
自己嫌悪にさいなまれていたウサギが崖から身を投げて死んだ。
十二匹のウサギがそれを見ていた。
彼らは仲間の葬式を出すわけではない。
満月が昇った。
月の表面では きょうもウサギが餅つきをしている。
それは一見 とても平和な愉しい光景に見える。
一夜明けた崖の縁でコスモスがなにも知らぬげに
風に揺れている。
「ああ ああ なんて美しいのだろう」
ぼくらはウサギの死を知っている。
そうさ・・・だから
コスモスはあんなに美しく咲くことができる。
シューベルトのピアノ曲
「さすらい人幻想曲」
あの第二楽章を聴いていると
太陽のはしごがゆっくり キラキラと輝きながら天空より降りてくる場面に出くわす。
それはこの世に 二つとないような美しいパッセージとなって
聴く者のこころを打つ。
ときに激しく!
それは 風景写真家がいう太陽のはしごにとてもよく似ている。
太陽のはしごはウサギの魂を迎えにきたのだ。
ぼくらは黙ってそれを見送る。
黙っていることしかできないとは
しばしばとても残酷なこの世の縮図となる。
生き延びた十二匹のウサギたちはどこへ消えたの?
死んだウサギは どうして死ななければならなかったの?
秋になると どうしてコスモスは沿道や崖の上に
あんなににぎやかに咲き競うの?
さよなら また地球にやってくることがあったら
ぼくらのことを思い出しておくれ。
思い出しておくれ・・・。
シューベルトのピアノ曲はなにごとかささやきつづける。
さぐりあてようとしなければ けっしてわからないこの世の真実
のようなものを。
身を投げなければならなかったウサギの苦しみ
のようなものを。
ぼくがいま この詩を書いている不思議
のようなものを。
※なくてもいい補注
幻想曲ハ長調「さすらい人」は「さすらい人幻想曲」の名で知られている。第2楽章の主題が、シューベルト自作の歌曲『さすらい人』に因むことから、この名で通っている。
曲は全4楽章構成で、ソナタ形式をベースとしながらも、ピアノソナタではなく、より自由な幻想曲となっている。
ピアノ曲としては高度な技巧を要する屈指の難曲で、シューベルト自身ですら完璧に弾きこなすことは不可能で、「こんな曲は悪魔にでも弾かせたまえ」と語ったとか。そんなエピソードが残る。
華やかで祝祭的なメロディ、フレーズをもつテクニカルな第1、第3、第4楽章と、詩的でロマンチックな第2楽章をもつ。
シューベルトというと若くして生涯を閉じたこともあって、薄幸のイメージが強い。特に第2楽章などは、そんなイメージぴったりで、寂しく孤独な心情が歌い上げられている。幻想的でメランコリックな旋律がそこかしこに散りばめられた名曲となっている。
この補注は以下のサイトからお借りいたしました。
http://d.hatena.ne.jp/ushinabe1980/20080702/1215006306
※「二草庵摘録」総閲覧数(PV)が70万件を超えました。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。