
■山本博文「島津義弘の賭け」(中公文庫2001年刊 原本1997年読売新聞社刊)レビュー
最初にBOOKデータベースの内容紹介を引用しておこう。
《関ケ原合戦で歴史に名を残す退却劇を演じた島津義弘の生涯を中心に、九州の雄島津家をめぐる波乱の物語を、国宝級の『島津家文書』を始めとする膨大な史料をもとに描き出す。会話ひとつひとつまでが史料的裏付けを持つ、小説を超えた歴史ノンフィクション。》
「小説を超えた歴史ノンフィクション」という表現がなされているが、本書はこの歴史ノンフィクションの傑作!
「島津義弘の賭け」を昨夜読みおえ、深いため息をつかざるを得なかった。
真の歴史ファンは辛口の批評家が多いと推測されるが、本書はそういったうるさ方をも十分満足させる重厚な内容を備えている。
わたしは司馬遼太郎の「関ヶ原」を読もうと思っていながら、いまだに読んでいない。島津義弘といえば、関ヶ原の戦における勇猛果敢な中央突破による退却劇を連想する歴史ファンが圧倒的に多いだろうし、わたしもその一人であった。
《今年(1997年)四月十八日、東京大学史料編纂所が所蔵する原本史料のうちでも最高級の史料群である島津家文書が、国の重要文化財に指定された。
この島津家文書は、島津鑑康氏旧蔵のもので、総点数一万七千余、その他島津家本と称する写本類約六千五百点、および薩摩藩の史官伊地知季安・季通父子の編纂した「薩摩旧記雑録」三百六十二冊である。
平安時代から幕末維新期におよぶわが国武家文書の白眉である。》
あとがきで著者山本博文さんは、こう書いておられる。
つまりフィクションを交えることなく、これら膨大な史料を丹念に読み解き、山本さんが一般読者に向けて編集したものなのだ。
そこに千金の価値がある。
巻末の参考文献一覧までふくめ、345ページ。史料をして、史料にすべてを語らせている。すごみがあるとすれば、現実のすごみ、残された史料のすごみである。
登場人物たちが武士ばかりなので、「武士の生き方」がそのまま反映される。
戦に関する叙述は、朝鮮の役にせよ、関ヶ原にせよ、圧巻である。多くの手紙類が引用され、その迫力とリアリティは時空を超え、読者をして戦場に拉っし去る。
論じているのではない。事実を述べているだけ。そこに本書の傑作たる所以が凝縮されている。
主人公はいわずと知れた島津義弘。この男を中心に、辺境の地にあった薩摩藩の苦闘をありありと、じつに立体的に浮き彫りにしていく。
第十六代当主島津義久、その弟十七代義弘、そして義弘の息子忠恒(のち家久)を軸に、息を呑むような武家社会の、非常に濃密な人間ドラマが展開される。
山本さんは、つぎのような評釈をくわえている。
《関ヶ原に駆けつけた者たちは、島津領国あげての軍勢ではなく、義弘をしたう義勇軍だったのである。しかし、軍役数に応じていやいや駆けつける武士とちがい、その結束力は関ヶ原からの脱出のときに十二分に発揮される。》
敗軍の将、島津義弘の戦場からの脱出劇が、本書の一番の読みどころ。
波乱につぐ波乱。
いやはや、関ヶ原における島津氏の現実とはこういうものであったか(ノ_σ)
多くの家臣たちが、義弘を守るために討ち死にする。武士とは「義のために死する男たち」の集団なのだ。ここを読んで胸が震えない男は、男ではない・・・とすらわたしは思った。
「そうか、そうか。そうであったか!」
深夜、活字を追いかけながら、わたしは目頭が熱くなった。
戦場離脱劇を描いて、これほど感動的なドラマがありうるとは(=_=)
薩摩における「武士の魂」を、読者は朝鮮の役でも、この関ヶ原でも、否応なしに見せつけられることになる。
歴史家としての山本さんの力量は、薩摩という国と当時の人々にとって「太閤検地」がどういうものであったかを検証するあたりに十分発揮されている。
この時代、日本人という人間は存在しない。
主要登場人物はそれぞれ複雑な陰翳をもって映し出され、分厚い歴史の層を形成している。山本さんの人生観・世界観が、そういうところにも発揮されている。
