二草庵摘録

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「遊動論 柳田国男と山人」柄谷行人(文春新書)レビュー

2018年01月10日 | 歴史・民俗・人類学
「遊動論」とは何だろうと思いつつ手に取ったが、柄谷行人さん流の柳田国男論。
ところが、文学作品でいえば、これは明らかな失敗作。
柳田の「山人論」を中心に据え、テキストとして使用しながら、ご自分の思想を展開している。したがって、普通の意味の「柳田国男論」ではない。

その手法に、強引さが目立つ。
・柳田国男論というより、都合のいい記述だけを抜き出して利用している。
・人間による共同体を、A「互酬(贈与と返礼)、B「再配分(略取と再配分)、C「商品交換(貨幣と商品)、D(D/X)の4つのカテゴリーに区分するという理論が前提となっている。
・D/Xは「資本=ネーション=国家超えるもの」であり、そこに柳田の山人論を対置しているわけである。
・うなずける部分がないわけではない。しかし、柳田国男という存在は、そういう理論からははみ出してしまう。簡単に図式化出来ないところに柳田の面白さの源泉があるのに、意図的に見ようとはしていない。
・文体が「世界共和国へ」のころと変わっているが、これはいかなる理由によるのか? 「世界共和国へ」が2006年、「遊動論」が2014年。約8年の時間差がある。

わたしは柳田は「遠野物語」「雪国の春」の愛読者だけど、ほかの著作はほとんど眼を通していないから、えらそうなことはいえない。
柄谷行人さんには「柳田国男論」が別にあるから、それを読み込んでから判断してもいいのだが、本書は読みすすめるのが、次第に苦痛になってきた。それでも何とか読みおえたので、レビューを書く気になった。

チータが、巨象に立ち向かって、悪戦苦闘している図(・_・?)
読後感はそんな印象であった。
「付論 二種類の遊動性」という論攷が、一番しまいに置かれている。これが、悪しき「理論家」の馬脚を露わにしてしまった。
“氏族共同体”と“定住革命”の関連を論証するのであれば、考古学や歴史学の最新成果をもっと参照すべきである。柳田国男をテキストの中心に据えたのが、そもそもの間違いであろう。

近代の日本には、巨象といえる人物が何人か存在する。柳田もその一人。「資本=ネーション=国家超えるもの」という、ややご都合主義の理論で一刀両断にできる相手ではない。
吉本隆明は「共同幻想論」において、「遠野物語」を唯一のテキストとして使用した。
しかし、その方法は、きわめて慎重で、暗示的。
比較すると、柄谷さんのそのあたりの姿勢にも、疑問符をつけざるをえない。

切れ味の悪い包丁で料理すると、せっかくのすばらしい素材をダメにする。そういう見本が本書である・・・といってしまってはいいすぎか?



評価:☆☆☆

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