わたしが少年のころは、偉大な・・・ということばをよく人びとが使った。
日常会話ではめずらしいかもしれないが、文章の中で。
ところが、このことばは、近ごろ死語にでもなったのか、めったにおめにかからなくなってしまった。
そんな昨今の情況を踏まえて、あえてこの形容詞を持ち出す(~o~)
ギュンター・ヴァント&ベルリン・フィルが演奏した、ブルックナーのシンフォニー4番に対して。
わたしは数日前にBOOK OFFでヴァントが1998年1月に、ベルリン・フィルとやったライブ録音のCD(RCA盤)を手に入れた。
ヴァントは1912年にラインラント地方という、ベルギーにほど近いドイツで生まれている。
北ドイツ放送交響楽団の主席指揮者として腕をふるい、めきめきと頭角をあらわす。
しかし、ものの本を読むと、この指揮者が真に巨匠の仲間入りをするのは、1990年に、北ドイツ響の主席を辞めたあとである。
つまり、そのとき、ヴァントは70歳をとうにすぎていた!
日本には「大器晩成」という表現があるけれど、これほどの「晩成型」はめずらしいだろう。
1990年代に入ってから、ついにドイツ音楽において世界最高の指揮者として、世界中に大勢のファンをあつめ、巨匠(virtuoso)の地位を確立。その後、ミュンヘン・フィル、ベルリン・フィルなどに客演し、多くの“名盤”を残して、90歳で亡くなる直前まで活躍した。
これまでヴァントはたしか2枚のCDをもっている。
時間があったので、久しぶりに愛しのブルックナーが聴きたくなり、コンポの電源をONにした。
演奏時間は68分40秒。
一回目は途中でうたた寝してしまったせいか、あまりピンとこなかったので、もう一回(^_^)/~
ここで、ヴァントの4番につかまった。
記憶が曖昧になっているけれど、わたしがこれまで聴いているのは、クレンペラーであったはず(^^;) 7番、8番、9番に比べ、この4番はどうも映画音楽っぽい通俗性があるようにおもえ、心から感動はできないでいた。
ところが、ところが――。
「え? 何だって。ヴァントのブルックナーで泣いた?」
マイミクのtombiさんに笑われるかもしれないけれど、涙があふれてきたのである。
ブルックナーの音楽が、追悼の、いや、壮大な追想の音楽のように聞こえてきた。
しばしば沈思し黙考する。そしてそこに、ブルックナーではめずらしいエロチックなものが付け加わる。それはおもに管楽器(金管と木管)が受け持っているように感じられる。
必要なところでは十分響きを走らせるが、ちょっとした手綱のしぼりかげんで、音のうねりが増幅される。この日、会場にやってきた観客は、重量感たっぷりの見あげるような音楽の堂宇の出現に圧倒され、感動したに違いない。
逡巡はなく、確信がある。濃霧のような思索感のさきに見えてくる、幾筋かの光明。それは、何なのだろう。音楽の基礎知識のないわたしには、歯がゆいことに、それがどういったところに由来するのか、ことばでは表現できない。
ブルックナーは、カトリックでなければ、その究極の秩序世界は理解できないとか、日本人にほんとうに西洋クラシックがわかるのかとか、そういった「懐疑派」もいるだろう。だけど、・・・経験主義者のわたしは、わたしの「涙の意味」を、信用するしかない。
68分もかかる長大な器楽曲である。ビートルズのようなポピュラリティー(大衆性)はないから、理解できる人は、日本人ではかぎられている。
ヴァントのブルックナーに対する敬愛は、ただごとではない。
ここでは、何もかもが「追想」と化している。それは、ある意味で老年の音楽ということである。過ぎ去ってしまった過去を、美化するわけではない。しかし、同時にそんなに美しいものは、ほかには存在しないというこのパラドックス!
万感のおもいをこめて・・・というと、普通は情緒的になりすぎてべたつくものだが、ヴァントはうまく、理知的にすり抜けている。ときには、素っ気ないくらい。
そこにしびれる。心ゆさぶられる。こういう“偉大な”音楽がほかにあるなら、ぜひ、教えて欲しい・・・と、いま、わたしは思う。
ギュンター・ヴァントは、筆舌に尽くしがたいすばらしいブルックナーを、われわれに残してくれた。ヴァントの指揮棒で演奏されたブルックナーを、徹底して聴きたくなってきたぞ!
トップの一枚は、昨日、沼田撮影行で使用したヤシカマット124Gと、オリンパスPEN、E-P3。無料休憩所のテーブルの上で、CX6を使って記念にパチリ!
ご存じでしょうが、YouTubeで、ブラームスの1番を指揮しているヴァントの動画が何点か見られますね。
http://www.youtube.com/watch?v=3tEQXbiYWf0&feature=related