<背景はわが家の植込み>
開高健という小説家を覚えている人が、どのくらいいるだろうか?
ほぼ同時期に登場した石原慎太郎、大江健三郎さんは、いまだ健在なのに、開高さんは、1989年58才と11ヶ月で早世してしまう。
いや、早世には当たらないかも知れないが、わたしにはそんな印象がぬぐえない。
<菊谷 匡祐(きくや きょうすけ)さんの「開高健のいる風景」集英社2002年刊>
H市のBOOK OFFの棚に眠っていた一冊の本との出会いが、開高さんの記憶を、鮮やかに掘り起こしてくれた。
ご本人が書いているように、文学論、あるいは作品論というたぐいの著書ではない。求めに応じ、友人が書いた「思い出話」に近い、木綿の肌ざわりを感じさせる好著。
わたしは書棚から開高さんの本を何冊かひっぱり出したり、古書店で探したり・・・開高さんがどういう人であったのか、この数日、なるべく正確に思い出そうとして、あちこち歩き回った。
現在、開高健記念館が神奈川県茅ヶ崎市に、記念文庫が、東京都杉並区で運営されている。
忘れられた作家――というわけではないのだ。
YouTubeを調べると、たくさんの動画がUPされているのは、最近気が付いた。
■開高健が見た戦場 泥沼ベトナムから
https://www.youtube.com/watch?v=BnOfVT5975M&list=PLo6bbplBnL-_Wf6V-T7Ni3xNPgOyySEGG
■アラスカ鉄道のFLAG STOP
https://www.youtube.com/watch?v=Eoei-kC8b64
これまで5-6冊しか読んでいないから、わたしは開高さんのよき愛読者ではない。
だが、いまとなって、石原慎太郎や大江健三郎を読むくらいなら、開高健を読むだろう。
「輝ける闇」「夏の闇」「花終る闇」(未完)の「闇の三部作」も手許に置いてある、最後まで読んだのは「輝ける闇」1冊だけだが。
開高さんにはいくつもの顔がある。
その中で、どういったところに惹かれているのか、それを確かめたくて、この記事を書いている。
存在感のある、大きな作家であったとおもう。59年にほんのわずか足りない生涯とはいえ、やるべきことはやりつくして死んだのかもしれない。躁鬱病に苦しみ、ベトナムへ出かけて九死に一生という体験をし、酒と釣り、そして女を愛した。
日本のヘミングウェイと評する人がいたはずである。
作風から、あるいは風貌から、ヘミングウェイを連想することはあながち見当違いとはいえまい。
ヘミングウェイもうつ病に苦しんだし、戦場へおもむいた。酒、釣り、女にひたり、そこから文学的なエッセンスを汲み上げたという点でも似ている。さらに10年ばかり長生きしたら、開高さんの「老人と海」を書いたかもしれないと想像してみる。
非常に官能的で、美文調ともいえる文体は、晩年にいたってますます研きがかかり、短編では独特の風合いを放つ精緻な作品世界をつくりあげた。
根がエピキュリアンなのである。
愉しみ(快楽・・・といってもいいだろう)のために書き、愉しみのために世界を渡り歩いた。
そして、成果をあげ、さっさと身罷ってしまった昭和の典型的な作家――、として、わたしは開高さんの周りをうろついている(=_=)
考えろ、そして愉しめ。
開高さんを思い出すとどういうわけか、わたしにも旅に対するあこがれがあることに気が付く。
ただし、釣り竿のかわりにカメラを手にして。
友人に釣師がいて、かつて彼から釣師開高健の話を聞いた。スポーツ・フィッシングをわが国に流行らせた一人・・・だと、彼はいっていた。「オーパ!」の衝撃が大きかったのだ。
1980年代のことである。開高健の記憶を掘り起こすというのは、ある意味、80年代に返ってみることでもある。
昭和とは、西暦でいえば、1926年から1989年まで。
いまこの記事を書きながら、開高さんが昭和に活躍し、昭和とともに去っていったことにあらためて気づかされる。
昭和天皇が薨去したのが、1989年1月7日。
開高健さんが亡くなったのは、その年1989年の12月9日。
ノスタルジーにひたりたいわけではないが、1952年生れのわたしにとっても、よき時代は去っていった。なつかしき「昭和歌謡」を思い出す人もいるだろう。
それもそれ。
同時代人として読んだ開高健を、2018年の現在からことばの触手をのばして探り当てる。
それはなぜか、深呼吸をする行為に似ている。1980年代・・・その時代は、わたしの生活にとっては“黄金時代”といえる10年でもあったと、いまにしておもう。
公私とも多忙を極めていたが、そのころも本を読み、写真を撮っていた。
・・・そのころも、そのころも(^^♪
<わが家の裏手から。右に見えるのは浅間山>
夕陽が沈んでいく。
この空の向こうに、かつて、開高健さんがいたし、わたしの昭和が存在したのだ。
風鈴が涼しげなメロディを奏で、蚊取り線香がいぶり、浴衣姿の女がうちわで子どもに風を送る♪
影絵の中の昭和、影絵の中の、なつかしい――歳月。
※釣り師開高健さんを知るには、
この記事を書いたあと閲覧したつぎの動画が一番充実しているとおもわれる。
https://www.youtube.com/watch?v=oYiRst1j2fY
(制作:NHKエンタープライズ)
少々長いが、愛読者必見!!
