![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/00/608f3845bdbcf5cf2ad8365570eb4b24.jpg)
写真に「王道」がもしあるとしたら、それはたぶん、ポートレイトだろうと、若いわたしは考えていた。
絵画の歴史をふりかえってみよう。昔から画家を職業にするというのは、王侯貴族の肖像画を描くということであった。西洋の場合は、宗教画とこの肖像画が、二つの大きな潮流であった。しかし、それについては、長くなるからここではふれないことにしよう。
写真の「過去」をふり返ると、やっぱりポートレイトは、かのナダール大先生以来、脈々と生き続けているし、これからも、その命脈が絶えることはないだろう。ただし、町の写真館なるものは、残念ながら、ほぼその命脈が尽きようとしている。
それはデジカメの登場によって、あるいは、ケータイ写真の登場によって「一億総カメラマン時代」がやってきたことの裏返しである。
知り合いに地方在住のプロカメラマンが何人かいるけれど、すでに失業してしまったか、失業寸前に追い込まれている。
インターネットの写真サイトをあちこち眺めていると、こと写真に限っていえば、プロとアマチュアの差はわずか。これでアマチュアかしら・・・と思えるような“実力者”が、じつにたくさん存在しているし、わたしのマイミクさんの中にもいらっしゃる。
ところが、ポートレイトを撮影し、ネット上で公表している方は、ほんのわずかである。
肖像権問題に関する「判例」が出て、ますます、人は人を撮らなくなってしまった。あるいは、撮っても「公表」をひかえるようになった(^^;) これもまた時代の趨勢だから、わたし三毛ネコひとりが抵抗したとて、どうなるものではない。
トップに掲げた写真は、わが家の飼い猫「テンちゃん」のポートレイト。
近ごろ撮影した中でも、ピカイチのお気に入りであ~る(^_^)v
背景は父の作業小屋・西の物置。この椅子には、普段は父が腰かけ、菊の手入れなどをしている。
ポートレイトが“王道”だとすると、スナップショットはさしずめ“覇道”となるかもしれない。
ついでだから、過去のアルバムから、ポートレイトを2枚ピックアップしておこう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/ad/e3d4b2624736cca09a5c570e66b226b7.jpg)
これはM公園で見かけ、お声をかけて撮らせていただいた貴重なお母さんとお子さんのポートレイト。以前も書いたが「母子像」は、見る者を強くとらえてはなさない。おかあさんの微笑のなんという輝き! 「写真を撮らせて下さい」と頼み、OKをいただいたときのカメラマン三毛ネコのよろこびも、この背景にある。この瞬間の光を、永遠のようなものが見つめている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/f3/016fbf1a1d0c618260caa7c4e672ae73.jpg)
さてこちらは、「働く男」のポートレイト。
サクラ咲くシーズンだったので、M公園はにぎわっていた。はじめは断りなしにスナップしていた。しかし、この露天商のおやじさんの働く姿を、もっとしっかり撮ってみたくなって、「焼きそば下さい!」と声をかけ、焼きそばを食べながら「写真を撮らせてくれませんか」と頼んでみた。
「あー、いいよ。好きに撮ってくれ」
即座にそんな返答が。そのときのよろこびを想像してほしい(^^)/~~~
むろん断られてしまうこともある。その確率は五分五分といったところだろうか?
あるいは、運がよければ「写真を撮っていただけませんか」と依頼をうけることがある。そういうときは、遠慮せず「こっちのカメラでも撮影させて下さいね」といってみよう。ほぼ100%OKがもらえる。
こういったポートレイトを撮影する場合、背景がとても大事。
お祭りやお花見のときがチャンスといえるだろう。スタジオ・ライティングではなく、その場の光(アベイラブルライト)の中で撮るのだから、緻密な計算などをしているヒマはない。
「お声をかけ、了解をいただいて、さりげなく撮る」ということになる。
「撮ってどうするんですか?」と訊かれたら、ブログをやっているので、そこに掲載したいのです・・・と答える。そして、「ほら、こんな写真になりました。あとでさしあげましょうか?」というのもいいだろう。
まあ、ポートレイトはそういった“手続き”が必要な写真なのであ~る。
「肖像写真 時代のまなざし」多木浩二著(岩波新書)mixiレビュー。
http://mixi.jp/view_item.pl?id=881336&reviewer_id=4279073