二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

保阪正康対論集「昭和の戦争」(朝日新聞社2007年刊)レビュー

2019年11月22日 | 歴史・民俗・人類学
半藤一利 「対米戦争 破滅の選択はどこで」
伊藤桂一 「一兵士が見た日中戦争の現場」
戸部良一 「統帥権が国を滅ぼしたのか」
角田房子 「帝国陸軍軍人の品格を問う」
秦 郁彦 「南京と原爆 戦争犯罪とは」
森 史朗 「『特攻』とは何だったのか」
辺見じゅん 「戦艦大和の遺訓 歴史は正しく伝わっているか」
福田和也 「ヒトラー、チャーチル、昭和天皇」
牛村 圭 「東京裁判とは何か」
松本健一 「近代日本の敗北、昭和天皇の迷い」
原 武史 「昭和天皇 未解決の謎」
渡辺恒雄 「『戦争責任』とは何か」

昭和史に関心がある方なら、このもくじを一覧しただけで、ピンとくるだろう。読売の渡辺さんを除けば、このジャンルの錚々たるメンバーといっていいのだ。
どの対論もおもしろかったが、おもしろいといっては語弊がある。内容が極めてシリアスなのだ。

「あの戦争」がメインテーマ、近過去というのは歴史的いえばまだ湯気をたてているようなホットな領域に属する。当事者は物故したかもしれないが、ご子息やお孫さんはまだ生きておられるからだ。
大東亜戦争、太平洋戦争、日中戦争等々、いろいろな呼称がある。しかし、どう呼ぼうと、その名称の中に、発言者の思想的な立ち位置がかくれている。その論点についても、これら対論で多角的に取り扱われ、検討されている。

それにしても、これら対論の内容に踏み込むにはどうしても、ためらいがある。
「何だ、つまみ食いしているだけじゃないのか?」
そういう内心の声が聞こえてくるのだ。数ページすすむたび、気持が右へ左へゆれ、なかなかゆれやまない。
ホットでしかもシリアスな論点が、つぎからつぎと登場する。レビューを書くなら、もっと学ぶべきを学んだうえで書くべきであろうと思う。

昭和史のむずかしさ。
伊藤桂一さんの「一兵士が見た日中戦争の現場」は、生き残った兵士の体験談に裏付けられている。戦場に立った経験をした者は、ことば少なである。
寡黙さが、重さに釣り合っているのだ。饒舌な人間は、あとからやってきた人たち。
「あとからなら、何とでもいえる」
わたしはこれらの話者が語ることばに、ふと立ち止まって耳をすましているだけ。

そうか、そうだったのか(;゚д゚)
わたしの父も、従軍経験がある。昭和19年、19歳のとき招集され、北支へ渡っている。そして、21年5月に、米軍の上陸用舟艇(かの興安丸ではない)で、いのちからがら引き揚げてきたのだ。
上陸したのは山口県の仙崎港。
この仙崎港に帰ってきたのは、昭和21年の暮れまでに、41万4千人にのぼるという。
父もその中の一人であったのだ。

保阪正康さんの探究の姿勢は低く、誠意があり、しかも鋭い洞察に裏付けられている。昭和20年、5歳であったというから、半藤さんより約10年お若い世代。
この時代は、わたしにとっては、生まれてくる直前、いわば“前史”なのである。
日本史といっても、古代史や中世史、近世史とは、そこがまるで違う。

戦争はもうこりごり・・・と多くの日本人が肝に銘じている。しかし、漠然と、あるいは漫然と「戦争はいやだよね」ですませるのではなく、さまざまな局面において、戦局はどう動いたのか、指導者は何を考えていたのか、兵士たちは、どこで、どう死んでいったのかをしっかりと学び、頭に叩き込んでおかねばならない。

それ自体が、ささやかな慰霊の旅なのである。
本書を読みながら、そう実感させられた(=_=)



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