これは成熟した大人の読み物であろう。
《義弘は島津勢の軍役人数不足という危険な情報を率直に打ちあけ、三成(石田三成)の力を借りて国元から軍勢などの補充を実現し、島津氏の立場を固めようと必死だったのである。
ここに、深刻な島津領国の事情をかかえた義弘のジレンマがかいまみえるが、いっぽうで三成の役割にも示唆を与えてくれる。
三成は豊臣政権の有力な年寄(奉行)として、諸大名を監督する立場にあった。よって、知り得た情報は、即座に秀吉に伝えられ、その指示を仰ぐと思われがちである。しかし、かれの役割はそんなに単純なものではなかった。このように、大名から信頼され、その大名が首尾よく軍役を務められるように、指導・助言をする立場にもあったのだ。》(本書129ページ)
本書が重厚な味わいを秘めているのは、こういったディテールの描写とその評釈に依拠する。
膨大な島津家文書。
しかし、その大半は無味乾燥な断簡や、さしたる意味のない書き付けの類だろう。山本さんは、卒業論文にも、この島津氏の史料を取り上げているという。
長い年月に渡って史料の山に埋もれながら、歴史の真実、その核心をつかみ出す。
これは卓越した、端倪すべからざる一冊である。
また「島津義弘の賭け」は、島津義弘や彼のために死んでいった薩摩人の“鎮魂の書”たり得ている・・・とわたしには思えた。
義弘がいたから、あるいは義弘の記憶が地下の太い水脈となって流れていたから、幕末における薩摩藩の出処進退があったのであろう。
武士たちは出処進退にいのちを賭ける。戦場における死をも厭わない。その人間像のリアリティが読者を圧倒する。
薩摩人は現在でも、この島津義弘を誇りをもって語り、つぎの世代へと伝えていくに違いない。わたしが薩摩出身なら、間違いなくそうする。
女には女の生き方があるように、男には男の生き方がある。戦場に散った者たちは何のために、いかに戦い、いかに
死んでいったのか?
このノンフィクションは歴史ドキュメンタリーの金字塔といえる。わたしは、そう確信する。
評価:☆☆☆☆☆
最初にBOOKデータベースの内容紹介を引用しておこう。
《関ケ原合戦で歴史に名を残す退却劇を演じた島津義弘の生涯を中心に、九州の雄島津家をめぐる波乱の物語を、国宝級の『島津家文書』を始めとする膨大な史料をもとに描き出す。会話ひとつひとつまでが史料的裏付けを持つ、小説を超えた歴史ノンフィクション。》
「小説を超えた歴史ノンフィクション」という表現がなされているが、本書はこの歴史ノンフィクションの傑作!
「島津義弘の賭け」を昨夜読みおえ、深いため息をつかざるを得なかった。
真の歴史ファンは辛口の批評家が多いと推測されるが、本書はそういったうるさ方をも十分満足させる重厚な内容を備えている。
わたしは司馬遼太郎の「関ヶ原」を読もうと思っていながら、いまだに読んでいない。島津義弘といえば、関ヶ原の戦における勇猛果敢な中央突破による退却劇を連想する歴史ファンが圧倒的に多いだろうし、わたしもその一人であった。
《今年(1997年)四月十八日、東京大学史料編纂所が所蔵する原本史料のうちでも最高級の史料群である島津家文書が、国の重要文化財に指定された。
この島津家文書は、島津鑑康氏旧蔵のもので、総点数一万七千余、その他島津家本と称する写本類約六千五百点、および薩摩藩の史官伊地知季安・季通父子の編纂した「薩摩旧記雑録」三百六十二冊である。
平安時代から幕末維新期におよぶわが国武家文書の白眉である。》
あとがきで著者山本博文さんは、こう書いておられる。
つまりフィクションを交えることなく、これら膨大な史料を丹念に読み解き、山本さんが一般読者に向けて編集したものなのだ。
そこに千金の価値がある。
巻末の参考文献一覧までふくめ、345ページ。史料をして、史料にすべてを語らせている。すごみがあるとすれば、現実のすごみ、残された史料のすごみである。
登場人物たちが武士ばかりなので、「武士の生き方」がそのまま反映される。
