二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

ディヴェルティメント(ポエムNO.59)

2011年09月26日 | 俳句・短歌・詩集


その大正生まれの男は
ずいぶん長い道を歩いてここまでやってきた。
とてもではないが 一日や二日では
語りきれるはずのない紆余曲折をたどって。
石も降ったろう 槍だって。
ぼくに思い出せるのはせいぜい昭和三十年代の後半くらいからだが
その男は さらにそのさき 三十年近い鉄のカーテンの向こう側を知っている。

彼にもあきらめきれない野心があったろう。
跳ねてなにかをおもいっきり蹴飛ばしたことも。
不機嫌だったことはあったし
ずいぶん長時間 空席の多い列車にゆられて
真っ黒いけむりを吸い込んだりしながら
この駅まではるばる到着したんだ。
潮の香がきつくなって終着駅がすぐ向こうの山あいに見えている。

ぼくはずいぶん ずいぶん遅れて
・・・遅れて その列車に乗り合わせた。
「家族の一員に加わった」といってもいいけれど。
わが家にはじめてTVがきた日のことをよく覚えている。
父の父が許可を出し
父がTVを買ってきた。
自家用車がはじめてわが家にやってきた日 という区切りもあるけどね。

一駅ごとに 列車はガタンと停まり
しばらくして ふたたびガタガタ発車する。
駅に停まるたび 人びとがあわただしく乗り降りする。
ぼくの記憶は複線になっているから
駅をいくつかはさかのぼることができる。
大きな緋いろのカンナが咲いていたり
せせらぎでフナが跳ねたりもしてね。

祖父から父へ そしてぼくのところへ
眼に見えるもの 見えないものがdivertimentoのようにうけ継がれ
駅がかわって 空気がまるでちがう駅に到着して。
ムクドリもアキアカネもいない今日の空を
ちょっと途方に暮れながらぼくは見あげている。
昭和はいい時代だったんだろうか
たとえばわが家にとって?

意味があったり なかったり。
問いかけは問いかけた者にかならず返ってくる。
ぼくはセンチメンタルな気分で昭和にもどりたがっている。
あ なにか大きなものの影が地上をはっていくね。
センチメンタルな旅の終わりへ
ムクドリもアキアカネもいない今日の空を
ちょっと途方に暮れながらぼくは見あげている。

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