二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

7人の詩人をめぐるオブセッション

2015年06月12日 | 俳句・短歌・詩集
ゆうべ夜中に目を覚まし、どうしたわけか長いあいだ眠ることができなかった。
外が白んでくるころ、「虹の橋を渡ってやってくるのは」という作品が生まれた。
それから、半ばは妄想で、こんな比較を弄んだのでメモしておく。

この2-3年のあいだに読んだり、読み返したりした7人の詩人を、一言で要約すれば・・・。

萩原朔太郎・・・病状報告書
高村光太郎・・・演説
宮沢賢治・・・祈り
中原中也・・・歌
金子光晴・・・旅行記
田村隆一・・・独演会
谷川俊太郎・・・お話

このほかに、西脇順三郎さん、吉野弘さん、茨木のり子さん、粕谷榮一さん、荒川洋治さん等がいるけれど省略。
ひどく乱暴で粗雑な喩えだけれど、当たっているものもあるのではないか?

現代において、詩を読む人は、詩を書く人と、ほぼイコールといっていいだろう。
日本人とは、日本語をしゃべる人で、この地球におよそ一億二千万が住んでいる。詩は「母国語」で書かれるというのが、原則。
西脇順三郎さんは最初、英語やフランス語で詩をつくっていたという。ところが、朔太郎の「月に吠える」に出会って「日本語でも詩が書ける」と思ったそうである。

詩を書くことは、自身の内部に下りていくことであり、日本語=母国語の海を泳ぐことである。
「万葉集」にはじまる詩の歴史と伝統のはるかな、はるかな末端に、わたしが書く詩がある。ことばは、日本人共通のものだが、そのことばが背負っているものは、一億二千通りに変化(へんげ)する。

詩は数学ではないから、2+2=4にはならない。
詩にとってことばは、粘土のような素材である。
たとえば百人が、その粘土を使ってなにか作ったとしよう。テーマは、え~と「子ども」とでもするか。
するとそこには、百通りの子どもの像があらわれる。千人いれば千通りの。
数学ではありえない光景であろう。

・・・つまりこういった埒もないオブセッションが、眠れないわたしの頭の中をぐるぐる回っていた・・・のである(^^;)
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