■佐野真由子「オールコックの江戸」(中公新書 2003年刊)が読者の胸をたたく
英国の初代駐日公使ラザフォード・オールコック(1809~1897年)。
この人物には駐在日記を基にした「大君の都」があり、日本語訳が岩波文庫に収録されている。以前から読みたい本の一つとなっている。しかし、なにせ活字(印字)が小さいため、結局のところ読まないできた。調べたら、講談社学術文庫にも違う訳でランナップされていることがわかった。
挿絵、図版、年譜などを備えた新訳を待ち望んでいるが、しばらくはムリなようなので、佐野真由子さんのこの「オールコックの江戸」を手に取った。この本も、資料らしい資料は乏しいのは残念。
C・ワーグマンやビゴーの漫画が見たくなれば、そういう本を手に取ればいいだけだ。
オールコックは日英の国際関係における、最初期の大功労者であることはいまさらいうまでもないだろう。
幕末・明治初期には諸外国の外交官が日本を訪れ、滞在記や日記、風刺漫画の数々を残している。そういった書物は、広い意味での“日本論”としても読める。
思いがけない、ハッとするような視点から、日本と日本人に光をあててくれるので、読んでいて、ときに笑いころげたり、眉をひそめたり、感心したり、要するに退屈しないのだ。
オールコックはヴィクトリア朝イギリスの英国人。
彼の眼に、幕末の日本がどう映じたのか?
ヴィクトリア朝の英国は、ロシアやオランダとしのぎを削って、世界を制覇するべく野望に燃えていた。オールコックは元は外科医師だが、リューマチで親指がマヒしたことから外交官(いまでいう外交官とは微妙な違いがあるようだが)に転じ、初代公使の栄誉を担うことになった。
西欧が国際秩序のルールを作ってそれを世界におし広げようと懸命に努力していた時代である。
内容紹介はBOOKデータベースから引用させていただこう。
《一九世紀半ば、江戸‐ロンドン間の文書のやりとりに蒸気船で半年近くを要した時代、一人の外交官が担う責任は、今日とは比較にならないほど大きかった。そんな時代、日英関係の仕事は、初代駐日公使ラザフォード・オールコックの手に完全に託されていたといってよい。本書は、一八五九年から六二年まで、日本の外交にとって決定的に重要だった三年間の彼の思考と行動を、在外史料を駆使していきいきと描いた幕末物語である。》(半年とあるが、それは喜望峰経由の場合である。)
著者は、主役に抜擢したオールコックに寄り添いながら、幕末日本を巧みに描きだしてゆく。本書は一人の外交官と、幕藩体制下にあった日本という国家の重要な“三年間”の物語である。
オールコック個人の伝記(評伝)としても読めるのではないかと予想したが、日本に滞在した3年弱の期間を集中的に取り上げ、すっきりした読後感を持つ本に仕上げている。
「日本を開かれた貿易国に向かわせようとする、オールコックの長期的ビジョン」(234ページ)が、じつに鮮やかに立ち上がってくる。
巻末の「主な参考文献」を見ると、内外の“主な”文献が、びっしり羅列されていて圧倒される。これをすべて読んだのだろうか(´?ω?)
