子どものころ、女の子に教わって、コスモスの恋占いをやったことがある。
好き、嫌い、好き、嫌い・・・というあれである。花びらを一枚ずつむしっていく。
コスモスではなく、マーガレットでもいいのだろうが、わたしのおぼろげな記憶は、コスモスとむすびついている。
以前はピアノまたはヴァイオリンの協奏曲ばかりを好んで聴いたものだ。
あるいは、ピアノ・ソナタ。
とくにベートーヴェンの32曲のソナタは、仰ぎ見るしかないような、巨大な音楽の森林だった。あれらに比べたら、ショパンなど、二流の歌手が歌う歌謡曲のようなものである。
むろん、歌謡曲が悪いというのはない。ものはいいよう・・・。ショパンを貶めることで、ベートーヴェンを褒めちぎりたかっただけ(/_;)
そんなことまで考えたくらい、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを尊敬していた。20年くらい前に、わたしがたどりついた「至高の音楽」、つまり7000m級、8000m級の高峰だと考えたわけだ。
今年4月から、わたしはふとしたきっかけで、再び(いや三たび)クラシック音楽熱に取り憑かれ、200枚を超えるCDを、毎日のように聴いて過ごしてきた。
そうして、いろいろな音楽に出会い、感動をあらたにしたり、涙にかきくれたり、歓びに身もだえしたり・・・といった経験をくり返してきた。
わかる、わからない、わからない、わからない、わからない、少しわかる、もう少しわかる、わからない、やっぱりわからない、少しわかる、うーん、これは!
まるでコスモスの花びらをむしっているように、自問自答をくり返す。
そうしてたどりついたのが、ブルックナーの交響曲。
この4、5日は、すっかりブルックナーづけになっていた。
その中心が、交響曲第8番。わたしのいちばんのお気に入りは、シューリヒト&ウィーン・フィルの一枚だが、ほかに2枚のCDをもっている。9番も聴きはじめ、いまわかりかけているところ。
こういった巨大なクラシックの音楽は「わかりかけ」がいちばん興奮する。
それは、峠道をおおう濃霧がはれていって、予想もしない広大な山岳風景が、徐々に姿をあらわすさまに似ている。むろん、これまで見たことがないような、すばらしい景観!
だけど、わたしがにわかにクラシック・ファンとなったため、友人のなかで、あるいはネットのお仲間で、ブルックナー・ファンがいない(・・・たぶん)のが悩みのタネ。サザン&桑田佳祐やビートルズのようなわけにはいかないにしても、だれか語りあえる人はいないものか(=_=)
『私は、中でも、作曲家の考えた通り、第八交響曲が最大の傑作だと考える。これは単に長さの点だけでなく、――普通の速さでいって』、全曲八十七分を要する――音楽の品位と内容の高さからいっても、最高のものだろう。これはベートーヴェンの<第九>と並び、ドイツ・オーストリア交響曲の歴史の最高の記念碑的作品である。数年前だったら、私は、ブルックナーから一曲といわれたら、躊躇なく、この交響曲を選んだろう。事実、私は数年前演奏を中心に、いわゆるブルックナー指揮者のききくらべをやったときも、この交響曲のレコードを対象にとったものだ。
しかし、今は、第九交響曲をあげる』(吉田秀和「私の好きな曲」新潮社)
わからない、わからない、わからない・・・・わかる!
その瞬間のよろこびを、何にたとえたらいいのだろう?
好き、嫌い、好き、嫌い・・・というあれである。花びらを一枚ずつむしっていく。
コスモスではなく、マーガレットでもいいのだろうが、わたしのおぼろげな記憶は、コスモスとむすびついている。
以前はピアノまたはヴァイオリンの協奏曲ばかりを好んで聴いたものだ。
あるいは、ピアノ・ソナタ。
とくにベートーヴェンの32曲のソナタは、仰ぎ見るしかないような、巨大な音楽の森林だった。あれらに比べたら、ショパンなど、二流の歌手が歌う歌謡曲のようなものである。
むろん、歌謡曲が悪いというのはない。ものはいいよう・・・。ショパンを貶めることで、ベートーヴェンを褒めちぎりたかっただけ(/_;)
そんなことまで考えたくらい、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを尊敬していた。20年くらい前に、わたしがたどりついた「至高の音楽」、つまり7000m級、8000m級の高峰だと考えたわけだ。
今年4月から、わたしはふとしたきっかけで、再び(いや三たび)クラシック音楽熱に取り憑かれ、200枚を超えるCDを、毎日のように聴いて過ごしてきた。
そうして、いろいろな音楽に出会い、感動をあらたにしたり、涙にかきくれたり、歓びに身もだえしたり・・・といった経験をくり返してきた。
わかる、わからない、わからない、わからない、わからない、少しわかる、もう少しわかる、わからない、やっぱりわからない、少しわかる、うーん、これは!
まるでコスモスの花びらをむしっているように、自問自答をくり返す。
そうしてたどりついたのが、ブルックナーの交響曲。
この4、5日は、すっかりブルックナーづけになっていた。
その中心が、交響曲第8番。わたしのいちばんのお気に入りは、シューリヒト&ウィーン・フィルの一枚だが、ほかに2枚のCDをもっている。9番も聴きはじめ、いまわかりかけているところ。
こういった巨大なクラシックの音楽は「わかりかけ」がいちばん興奮する。
それは、峠道をおおう濃霧がはれていって、予想もしない広大な山岳風景が、徐々に姿をあらわすさまに似ている。むろん、これまで見たことがないような、すばらしい景観!
だけど、わたしがにわかにクラシック・ファンとなったため、友人のなかで、あるいはネットのお仲間で、ブルックナー・ファンがいない(・・・たぶん)のが悩みのタネ。サザン&桑田佳祐やビートルズのようなわけにはいかないにしても、だれか語りあえる人はいないものか(=_=)
『私は、中でも、作曲家の考えた通り、第八交響曲が最大の傑作だと考える。これは単に長さの点だけでなく、――普通の速さでいって』、全曲八十七分を要する――音楽の品位と内容の高さからいっても、最高のものだろう。これはベートーヴェンの<第九>と並び、ドイツ・オーストリア交響曲の歴史の最高の記念碑的作品である。数年前だったら、私は、ブルックナーから一曲といわれたら、躊躇なく、この交響曲を選んだろう。事実、私は数年前演奏を中心に、いわゆるブルックナー指揮者のききくらべをやったときも、この交響曲のレコードを対象にとったものだ。
しかし、今は、第九交響曲をあげる』(吉田秀和「私の好きな曲」新潮社)
わからない、わからない、わからない・・・・わかる!
その瞬間のよろこびを、何にたとえたらいいのだろう?