メンデルスゾーンのシンフォニーが好きになったのはいつからだろう。
とくに第三番「スコットランド」。この曲は
「ぼくがいちばんしあわせだったころ」を思い出させる。
どういうわけか
干からびた肌に 若かりしころのうるおいがうっすらもどってくる。
振り返ると すぐそこにあのころのきみがいるような気がする。
あのころのきみは九月の空をすいすいと飛翔していくアキアカネ。
あのころのきみは足許でごろごろのどを鳴らしてすりよってくる仔猫ちゃん。
あのころのきみは空たかく放り投げるとそのままもどってこないテニスボール。
あのころのきみは・・・。
腰に手をまわし 逃げ腰になって身をひねるきみを抱き寄せ
まだ形のくずれていない乳房を愛撫するように
・・・まるでそんなことをしているように
ぼくはこの交響曲を抱き寄せ 頬ずりする。
ホルンがゆったりとうねりながら 坂道をのぼっていく。
弦楽器どもがそのあとをおって 草原の向こうへなだれこんで
やがて見えなくなる。
フェリックス・メンデルスゾーン!
ぼくがいちばんしあわせだったころを思い出させるこの曲のかたわらで
ぼくは詩を書き 苦みのきいたブラックコーヒーをすすり
汗をふきながらデスクのまえに座り直す。
やがてこれらのことばも蒸発し 世界からぼくときみが行方不明となる。
春宵一刻、価千金
音楽は“たましい”をもった人の瞑想であり
見あげていると刻々と姿形をかえる巨大な白い雲に似て
消えては湧きあがり 湧きあがっては虚空へと消えてゆく。