(上は先日の夕景。記事とは直接関係ありません)
※長くなってしまったので、2回に分けてUPさせていただく。
現代詩の“現場”から足を洗ったのは20代の終わりころ。それからすでに30年以上が経過している。わたしが知っているのは、荒川洋治さんが登場した時代まで・・・といっていいだろう。
「娼婦論」(檸檬屋刊)が1971年、『水駅』(書紀書林刊)が1975年である。荒川さんの登場は、わたしにとっては新時代の幕開けをつげる、鮮やかな詩壇の一事件であった。
東京生活に見切りをつけて、1978年か9年に故郷群馬に引き揚げてきた。関越自動車道がいまだ全線開通にいたらない、旧い時代のこと。そして詩から徐々に離れていった。
何がいいたいのかというと、わたしには現代詩を語る資格がない・・・ということ。
70年代の終わり、あるいは80年代になってから姿を現した詩人のことはまったく知らない。これまで読んでこなかったし、これからも、わずかな例外はあるにしても、おつきあいすることはないだろう。
上手宰(かみて・おさむ)さんは、本物の詩人である。そういう「詩人」と、mixiで遭遇するはずはないと思いはじめていたから、たいへんうれしい誤算であった(^-^*)/
Web上の検索によって、上手宰さんがどういった経歴の持ち主なのか、アウトラインがようやくつかめてきたばかり。
「詩人会議」の主要メンバーのお一人で、壺井繁治賞を受賞したことがあり、現在は同賞の選考委員もつとめている。
そして、これまで5冊の詩集を上梓している。
サラリーマンとして生活をしながら、海外体験があるようである。現在も同人誌「冊」を刊行中。
そういった経歴を拝見していると、上手さんは、まぎれもなく端倪すべからざる現代詩人なのである。
60歳を過ぎてから詩に何となく回帰したが、一冊の詩集も出したことのないわたしとは違って「本物の詩人」。年齢はわたしより4年前後上だが、むろん現役の詩人である。
ご本人のご了解を得ているので、最初に出会った一編「しおり紐のしまい方」を掲げておこう。
「しおり紐のしまい方」
1.
しおり紐の付いた本は
疲れたらどこでも休みなさいと
木陰をもつ森のようだ
2.
その柔らかい紐を はずしたり挟む時は
くすぐったいだろうけど
きゃあきゃあ言うのはやめなさい
3.
車中であっても 自室であっても
本を閉じるときはいつも 突然くる
何かの理由で顔を上げ その世界をまたいで出る
4.
少し待っておいで すぐに戻ってくるから
そのまま二度と姿を現さなくても
挟まれた紐は 永遠にその場所で待ち続けている
5.
隠れんぼをする子は忘れられたかと思う
探しにきてほしいのは自分ではなく
息をひそめていると光り始める その場所だったが
6.
いつも途方にくれるのが
読み終わってしまった時の
しおり紐のしまい方である
7.
そこから先に行くべき道は消え
目印のやわらかい杭も
もういらなくなったのだ
8.
足の出ぬよう丸くされて
どこでもよいページで眠りにつかされる
暗がりで目をつぶっている胎児のように
9.
人の一生は長い時間をかけて
書き上げられる 一冊の本だと
みんなが言うのを信じかけていた私だった
10.
そうではなかった
自分の物語を読み終えたとき 生は閉じられる
ほかの誰も読みえない私だけの物語だった
11.
その日 私と言葉たちがそこから出て行くと
何もかもが消えた 白いページの中で
しおり紐は 見慣れぬ不思議な文字になる
(「しおり紐のしまい方」全編・引用はhttp://kamitelyric.web.fc2.com/ より
ただし、連ごとにノンブルを振ったのはわたし)
※長くなってしまったので、2回に分けてUPさせていただく。
現代詩の“現場”から足を洗ったのは20代の終わりころ。それからすでに30年以上が経過している。わたしが知っているのは、荒川洋治さんが登場した時代まで・・・といっていいだろう。
「娼婦論」(檸檬屋刊)が1971年、『水駅』(書紀書林刊)が1975年である。荒川さんの登場は、わたしにとっては新時代の幕開けをつげる、鮮やかな詩壇の一事件であった。
東京生活に見切りをつけて、1978年か9年に故郷群馬に引き揚げてきた。関越自動車道がいまだ全線開通にいたらない、旧い時代のこと。そして詩から徐々に離れていった。
何がいいたいのかというと、わたしには現代詩を語る資格がない・・・ということ。
70年代の終わり、あるいは80年代になってから姿を現した詩人のことはまったく知らない。これまで読んでこなかったし、これからも、わずかな例外はあるにしても、おつきあいすることはないだろう。
上手宰(かみて・おさむ)さんは、本物の詩人である。そういう「詩人」と、mixiで遭遇するはずはないと思いはじめていたから、たいへんうれしい誤算であった(^-^*)/
Web上の検索によって、上手宰さんがどういった経歴の持ち主なのか、アウトラインがようやくつかめてきたばかり。
「詩人会議」の主要メンバーのお一人で、壺井繁治賞を受賞したことがあり、現在は同賞の選考委員もつとめている。
そして、これまで5冊の詩集を上梓している。
サラリーマンとして生活をしながら、海外体験があるようである。現在も同人誌「冊」を刊行中。
そういった経歴を拝見していると、上手さんは、まぎれもなく端倪すべからざる現代詩人なのである。
60歳を過ぎてから詩に何となく回帰したが、一冊の詩集も出したことのないわたしとは違って「本物の詩人」。年齢はわたしより4年前後上だが、むろん現役の詩人である。
ご本人のご了解を得ているので、最初に出会った一編「しおり紐のしまい方」を掲げておこう。
「しおり紐のしまい方」
1.
しおり紐の付いた本は
疲れたらどこでも休みなさいと
木陰をもつ森のようだ
2.
その柔らかい紐を はずしたり挟む時は
くすぐったいだろうけど
きゃあきゃあ言うのはやめなさい
3.
車中であっても 自室であっても
本を閉じるときはいつも 突然くる
何かの理由で顔を上げ その世界をまたいで出る
4.
少し待っておいで すぐに戻ってくるから
そのまま二度と姿を現さなくても
挟まれた紐は 永遠にその場所で待ち続けている
5.
隠れんぼをする子は忘れられたかと思う
探しにきてほしいのは自分ではなく
息をひそめていると光り始める その場所だったが
6.
いつも途方にくれるのが
読み終わってしまった時の
しおり紐のしまい方である
7.
そこから先に行くべき道は消え
目印のやわらかい杭も
もういらなくなったのだ
8.
足の出ぬよう丸くされて
どこでもよいページで眠りにつかされる
暗がりで目をつぶっている胎児のように
9.
人の一生は長い時間をかけて
書き上げられる 一冊の本だと
みんなが言うのを信じかけていた私だった
10.
そうではなかった
自分の物語を読み終えたとき 生は閉じられる
ほかの誰も読みえない私だけの物語だった
11.
その日 私と言葉たちがそこから出て行くと
何もかもが消えた 白いページの中で
しおり紐は 見慣れぬ不思議な文字になる
(「しおり紐のしまい方」全編・引用はhttp://kamitelyric.web.fc2.com/ より
ただし、連ごとにノンブルを振ったのはわたし)