二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

モノクロームな日常

2013年06月14日 | Blog & Photo
選択肢がふえることを、無条件に称える人がいる。
わたしは「うん、そうだね」とうなずきたいときと、「使わない機能まで押し売りしやがって」と反発するときと、二つの感情のあいだをゆれ動く(笑)。

「TVはもう見ない」というのは、わたしが下した決断である。
一生見ないというのではなく、数年はTVを断って生活してみよう・・・なのである。わたしの場合、小学校の4年生だったころまで、わが家にはTVはなかった。「そこまでもどって、身のまわりの光景を見つめ直す」というのが、各アルバムに共通するコンセプトといえばいえるだろう。

モノクロームな日常とは、禁欲的な日常といいかえてもいい。
色のない世界を、カメラの中で徘徊する。だって、わたしの眼には、「色」が見えているのだから。








なにかが、過去の情景と重なったり、スパークしたりする。
色を引き算したことによって、外界がドキュメンタリーの雰囲気をもちはじめる。
そして、少しだけ、シリアスさをます。
ラフモノクロではなく、普通のモノクロ。ただしこれなら、カラーで撮って、グレースケールに変換したのと同じ。
そう考えていたが、やってみると、わたしの意識は違うものと交感するようである。

そこに「モノクロでこれを撮る」という決断が、一つくわわるからだ。
寡黙な画面となるだけに、想像力が介在する余地もふえるだろう。
モチーフとしては「フラグメント」シリーズのモノクロバージョン。いままでのところ、コンデジCX6でしか撮影していない。

試行錯誤の段階から抜け出した・・・とはまだいえないから、ゆれ幅が大きいかもしれない。しかし、これはこれで、いましばらく続けてみよう。
写真といえばモノクローム。ついこのあいだまで、それが常識だった。
「ついこのあいだって、いつのこと?」
「うん、1970年代ころまでさ」

若い世代には笑われるだろうが、2、30年まえなど「ついこのあいだ」なのである(笑)。
いまだって、モノクロームのすばらしい写真が、つぎつぎと生み出されている。
「そこに一石を投じられるような写真を撮りたい」というのがささやかな願いだけれど、道はまだ・・・まだまだ遠い。
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