二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

過ぎ去った時との情交

2012年11月03日 | Blog & Photo

写真とは光の化石である・・・といったのは、かの森山大道さん!
これにインスパイアされ、わたしは以前、撮影とは「時の化石を探す旅である」という意味のことを書いたことがあった。
「過去はつねに新しく未来はつねに懐かしい」
これもまた、現代写真界の大スター、森山さんのことばで、著書のタイトルにもなっている。
http://www.book-oga.com/moriyama/kako_mirai.html
「過去はいつも新しいという謂は、カメラマンであれば当然の日常感覚であり、未来がつねに懐かしいという謂も、きたるべき未知の時間や風景は、いま街角の片隅のそこそこに、予兆となって浮遊しているという日ごろのぼくの実感である。」(森山大道)


いまのわたしには、森山さんがここでいおうとしていることが、じつによく理解できる。
街歩きをしているわたしの“気分”といったようなものは、こういった数行に要約できるだろう。
しばらく「街撮り」を休んでいたので、視神経がほこりをかぶってしまって、いま見直すと不満な作品のほうが目立って仕方ない。

その中で、やっぱり眼に止まった一枚の写真。
それが冒頭にあげた、井戸端の写真である。
イイネ! マークはひとつもいただけなかったけれど、わたしはこの一隅とそこにあたっている光と遭遇したときの感動を思い出す。

ここは本来、人目にふれるような場所ではなく、町屋づくりの家屋の、いわば中庭とでもいうべき場所。
隣りにあった建築物が解体撤去され、駐車場になったため、こうしてわたしのような“目撃者”があらわれることとなった。
ここは水場であり、この家に住む家族の生活の中心だったことが、かつてあったのである。
井戸にはさびたポンプがそのまま放置されている。
つぎに、手押しポンプにかわり、モーターによって水を汲み上げる時代が訪れる。
おそらく、この家の主婦は、盥と手でごしごし洗濯していたのであろう。それから洗濯機がやってくる。

そういった痕跡がありありと刻み込まれていて、わたしが物心ついた幼いころの記憶が呼び出されてくる。街歩きをしていると、首をかしげざるをえない、不可解な光景をときおり発見する。この黄色い暖簾は目隠しのために、ここに置かれているのだろう。そして、破損した外壁を保護するためと想像されるブルーシート!
なんだかなおざりに見えるが、そこに住人の“体温”のようなものが看取できる。
貧しさの中で、その貧しさにめげず、どっこい人間が生きている。
しかも、ここは廃墟ではない。まだ暮らしのぬくもりが感じられ、その最後の光芒を放っている。

小理屈をこねるとすれば、そこに感動したといえるだろう。

もう一枚、栃木市の写真を掲げてみる。



これは井戸だろうか、防火水槽だろうか?
道路は拡幅されたが、まだ整備されていない。ここにも、街の無意識が露出している・・・というふうに、わたしは眺める。
多くの時間が流れた痕跡。わたしは過ぎ去った時との情交をもくろむ旅人のような気分となる(笑)。黄色くペンキを塗ってあるのは、拡幅によって道路へ飛び出してしまったので、クルマや自転車が衝突しないための警告色だと考えていいだろう。
路上観察でいうところのトマソンに近いものがある。
むろんこういう物件は、いたるところにあって、ウォッチャーの気分を満喫させてくれるのですね(^_^)/~

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