開高健という小説家を覚えている人が、どのくらいいるだろうか?
ほぼ同時期に登場した石原慎太郎、大江健三郎さんは、いまだ健在なのに、開高さんは、1989年58才と11ヶ月で早世してしまう。
いや、早世には当たらないかも知れないが、わたしにはそんな印象がぬぐえない。
<菊谷 匡祐(きくや きょうすけ)さんの「開高健のいる風景」集英社2002年刊>
H市のBOOK OFFの棚に眠っていた一冊の本との出会いが、開高さんの記憶を、鮮やかに掘り起こしてくれた。
ご本人が書いているように、文学論、あるいは作品論というたぐいの著書ではない。求めに応じ、友人が書いた「思い出話」に近い、木綿の肌ざわりを感じさせる好著。
わたしは書棚から開高さんの本を何冊かひっぱり出したり、古書店で探したり・・・開高さんがどういう人であったのか、この数日、なるべく正確に思い出そうとして、あちこち歩き回った。
現在、開高健記念館が神奈川県茅ヶ崎市に、記念文庫が、東京都杉並区で運営されている。
忘れられた作家――というわけではないのだ。
YouTubeを調べると、たくさんの動画がUPされているのは、最近気が付いた。
■開高健が見た戦場 泥沼ベトナムから
https://www.youtube.com/watch?v=BnOfVT5975M&list=PLo6bbplBnL-_Wf6V-T7Ni3xNPgOyySEGG
■アラスカ鉄道のFLAG STOP
https://www.youtube.com/watch?v=Eoei-kC8b64
これまで5-6冊しか読んでいないから、わたしは開高さんのよき愛読者ではない。
だが、いまとなって、石原慎太郎や大江健三郎を読むくらいなら、開高健を読むだろう。
「輝ける闇」「夏の闇」「花終る闇」(未完)の「闇の三部作」も手許に置いてある、最後まで読んだのは「輝ける闇」1冊だけだが。
開高さんにはいくつもの顔がある。
その中で、どういったところに惹かれているのか、それを確かめたくて、この記事を書いている。
存在感のある、大きな作家であったとおもう。59年にほんのわずか足りない生涯とはいえ、やるべきことはやりつくして死んだのかもしれない。躁鬱病に苦しみ、ベトナムへ出かけて九死に一生という体験をし、酒と釣り、そして女を愛した。
日本のヘミングウェイと評する人がいたはずである。
作風から、あるいは風貌から、ヘミングウェイを連想することはあながち見当違いとはいえまい。
ヘミングウェイもうつ病に苦しんだし、戦場へおもむいた。酒、釣り、女にひたり、そこから文学的なエッセンスを汲み上げたという点でも似ている。さらに10年ばかり長生きしたら、開高さんの「老人と海」を書いたかもしれないと想像してみる。
非常に官能的で、美文調ともいえる文体は、晩年にいたってますます研きがかかり、短編では独特の風合いを放つ精緻な作品世界をつくりあげた。
根がエピキュリアンなのである。
愉しみ(快楽・・・といってもいいだろう)のために書き、愉しみのために世界を渡り歩いた。
そして、成果をあげ、さっさと身罷ってしまった昭和の典型的な作家――、として、わたしは開高さんの周りをうろついている(=_=)
考えろ、そして愉しめ。
開高さんを思い出すとどういうわけか、わたしにも旅に対するあこがれがあることに気が付く。
ただし、釣り竿のかわりにカメラを手にして。
友人に釣師がいて、かつて彼から釣師開高健の話を聞いた。スポーツ・フィッシングをわが国に流行らせた一人・・・だと、彼はいっていた。「オーパ!」の衝撃が大きかったのだ。
1980年代のことである。開高健の記憶を掘り起こすというのは、ある意味、80年代に返ってみることでもある。
昭和とは、西暦でいえば、1926年から1989年まで。
いまこの記事を書きながら、開高さんが昭和に活躍し、昭和とともに去っていったことにあらためて気づかされる。
昭和天皇が薨去したのが、1989年1月7日。
開高健さんが亡くなったのは、その年1989年の12月9日。
ノスタルジーにひたりたいわけではないが、1952年生れのわたしにとっても、よき時代は去っていった。なつかしき「昭和歌謡」を思い出す人もいるだろう。
それもそれ。
同時代人として読んだ開高健を、2018年の現在からことばの触手をのばして探り当てる。
それはなぜか、深呼吸をする行為に似ている。1980年代・・・その時代は、わたしの生活にとっては“黄金時代”といえる10年でもあったと、いまにしておもう。
公私とも多忙を極めていたが、そのころも本を読み、写真を撮っていた。
・・・そのころも、そのころも(^^♪
<わが家の裏手から。右に見えるのは浅間山>
夕陽が沈んでいく。
この空の向こうに、かつて、開高健さんがいたし、わたしの昭和が存在したのだ。
風鈴が涼しげなメロディを奏で、蚊取り線香がいぶり、浴衣姿の女がうちわで子どもに風を送る♪
影絵の中の昭和、影絵の中の、なつかしい――歳月。
※釣り師開高健さんを知るには、
この記事を書いたあと閲覧したつぎの動画が一番充実しているとおもわれる。
https://www.youtube.com/watch?v=oYiRst1j2fY
(制作:NHKエンタープライズ)
少々長いが、愛読者必見!!