マイミクでピアニストkyocoronさんに「キョコさんの日常」という、とってもプライベートな、「友人まで公開」アルバムがある。そのタイトルにちょっとあやかって。
(以前にもこんな日記を書いたかも知れないが・・・)。
トップの写真は、たまたま見かけた「イルカ雲」。北から南方向を撮影。
右手に見える打ちっ放しのゴルフネットの向こう側に、三毛ネコさんの茅屋「二草庵」がある。
こちらはほぼ同じ場所からズーミングし、榛名連山を写したもの。
圃場整備(市街化区域における区画整理)がおこなわれたため、機械化農業に適したのっぺりとした田園が拡がっている。圃場は碁盤の目というか、マトリックスとなってしまい、このあたりにかつて存在した里山風景は絶滅した。それはわたしにとっては、「幼年期の風景」の消滅でもあった。
フナやナマズ、ザリガニ、ホタル、ドジョウがいたせせらぎは、もう戻ってはこない。
イチジクやクリが実り、秋にはアキアカネの軍団がすいすい泳いでいた空も、かつてのままではないし、こういった光景を見ればみるほど、喪失感のようなものが、胸の中に根を張ってくる。
それでも、キジがいるし、コサギ、ゴイサギの姿をたまに見かける。
こういった農本主義的な貧しい生活を捨て、経済発展と物質的にはめぐまれた生活を手に入れた日本人が、いま、戦後六十数年目にして、大きな「曲がり角」に立たされている。
2011年は、じつに災害列島といってもいいくらい、災害にたたられた一年となった。
近隣では、耕作放棄地が目立っている。わたしも、たぶん、「農業後継者」にはならないだろう。不可逆的な時間の坂道をくり返し、くり返し見つめながら、わたしは詩を書いている。
ところで、この一枚は、先日BOOK OFFでみつけて買い、クルマのトランクにほうりこんであったピアソラのCD10枚組で、これが、今日のBGM。
アルゼンチンタンゴと、西洋クラシック音楽の、幸運なまたは不運な出会い。
情熱と哀愁のタンゴは、ASTOR PIAZZOLLAの登場によって「世界音楽」となった。
http://www.youtube.com/watch?v=RUAPf_ccobc
http://www.youtube.com/watch?v=JKCwcCMAnxg
主役はむろん女性で、男性は引き立て役にすぎない。目立たない平凡な女性が、セクシーな輝きをその肉体から発光させ、見る者を引きずりまわすさまは、圧巻。スペインにフラメンコあり、アルゼンチンにタンゴあり・・・なのである。
わたしは数年前、ヨーヨー・マのチェロによって、リベルタンゴなる音楽を知り、痛撃をくらったように驚いた(^o^)
ピアソラ登場の意味について知りたい方は、ここをクリック。
http://ameblo.jp/wayang/entry-10548129758.html
人間が古いせいか、「梁塵秘抄」の一節を思い浮かべて、
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。・・・と唱えてみたくなってもいる。
とはいえ、アルゼンチンは地球の裏側――三毛ネコさんの日常からはあまりに遠い、とおい。
このあいだは森山大道さんの「ブエノスアイレス」に痺れたけれど、大道さんをアルゼンチンまで引っ張っていた要因のひとつに、タンゴがある。ご本人もそう書いている。
男も女もセクシーで、恋ひとすじ、身も心もその恋に捧げて悔いない民族性のようなものは、単に地理的な意味というばかりでなく精神的にも、草食動物化してやたら「お利口」になってしまった日本人の対極にあるのだろう。