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降る雪や明治は遠くなりにけり
この俳句は、まだ学生だった中村草田男さんが、昭和6年(1931)に詠んだたいへん有名な一句。
わたしの計算に間違いがなければ、明治が去って19年後の感慨なのである。
だから来年ははや平成25年となるわたしが、「昭和は遠くなりにけり」と慨嘆しても、なんら不思議ではなかろう。
昨日「つぶやき」で書いたように、友人がやっているネットラジオ「昭和ラヂオ」に招かれ、1時間半ばかり、友人2人とおしゃべりし、その内容を録音してきた。
マイクロホンを前に、公開を前提にしてしゃべったのは、はじめての経験であった。
あとでどう編集されるのか?
出席した当事者にとっては、硬軟とりまぜた愉しい「昭和懐古談義」となった(^-^)
これまでも、三島由紀夫の回や、フランス文学の回に招待をうけていたが、自分の声が嫌いなので、お断りしてきたのだけれど、今回は「“昭和のカメラ、昭和の写真”なので、ぜひに」といわれ、重い腰をあげた。
3人ともそれぞれ本名で出演しているが「前がつっかえている」ので、年末ぎりぎりの公開となるそうである。回顧談=懐古談なので、懐古すべき過去をほとんどもっていない若い世代にはつまらないだろう。
Kさんは一級下で、来年還暦。仕事は地元新聞社などでコピーライターをし、デザイン会社を経営している。Sさんは二級年上で、元コニカの暗室マンなどをやっていたが、現在では小学校10校ほどに出入りし、カメラマンとして生計をたてているプロのフリーカメラマン。
事前にすりあわせ、打ち合わせをやったわけではないから、ぶっつけ本番、一発勝負。もう何を話したか、半分も覚えていない(=_=)
自分の「しゃべり」が、私的なものであれネット上に公開されるのははじめてなので、いまから多少ドキドキしている。「ダメダメ、ここダメよ。削除してちょうだーい」なんてことにならなければいいけれど(笑)。
昔話が多くなるとは、年をとった証拠だろう。
人間はたえず、過去を反芻しながら生きている。50才前後を大きな境にして、未来よりは過去の重みが、意識のうえで、ずーんと重みをましてくる。歴史に名をとどめる英雄豪傑だろうが、稀有な天才だろうが、その他大勢あまたの凡人だろうが、だれもが避けては通れない。
スタジオ(・・・というほどではないが)に、わたしはいくらかの資料を持参した。
1.コニカⅡb(ライカのコピー機で、オール金属製レンジファインダーカメラ)
2.ヤシカマット124G(国産最後の二眼レフ)
さらに、神田あたりの古書店で見つけた、古いカメラ雑誌2冊。
トップにあげた写真がそれ。
左)「アサヒカメラ」1952年(昭和27)4月号 定価160円
右)「アサヒカメラ」1962年(昭和37)4月号 定価200円
いずれも昔を思い出すよすがとすべき資料である。
ついでだから裏表紙もお見せしよう。
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鉛筆書きで、52年ものが1000円、62年ものが800円としるされている。買ったとき、この時代のヴィンテージ雑誌が、ほかにも大量に積まれてあったが、いずれもこのような値付けだった。「なんだ、ずいぶんお高いじゃないか」と感じたので、10年をへだてた2冊を、十数年前、資料として買いもとめた。ページを開けると、昭和20年代30年代にタイムスリップできる。
いまのわたしの心境としては、
北風や昭和は遠くなりにけり
・・・といったところだろうか(~o~)
ハワイからやってきたグラビアモデル、アグネス・ラムの水着をドキドキしながら眺めたあの紅顔の美少年、いまいずこ(笑)。
■アグネス・ラム
http://www.youtube.com/watch?v=5o0ebUwYlpE
いや~、さすがに古臭い、ほこり臭いねぇ。
時が流れるって、こういうことなんです・・・と、いささかあきれているけれど、なぜか思い出の中では、いつまでもキラキラ輝きつづけることをやめない。
ただし、一つ肝心なことがある。
中途半端に古いものはなんだか価値がうすく、つまらないものに見えるのだけれど、もっともっと古くなると、古さの袋小路というか、行き止まりがやってくる。もう十分古いから、これ以上は古くなりようがない。
そこまでいってしまうと、古さにこれまでとは違った価値が生まれてくる。たとえばカメラでいえば、オール金属のメカニカル機種がもっている輝き等が、それに該当する。
音楽ならばバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといった「古典派」がそれにあたるだろう。もう十分に古いから、これ以上は古くなりようがない。
昭和という時代はそういう意味では、まだ十分古くはなっていない。中途半端。
しかし、そういったものをひきずり、ひきずり生きていることはまちがいないだろう。昭和生まれの絶滅する日がいつかやってくる。
後世がさばきをつけるのである。
現在BGMとして流れているのはつぎの曲がカップリングされたディスク。
1.チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲ニ長調」
2.シベリウス「ヴァイオリン協奏曲ニ短調」
ヴァイオリン:クリスチャン・フェラス
指揮:カラヤン&ベルリン・フィル(1964年、1965年)
フェラスのヴァイオリンはゆったりとしたテンポで、ビブラートをたっぶりとかけて、余韻嫋々とした趣がある。一方のカラヤンはひきしまった、軽快かつスリムなアシスト。なんとも粋な共演となっている。1960年代までは、カラヤンもこんな演奏をしていた・・・というのがおもしろいではないか。若かったといっても、50代後半のカラヤン。スリムだったのだなあ(笑)。