1-2年でなされた仕事ではあるまい。文献をコツコツ読みこみ、必要に応じて現地を調査し、文章を練ってゆく。しかも場面、場面にユーモアがあって、“けなげな男たち”の真剣勝負を、一歩はなれたところから見守っている。
そして炙り出されてくるのは、国際秩序を作りつつあった英国という国家であり、その使命をおびて、孤独なたたかいをしなければならなかった一英国人の姿である。彼が外交官として真っ向勝負をすることになったのは、いうまでもなく幕藩体制が崩壊する前夜の日本。
本書で佐野さんはオールコックに著しく感情移入している。その足音、息遣いがページのあちこちから聞こえてくる。富士登山の模様を描写する筆が、ひかえめだがかすかに踊っている。
主人公は江戸ではなく、オールコックその人。
彼こそ竹内下野守(当時56歳)を正使とする文久の遣欧使節派遣と、ロンドン万博の陰の主役、演出者であったことを、この本から教わった。
1862年、日本人がはじめて経験するヨーロッパであり、世界なのである。スエズ運河はまだ開通していなかったので、使節36人のほか2名は一部陸路を通って、2か月もかけてロンドンへと到着した。
岩倉使節団がアメリカ、ヨーロッパへ旅立ったのが1871年(明治4)であったことを考慮すれば、この文久の遣欧使節団の意義が明瞭になる。
著者はつぎのように書いている。
《日本の人々やその生活に触れるなかで、ヨーロッパとはまったく切り離されていたはずの世界に、かくも高い文明と幸福が存在することを発見し、自らが持ち込んできた西欧的価値に疑問を投げかけるオールコックの姿は、非常に印象的であり、我々の胸を打つ。それでも、彼がその愛する日本の手を引いてつれ出そうとした、「世界」あるいは国際社会とは、あくまで、大英帝国という軸を中心にしてこそ成り立つものなのである。彼の世界観は、一度もその基本を外れることはない。》(244ページ)
外国暮らしが長いせいか、数か所日本語表現が未熟なところがあるのだが、スルーできる程度。
第六章「一八六一年夏」、第七章「ロンドンへ」、終章「歴史への奉仕者」を読みすすめながら、わたしは目頭が熱くなった。いや、率直に「感動した」といっておこう。
オールコックという英国人の時代とのかかわりが、現代を生きるわれわれとイギリスのかかわりを、時間のかなたから照射している。
この時代、“大いなる物語”が地球上にいくつもあった!
とはいえ、こういう熱い魂の記録、脈動をつたえてくれる本は、そうめったに読むことができないだろう( -ω-)
部分的には一筆書きともいえる素っ気なさはあるものの、すばらしい日英交渉史を実証したものとして高く評価していいのではないか。
佐野さんは1969年生まれ、本書でヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞している。
うん、「大君の都」を読みたくなったぞ(^^♪
評価:☆☆☆☆☆
※ヨゼフ・ロゲンドルフ賞についてはこちらを参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E8%B3%9E
英国の初代駐日公使ラザフォード・オールコック(1809~1897年)。
この人物には駐在日記を基にした「大君の都」があり、日本語訳が岩波文庫に収録されている。以前から読みたい本の一つとなっている。しかし、なにせ活字(印字)が小さいため、結局のところ読まないできた。調べたら、講談社学術文庫にも違う訳でランナップされていることがわかった。
挿絵、図版、年譜などを備えた新訳を待ち望んでいるが、しばらくはムリなようなので、佐野真由子さんのこの「オールコックの江戸」を手に取った。この本も、資料らしい資料は乏しいのは残念。
C・ワーグマンやビゴーの漫画が見たくなれば、そういう本を手に取ればいいだけだ。
オールコックは日英の国際関係における、最初期の大功労者であることはいまさらいうまでもないだろう。
幕末・明治初期には諸外国の外交官が日本を訪れ、滞在記や日記、風刺漫画の数々を残している。そういった書物は、広い意味での“日本論”としても読める。
思いがけない、ハッとするような視点から、日本と日本人に光をあててくれるので、読んでいて、ときに笑いころげたり、眉をひそめたり、感心したり、要するに退屈しないのだ。
オールコックはヴィクトリア朝イギリスの英国人。
彼の眼に、幕末の日本がどう映じたのか?
