![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/e1/68ff3d5dddb2b43ab2961c950930a4ff.jpg)
フィクション離れしてもう大分時間がたつ。
どうしたら復帰できるものか、その糸口を探しながら、文庫版の「鬼平シリーズ」を何冊か買いなおした(^^)/
TVアニメ化されたとかで、より活字の大きくなった新版もでているけど、古い方だと大抵108円。
ぱらぱらと斜め読みし、夢中になって読んでいたころのことが甦ってきた(-_-)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/81/7c7989b93a540fee097d12a06011bc8a.jpg)
文庫版だと、全24冊(文春文庫)。
いまから十数年前、その大半は読んで、友人をさそい、墨田区の池波正太郎記念文庫まで出かけた。
「剣客商売」も、3-4冊は読んでいるけど、わたしにとってはやっぱり「鬼平」だなあ♪
池波さんの文体は、池波流の「噺ことば」。
だから、日本語としての緻密さはない。風景描写も、拍子抜けするくらいあっさりしたものである。
一方、登場人物の名前の付け方は名人芸といっていい。
「うむ、そうきたか!」である。キャラクターの存在感も見事というほかなく、池波さんご自身の人生体験が、生きて呼吸している。
“シリーズもの”として成功をおさめたという意味では、いまだ、「鬼平犯科帳」を超える作品はないだろう。いったい何百万部流布しているのか!?
新潮文庫の「剣客商売」もすごい売上げのはず!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/39/af72a899d7034587c370fbf17e10a3f0.jpg)
池波さんが稀代のストーリーテラーであったことは、だれしも認めざるを得ない。背景は登場人物を際立たせるための「書き割り」であり、ディテールは読者の想像力で補うことになる。
ただし、その「書き割り」、つまり18世紀における江戸や東海道の町筋が、現代人の郷愁をかき立てるのは見事というほかない。
むろん、作中に描きこまれた食に対するこだわりに大きな魅力を見出す人もいるし、江戸=東京の古地図を頼りに「鬼平」を読むのも、格別なおもしろさを持っている。
佐伯泰英さんが大ブレイクし、シリーズ合わせて2000万部突破という広告を眼にしたことがあるが、池波さんの後ろ姿を追いかけているとしか思えず、2-3冊読んで放りだしてしまった。恐縮ながら、二番煎じは二番煎じなのである、わたしにいわせれば。
フィクションへの復帰が叶った折りには、
シャーロック・ホームズ シリーズ
鬼平シリーズ
・・・そして何冊かのミステリ、ハードボイルドを読みたいなあ。
昔盛んに読んだ本を、もう一度「読み返す」。
書かれた内容に変化はないけど、読者としてのわたしが変わってしまった。
そのことを、再読によって確認したい・・・という願望がそもそも年を取った証拠であろう。
世の中には“若づくり”にこだわる人も多いけど、わたしはそうではない。
年相応で十分(^ー゚)ノ
65才の“わたし”、66才の“わたし”。
66才はむろん、初体験ですからねぇ、漱石だって49才までしか生きられなかったのだから。
世のおやじ族、いまでいう団塊の世代やその上の世代は、時代小説、時代劇が好きな人がとても多かった。
若いころは西洋かぶれ、アメリカかぶれしたような人も、50代60代の声を聞くと、「そこ」へ帰る人がふえてくるから、わたしもその一人なのかも知れない。
ちなみに、池波さんが亡くなったのは、1990年(平成2)。
惜しまれる、67年の生涯であった。
どうしたら復帰できるものか、その糸口を探しながら、文庫版の「鬼平シリーズ」を何冊か買いなおした(^^)/
TVアニメ化されたとかで、より活字の大きくなった新版もでているけど、古い方だと大抵108円。
ぱらぱらと斜め読みし、夢中になって読んでいたころのことが甦ってきた(-_-)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/81/7c7989b93a540fee097d12a06011bc8a.jpg)
文庫版だと、全24冊(文春文庫)。
いまから十数年前、その大半は読んで、友人をさそい、墨田区の池波正太郎記念文庫まで出かけた。
「剣客商売」も、3-4冊は読んでいるけど、わたしにとってはやっぱり「鬼平」だなあ♪
池波さんの文体は、池波流の「噺ことば」。
だから、日本語としての緻密さはない。風景描写も、拍子抜けするくらいあっさりしたものである。
一方、登場人物の名前の付け方は名人芸といっていい。
「うむ、そうきたか!」である。キャラクターの存在感も見事というほかなく、池波さんご自身の人生体験が、生きて呼吸している。
“シリーズもの”として成功をおさめたという意味では、いまだ、「鬼平犯科帳」を超える作品はないだろう。いったい何百万部流布しているのか!?
新潮文庫の「剣客商売」もすごい売上げのはず!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/39/af72a899d7034587c370fbf17e10a3f0.jpg)
池波さんが稀代のストーリーテラーであったことは、だれしも認めざるを得ない。背景は登場人物を際立たせるための「書き割り」であり、ディテールは読者の想像力で補うことになる。
ただし、その「書き割り」、つまり18世紀における江戸や東海道の町筋が、現代人の郷愁をかき立てるのは見事というほかない。
むろん、作中に描きこまれた食に対するこだわりに大きな魅力を見出す人もいるし、江戸=東京の古地図を頼りに「鬼平」を読むのも、格別なおもしろさを持っている。
佐伯泰英さんが大ブレイクし、シリーズ合わせて2000万部突破という広告を眼にしたことがあるが、池波さんの後ろ姿を追いかけているとしか思えず、2-3冊読んで放りだしてしまった。恐縮ながら、二番煎じは二番煎じなのである、わたしにいわせれば。
フィクションへの復帰が叶った折りには、
シャーロック・ホームズ シリーズ
鬼平シリーズ
・・・そして何冊かのミステリ、ハードボイルドを読みたいなあ。
昔盛んに読んだ本を、もう一度「読み返す」。
書かれた内容に変化はないけど、読者としてのわたしが変わってしまった。
そのことを、再読によって確認したい・・・という願望がそもそも年を取った証拠であろう。
世の中には“若づくり”にこだわる人も多いけど、わたしはそうではない。
年相応で十分(^ー゚)ノ
65才の“わたし”、66才の“わたし”。
66才はむろん、初体験ですからねぇ、漱石だって49才までしか生きられなかったのだから。
世のおやじ族、いまでいう団塊の世代やその上の世代は、時代小説、時代劇が好きな人がとても多かった。
若いころは西洋かぶれ、アメリカかぶれしたような人も、50代60代の声を聞くと、「そこ」へ帰る人がふえてくるから、わたしもその一人なのかも知れない。
ちなみに、池波さんが亡くなったのは、1990年(平成2)。
惜しまれる、67年の生涯であった。