戦に関する叙述は、朝鮮の役にせよ、関ヶ原にせよ、圧巻である。多くの手紙類が引用され、その迫力とリアリティは時空を超え、読者をして戦場に拉っし去る。
論じているのではない。事実を述べているだけ。そこに本書の傑作たる所以が凝縮されている。
主人公はいわずと知れた島津義弘。この男を中心に、辺境の地にあった薩摩藩の苦闘をありありと、じつに立体的に浮き彫りにしていく。
第十六代当主島津義久、その弟十七代義弘、そして義弘の息子忠恒(のち家久)を軸に、息を呑むような武家社会の、非常に濃密な人間ドラマが展開される。
山本さんは、つぎのような評釈をくわえている。
《関ヶ原に駆けつけた者たちは、島津領国あげての軍勢ではなく、義弘をしたう義勇軍だったのである。しかし、軍役数に応じていやいや駆けつける武士とちがい、その結束力は関ヶ原からの脱出のときに十二分に発揮される。》
敗軍の将、島津義弘の戦場からの脱出劇が、本書の一番の読みどころ。
波乱につぐ波乱。
いやはや、関ヶ原における島津氏の現実とはこういうものであったか(ノ_σ)
多くの家臣たちが、義弘を守るために討ち死にする。武士とは「義のために死する男たち」の集団なのだ。ここを読んで胸が震えない男は、男ではない・・・とすらわたしは思った。
「そうか、そうか。そうであったか!」
深夜、活字を追いかけながら、わたしは目頭が熱くなった。
戦場離脱劇を描いて、これほど感動的なドラマがありうるとは(=_=)
薩摩における「武士の魂」を、読者は朝鮮の役でも、この関ヶ原でも、否応なしに見せつけられることになる。
歴史家としての山本さんの力量は、薩摩という国と当時の人々にとって「太閤検地」がどういうものであったかを検証するあたりに十分発揮されている。
この時代、日本人という人間は存在しない。
主要登場人物はそれぞれ複雑な陰翳をもって映し出され、分厚い歴史の層を形成している。山本さんの人生観・世界観が、そういうところにも発揮されている。
これは成熟した大人の読み物であろう。
《義弘は島津勢の軍役人数不足という危険な情報を率直に打ちあけ、三成(石田三成)の力を借りて国元から軍勢などの補充を実現し、島津氏の立場を固めようと必死だったのである。
ここに、深刻な島津領国の事情をかかえた義弘のジレンマがかいまみえるが、いっぽうで三成の役割にも示唆を与えてくれる。
三成は豊臣政権の有力な年寄(奉行)として、諸大名を監督する立場にあった。よって、知り得た情報は、即座に秀吉に伝えられ、その指示を仰ぐと思われがちである。しかし、かれの役割はそんなに単純なものではなかった。このように、大名から信頼され、その大名が首尾よく軍役を務められるように、指導・助言をする立場にもあったのだ。》(本書129ページ)
本書が重厚な味わいを秘めているのは、こういったディテールの描写とその評釈に依拠する。
膨大な島津家文書。
しかし、その大半は無味乾燥な断簡や、さしたる意味のない書き付けの類だろう。山本さんは、卒業論文にも、この島津氏の史料を取り上げているという。
長い年月に渡って史料の山に埋もれながら、歴史の真実、その核心をつかみ出す。
これは卓越した、端倪すべからざる一冊である。
また「島津義弘の賭け」は、島津義弘や彼のために死んでいった薩摩人の“鎮魂の書”たり得ている・・・とわたしには思えた。
義弘がいたから、あるいは義弘の記憶が地下の太い水脈となって流れていたから、幕末における薩摩藩の出処進退があったのであろう。
武士たちは出処進退にいのちを賭ける。戦場における死をも厭わない。その人間像のリアリティが読者を圧倒する。
薩摩人は現在でも、この島津義弘を誇りをもって語り、つぎの世代へと伝えていくに違いない。わたしが薩摩出身なら、間違いなくそうする。
女には女の生き方があるように、男には男の生き方がある。戦場に散った者たちは何のために、いかに戦い、いかに
死んでいったのか?
このノンフィクションは歴史ドキュメンタリーの金字塔といえる。わたしは、そう確信する。
評価:☆☆☆☆☆