ヴィクトリア朝の英国は、ロシアやオランダとしのぎを削って、世界を制覇するべく野望に燃えていた。オールコックは元は外科医師だが、リューマチで親指がマヒしたことから外交官(いまでいう外交官とは微妙な違いがあるようだが)に転じ、初代公使の栄誉を担うことになった。
西欧が国際秩序のルールを作ってそれを世界におし広げようと懸命に努力していた時代である。
内容紹介はBOOKデータベースから引用させていただこう。
《一九世紀半ば、江戸‐ロンドン間の文書のやりとりに蒸気船で半年近くを要した時代、一人の外交官が担う責任は、今日とは比較にならないほど大きかった。そんな時代、日英関係の仕事は、初代駐日公使ラザフォード・オールコックの手に完全に託されていたといってよい。本書は、一八五九年から六二年まで、日本の外交にとって決定的に重要だった三年間の彼の思考と行動を、在外史料を駆使していきいきと描いた幕末物語である。》(半年とあるが、それは喜望峰経由の場合である。)
著者は、主役に抜擢したオールコックに寄り添いながら、幕末日本を巧みに描きだしてゆく。本書は一人の外交官と、幕藩体制下にあった日本という国家の重要な“三年間”の物語である。
オールコック個人の伝記(評伝)としても読めるのではないかと予想したが、日本に滞在した3年弱の期間を集中的に取り上げ、すっきりした読後感を持つ本に仕上げている。
「日本を開かれた貿易国に向かわせようとする、オールコックの長期的ビジョン」(234ページ)が、じつに鮮やかに立ち上がってくる。
巻末の「主な参考文献」を見ると、内外の“主な”文献が、びっしり羅列されていて圧倒される。これをすべて読んだのだろうか(´?ω?)
1-2年でなされた仕事ではあるまい。文献をコツコツ読みこみ、必要に応じて現地を調査し、文章を練ってゆく。しかも場面、場面にユーモアがあって、“けなげな男たち”の真剣勝負を、一歩はなれたところから見守っている。
そして炙り出されてくるのは、国際秩序を作りつつあった英国という国家であり、その使命をおびて、孤独なたたかいをしなければならなかった一英国人の姿である。彼が外交官として真っ向勝負をすることになったのは、いうまでもなく幕藩体制が崩壊する前夜の日本。
本書で佐野さんはオールコックに著しく感情移入している。その足音、息遣いがページのあちこちから聞こえてくる。富士登山の模様を描写する筆が、ひかえめだがかすかに踊っている。
主人公は江戸ではなく、オールコックその人。
彼こそ竹内下野守(当時56歳)を正使とする文久の遣欧使節派遣と、ロンドン万博の陰の主役、演出者であったことを、この本から教わった。
1862年、日本人がはじめて経験するヨーロッパであり、世界なのである。スエズ運河はまだ開通していなかったので、使節36人のほか2名は一部陸路を通って、2か月もかけてロンドンへと到着した。
岩倉使節団がアメリカ、ヨーロッパへ旅立ったのが1871年(明治4)であったことを考慮すれば、この文久の遣欧使節団の意義が明瞭になる。
著者はつぎのように書いている。
《日本の人々やその生活に触れるなかで、ヨーロッパとはまったく切り離されていたはずの世界に、かくも高い文明と幸福が存在することを発見し、自らが持ち込んできた西欧的価値に疑問を投げかけるオールコックの姿は、非常に印象的であり、我々の胸を打つ。それでも、彼がその愛する日本の手を引いてつれ出そうとした、「世界」あるいは国際社会とは、あくまで、大英帝国という軸を中心にしてこそ成り立つものなのである。彼の世界観は、一度もその基本を外れることはない。》(244ページ)
外国暮らしが長いせいか、数か所日本語表現が未熟なところがあるのだが、スルーできる程度。
第六章「一八六一年夏」、第七章「ロンドンへ」、終章「歴史への奉仕者」を読みすすめながら、わたしは目頭が熱くなった。いや、率直に「感動した」といっておこう。
オールコックという英国人の時代とのかかわりが、現代を生きるわれわれとイギリスのかかわりを、時間のかなたから照射している。
この時代、“大いなる物語”が地球上にいくつもあった!
とはいえ、こういう熱い魂の記録、脈動をつたえてくれる本は、そうめったに読むことができないだろう( -ω-)
部分的には一筆書きともいえる素っ気なさはあるものの、すばらしい日英交渉史を実証したものとして高く評価していいのではないか。
佐野さんは1969年生まれ、本書でヨゼフ・ロゲンドルフ賞を受賞している。
うん、「大君の都」を読みたくなったぞ(^^♪
評価:☆☆☆☆☆
※ヨゼフ・ロゲンドルフ賞についてはこちらを参照。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E8%B3%9E