結論をさきに書けば、本書「男子の本懐」(新潮文庫)は、城山三郎の代表作というにふさわしい力作であり、秀作である。読んだ人の大半が、そういった評価を下すだろう。
リーダーたちの肖像として、これ以上は望めないだろうというほどの卓越した出来映え、城山三郎の神髄を見ることができる。
主役は浜口雄幸(はまぐち おさち、1870年〈明治3〉~ 1931年〈昭和6〉高知県生まれ)、第27代総理大臣となった男である。もう一人の主役(準主役)は日銀総裁のあと大蔵大臣をつとめ、軍縮など緊縮財政、金解禁で名を後世に刻んだ井上準之助(1869年<明治2>~1932年<昭和7>、大分県生まれ)。
いやあ、文句なしにおもしろかった・・・といいたいところだけれど、わたしの知識不足のため、十分な理解を得られたかどうか、いささか怪しい(^^;;)
財政の核心、金融問題その他に、ある程度の予備知識がないとわからない部分がある。
この二人は、悲劇の主人公。まず総理の浜口が暗殺され、つづいて井上も半年後に暗殺されたからだ。
いずれも右翼の暴漢による犯行。戦前の昭和史には、血なまぐさい事件がたくさんあるが、これもその一つ。井上準之助は至近距離から拳銃で撃たれて即死、浜口雄幸は銃撃されたあと病身のまま、数か月存命し、天皇に見舞いの御礼にいったり、国会答弁に立ったりもした。
暗殺されることを予期しながら、政治家、政策家としての信念を貫いた、あっぱれな男であった。
「男子の本懐」とは、浜口のことば。政敵やマスコミにここぞとばかり叩かれてでも、信念を曲げることはなかった。
近ごろお茶をにごすようなことばかりいっている政治家が大部分なのに比べ、「こういう覚悟がなければ政治家はつとまらない」と、身をもって証明したわけだ。
命がけとはまさにこのこと。そこに城山三郎が惚れて書いたのが本書「男子の本懐」である。
この本を書くことに、城山さんは作家として周到な準備をかさね、心血を注いだ。
その熱意や覇気がつたわってきて、読者は圧倒される。
「落日燃ゆ」も素晴らしかったが、それと双璧をなすのではないか?(渋沢栄一を描いた「雄気堂々」も評価が高いようだが)
浜口と井上は、その晩年にいたるまで接点がなかったという。そこが一番苦労したところだと、「少しだけ、無理をして生きる」(修猷館高校でおこなわれた連続講演、新潮文庫)の中で率直に語っている。
そのため、二人が出会うまでは、それぞれの人生行路を、章ごとにあるいは段落ごとに交互に書いて、そこに統一感を感じさせるよう苦心している。そしてその試みは成功し、こういう大作となった。だれもが大きな拍手を送りたくなること間違いない。
念のためいつものようにBOOKデータベースより、内容紹介を引用しておこう。
《緊縮財政と行政整理による〈金解禁〉。それは近代日本の歴史のなかでもっとも鮮明な経済政策といわれている。第一次世界大戦後の慢性的不況を脱するために、多くの困難を克服して、昭和五年一月に断行された金解禁を遂行した浜口雄幸と井上準之助。
性格も境遇も正反対の二人の男が、いかにして一つの政策に生命を賭けたか、人間の生きがいとは何かを静かに問いかけた長編経済小説。》
つぎのコピーも併記されている。
《もとより男子として本懐である――。
浜口の静、井上の動、昭和初期、〈金解禁〉に命を賭けた2人の政治家。
城山文学の頂点を示す、政治・経済小説の傑作。》
城山さんは、こういうリーダーたちを描くのが大好きなのだ。多くの資料を読み込み、リーダーの肖像を、丁寧に彫り上げていく作家としての腕は、近代文学史上トップクラスといえる。
ただ、さきほど書いたように、読者としてのわたしが経済・金融問題について、ほとんど無知なため、残念ながら隔靴搔痒であったところもある。
しかし、こういう信念に生き、信念に殉じた政治家がいたことは目が覚める思いがする。
魅力的な女は登場しないようだが、男を描かせたら凄腕の城山文学。
ラストシーンがいいので、忘れず引用しておこう♪
《青山墓地東三条。
木立の中に、死後も呼び合うように、盟友二人の墓は、仲良く並んで立っている。
位階勲等などを麗々しく記した周辺の墓碑たちとちがい、二人の墓碑には、「浜口雄幸之墓」「井上準之助之墓」と、ただ俗名だけが書かれている。
よく似た墓である。》(新潮文庫464ページより)
何という静かな幕切れだろう。はじめは肩透かしを食ったような気分になったが、そうではない。
著者城山三郎は、青山墓地の一隅で、主人公二人の墓前にたたずんでいる。死んだ人は生き返らないが、城山さんは、大輪の花を捧げたのである。
