛行が、良質な焼酎にも通じる滋味を出している・・・と思われた。
「武蔵丸」だけしか読んでいないというのは、いかにも片手落ちじゃな。
※なお生魑魅(いきすだま)とは、生きている人の怨霊だそうです。
「夫・車谷長吉とともに ~詩人・高橋順子の愛情告白」
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/fae360f47cbb35c51cc2277d0c95b1f0#:~:text=%E8%BB%8A%E8%B0%B7%E9%95%B7%E5%90%89%E3%81%AF%E3%80%81%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%82%82%E3%81%84
「正常・異常の境界例を生きた男 ~反時代的毒虫・車谷長吉をめぐって」
https://blog.goo.ne.jp/nikonhp/e/0ef4e470291f919b3e8c4919978c8d72#:~:text=%E5%A6%BB%E3%81%AE%E7%95%99%E5%AE%88%E4%B8%AD%E3%81%AB%E3%80%81%E8%A7%A3%E5%87%8D%E4%B8%AD