「キャパの十字架」を読んだら、その“姉妹編”と銘打たれた本書にすぐに手がのびた。
「キャパの十字架」のほうは、NHKスペシャルの「運命の一枚」を見てしまったので、それほど心を揺さぶられなかった。
ところがその「キャパの十字架」は、むしろ「キャパへの追走」の連載のプロセスから派生して成長したものだということがわかった。それなら、併せて読むにしくはない・・・とわたしは思った。
「キャパへの追走」は、ずっしりとした重みを感じさせる好著である。
キャパが残した写真は、どこで撮影されたのか。世界中を歩き、撮影し、たくさんの作品を残したキャパ。沢木さんは、50年以上の時間の壁に挑戦している。
キャパの足取りを訪ねて歩くだけでなく、「その場所のいま」を、同じ構図で撮ろうという、壮大な企画なのである。そのポイントは、世界39か所に散らばっているのだから、完成まで4年を要したのも無理はないだろう。
ヨーロッパ各地、北欧、北アメリカ、ベトナム等をめぐるこんな壮大な旅、沢木耕太郎でなければ、とてもとても実現できない。
あるインタビューに答えて、彼はつぎのように語っている。
《これまで40年こういう仕事をしてきて、僕はいつも何かを求めて旅をしていたように思います。調べたい、知りたいことが常に旅に関連していた。モハメド・アリを追う旅しかり、養蜂家を追う旅しかり。
キャパへの旅もそういうもののひとつでしたが、今こうして終えてみると、もしかしたらこんなに大がかりな旅はこれが最後かも、という気もしています。》
ほんとうにそうなるかどうかはわからないが、それだけの「手応え」がある旅の連続だったということなのである。
沢木さんが追いつづけたのは「伝説の偉大な戦場カメラマン・キャパ」ではなく、等身大の人間としてのキャパである。随所で沢木さんは、キャパに友人のような親しみを感じ、それを文章にしている。そしてキャパの墓へと向かい、その墓を発見し、それをカメラに収める沢木さんの胸に、複雑な思いが去来する。
ある日、あるとき、キャパはこの場所にたしかに立っていたのだ。残された一枚の写真を手がかりに、辛抱強くその“場”をさまよいつづける。読みすすめていくと、その執念に読者は圧倒される。
その旅は時空を超えていく旅であり、キャパの声、息づかい、においを再現しようという旅である。
20世紀は戦争の世紀であったといわれる。キャパは戦場や銃後の人びとを取材しながら、人間の悲惨と、喜びと、落胆と、死の瞬間を見届けた人であった。
キャパのカメラは、今後も雄弁に証言しつづけるだろう。「あれらの戦争がどんなものであったか、どんな傷跡を残したか知りたかったら、キャパの写真集を見ろ!」と。
わたしがいちばんさわやかな印象をうけたのは、あの“崩れ落ちる兵士”の真相を見抜いたはずの沢木さんが、キャパに対し、むしろその故に理解を深め、共感をおしまないとおもえるところである。
「そうか、沢木耕太郎とは、そういう人なのか」
わたしはそれによって、幸いにもキャパへの理解と、沢木さんへの理解と、本書からその二つの理解を得ることができた。
※評価:☆☆☆☆☆(5点満点)
「キャパの十字架」のほうは、NHKスペシャルの「運命の一枚」を見てしまったので、それほど心を揺さぶられなかった。
ところがその「キャパの十字架」は、むしろ「キャパへの追走」の連載のプロセスから派生して成長したものだということがわかった。それなら、併せて読むにしくはない・・・とわたしは思った。
「キャパへの追走」は、ずっしりとした重みを感じさせる好著である。
キャパが残した写真は、どこで撮影されたのか。世界中を歩き、撮影し、たくさんの作品を残したキャパ。沢木さんは、50年以上の時間の壁に挑戦している。
キャパの足取りを訪ねて歩くだけでなく、「その場所のいま」を、同じ構図で撮ろうという、壮大な企画なのである。そのポイントは、世界39か所に散らばっているのだから、完成まで4年を要したのも無理はないだろう。
ヨーロッパ各地、北欧、北アメリカ、ベトナム等をめぐるこんな壮大な旅、沢木耕太郎でなければ、とてもとても実現できない。
あるインタビューに答えて、彼はつぎのように語っている。
《これまで40年こういう仕事をしてきて、僕はいつも何かを求めて旅をしていたように思います。調べたい、知りたいことが常に旅に関連していた。モハメド・アリを追う旅しかり、養蜂家を追う旅しかり。
キャパへの旅もそういうもののひとつでしたが、今こうして終えてみると、もしかしたらこんなに大がかりな旅はこれが最後かも、という気もしています。》
ほんとうにそうなるかどうかはわからないが、それだけの「手応え」がある旅の連続だったということなのである。
沢木さんが追いつづけたのは「伝説の偉大な戦場カメラマン・キャパ」ではなく、等身大の人間としてのキャパである。随所で沢木さんは、キャパに友人のような親しみを感じ、それを文章にしている。そしてキャパの墓へと向かい、その墓を発見し、それをカメラに収める沢木さんの胸に、複雑な思いが去来する。
ある日、あるとき、キャパはこの場所にたしかに立っていたのだ。残された一枚の写真を手がかりに、辛抱強くその“場”をさまよいつづける。読みすすめていくと、その執念に読者は圧倒される。
その旅は時空を超えていく旅であり、キャパの声、息づかい、においを再現しようという旅である。
20世紀は戦争の世紀であったといわれる。キャパは戦場や銃後の人びとを取材しながら、人間の悲惨と、喜びと、落胆と、死の瞬間を見届けた人であった。
キャパのカメラは、今後も雄弁に証言しつづけるだろう。「あれらの戦争がどんなものであったか、どんな傷跡を残したか知りたかったら、キャパの写真集を見ろ!」と。
わたしがいちばんさわやかな印象をうけたのは、あの“崩れ落ちる兵士”の真相を見抜いたはずの沢木さんが、キャパに対し、むしろその故に理解を深め、共感をおしまないとおもえるところである。
「そうか、沢木耕太郎とは、そういう人なのか」
わたしはそれによって、幸いにもキャパへの理解と、沢木さんへの理解と、本書からその二つの理解を得ることができた。
※評価:☆☆☆☆☆(5点満点)