「男子の本懐」という、萎れることのない大輪の花を。
浜口雄幸
井上準之助
評価:☆☆☆☆☆
リーダーたちの肖像として、これ以上は望めないだろうというほどの卓越した出来映え、城山三郎の神髄を見ることができる。
主役は浜口雄幸(はまぐち おさち、1870年〈明治3〉~ 1931年〈昭和6〉高知県生まれ)、第27代総理大臣となった男である。もう一人の主役(準主役)は日銀総裁のあと大蔵大臣をつとめ、軍縮など緊縮財政、金解禁で名を後世に刻んだ井上準之助(1869年<明治2>~1932年<昭和7>、大分県生まれ)。
いやあ、文句なしにおもしろかった・・・といいたいところだけれど、わたしの知識不足のため、十分な理解を得られたかどうか、いささか怪しい(^^;;)
財政の核心、金融問題その他に、ある程度の予備知識がないとわからない部分がある。
この二人は、悲劇の主人公。まず総理の浜口が暗殺され、つづいて井上も半年後に暗殺されたからだ。
いずれも右翼の暴漢による犯行。戦前の昭和史には、血なまぐさい事件がたくさんあるが、これもその一つ。井上準之助は至近距離から拳銃で撃たれて即死、浜口雄幸は銃撃されたあと病身のまま、数か月存命し、天皇に見舞いの御礼にいったり、国会答弁に立ったりもした。
暗殺されることを予期しながら、政治家、政策家としての信念を貫いた、あっぱれな男であった。
「男子の本懐」とは、浜口のことば。政敵やマスコミにここぞとばかり叩かれてでも、信念を曲げることはなかった。
近ごろお茶をにごすようなことばかりいっている政治家が大部分なのに比べ、「こういう覚悟がなければ政治家はつとまらない」と、身をもって証明したわけだ。
命がけとはまさにこのこと。そこに城山三郎が惚れて書いたのが本書「男子の本懐」である。
この本を書くことに、城山さんは作家として周到な準備をかさね、心血を注いだ。
その熱意や覇気がつたわってきて、読者は圧倒される。
「落日燃ゆ」も素晴らしかったが、それと双璧をなすのではないか?(渋沢栄一を描いた「雄気堂々」も評価が高いようだが)
浜口と井上は、その晩年にいたるまで接点がなかったという。そこが一番苦労したところだと、「少しだけ、無理をして生きる」(修猷館高校でおこなわれた連続講演、新潮文庫)の中で率直に語っている。
そのため、二人が出会うまでは、それぞれの人生行路を、章ごとにあるいは段落ごとに交互に書いて、そこに統一感を感じさせるよう苦心している。そしてその試みは成功し、こういう大作となった。だれもが大きな拍手を送りたくなること間違いない。
念のためいつものようにBOOKデータベースより、内容紹介を引用しておこう。
《緊縮財政と行政整理による〈金解禁〉。それは近代日本の歴史のなかでもっとも鮮明な経済政策といわれている。第一次世界大戦後の慢性的不況を脱するために、多くの困難を克服して、昭和五年一月に断行された金解禁を遂行した浜口雄幸と井上準之助。
性格も境遇も正反対の二人の男が、いかにして一つの政策に生命を賭けたか、人間の生きがいとは何かを静かに問いかけた長編経済小説。》
つぎのコピーも併記されている。
《もとより男子として本懐である――。
浜口の静、井上の動、昭和初期、〈金解禁〉に命を賭けた2人の政治家。
城山文学の頂点を示す、政治・経済小説の傑作。》
城山さんは、こういうリーダーたちを描くのが大好きなのだ。多くの資料を読み込み、リーダーの肖像を、丁寧に彫り上げていく作家としての腕は、近代文学史上トップクラスといえる。
ただ、さきほど書いたように、読者としてのわたしが経済・金融問題について、ほとんど無知なため、残念ながら隔靴搔痒であったところもある。
しかし、こういう信念に生き、信念に殉じた政治家がいたことは目が覚める思いがする。
魅力的な女は登場しないようだが、男を描かせたら凄腕の城山文学。
ラストシーンがいいので、忘れず引用しておこう♪
《青山墓地東三条。
木立の中に、死後も呼び合うように、盟友二人の墓は、仲良く並んで立っている。
位階勲等などを麗々しく記した周辺の墓碑たちとちがい、二人の墓碑には、「浜口雄幸之墓」「井上準之助之墓」と、ただ俗名だけが書かれている。
よく似た墓である。》(新潮文庫464ページより)
何という静かな幕切れだろう。はじめは肩透かしを食ったような気分になったが、そうではない。
著者城山三郎は、青山墓地の一隅で、主人公二人の墓前にたたずんでいる。死んだ人は生き返らないが、城山さんは、大輪の花を捧げたのである。
「男子の本懐」という、萎れることのない大輪の花を。
浜口雄幸
井上準之助
評価:☆☆☆☆☆