つぶやきで書いたように、今日は待望の稲刈り。簡単にすむと予想していたら、まだ湿気がひどく、コンバインの操作に手を焼いた。キャタピラーが空回りしてしまうような泥田と化していて、その水がいっこうにひいてくれない。
多少のムリをして2/3ばかり刈りおえ、あとは父にまかせて正午すぎに出社。
もたもたしていると、また降雨に見舞われる(=_=)
田の南側には、分家に出した妹たちの家が2軒あって、そこが日陰となり、水のひきが悪いのである。
まあ、しかしなんとか一区切りついたので、ほっとした。
今日は一日モーツァルト日和にするつもりで、けっこう大雑把に、CD4枚をクルマに積んできた。
右上から下、左へ。
1) モーツァルト交響曲選集(海外盤)
指揮:トン・コープマン&アムステルダム・バロックオーケストラ CD2枚組(全6曲)第31番(パリ)、34番(ザルツブルク)、35番(ハフナー)、36番(リンツ)38番(プラハ)、41番(ジュピター)
2)モーツァルト ピアノ小品集
ピアノ:イングリッド・へブラー ロンドニ長調、アダージョロ短調等17曲
3)モーツァルト 交響曲第29番、第41番(ジュピター)、セレナーデ第13番(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)
指揮:オットー・クレンペラー&フィルハーモニア管
4)モーツァルト 交響曲第38番(プラハ)、第39番、歌劇「フィガロの結婚」序曲
指揮:フランス・ブリュッヘン&18世紀オーケストラ
モーツァルトのCDは50枚前後もっている。
少し集中してふたたび聴きたくなったのは、宇野功芳さんの「モーツァルト 奇跡の音楽を聴く」(ブックマン社)を手に入れ、一気読みしたことによる。
吉田秀和さんほどではないが、宇野功芳さんの著作は、5、6冊読んで、いろいろ学んでいる。その中でも、この一冊は、すばらしい出来映え。書いたのではなく、話したのをテープ起こしし、その原稿に手を入れてなったもので、「語り下ろし」と銘打ってある。
本書の刊行は2006年、モーツァルトの生誕250周年企画として出されたものである。
この直前に宇野さんは指揮者として再デビューしたので、話題にはことかかない。
宇野さんは、褒め上手な批評家で、気に入った音楽家や演奏家を絶賛するので、「ほほう、そこまでいうなら聴いてみよう」という気になる。
宇野さんの本を読むたび、結局のところ、批評ってのは、褒め方の技術だということがわかってくる。
「宇野節」の浸透力はすごいものがあって、後進はかなり影響をうけているはず。
この人の書いたライナーノートを、平林直哉さんが一冊にまとめた本ももっている。
宇野さんのモーツァルトは、煎じつめるとワルターと、リリー・クラウスということになるのだろうが、とにかくすごい耳の持ち主であることが、この書物からじつにクリアに浮き彫りにされてくる。
わたしはクラウスはピアノ協奏曲24番しか記憶にないけれど、あらためて彼女の演奏をまとめて聴きたくなってきた。絶賛、絶賛、絶賛・・・なのである。彼女からもらった手紙を生涯の宝として大切に保管しているらしく、本書にその写真が掲載されているのも生々しいというか、ほほえましくていいなあ。
トン・コープマンといえば、ピリオド楽器派の領袖のひとりといえるだろうが、いま聴くと、いささか気の抜けたビールみたいなところがあって、ブリュッヘンやアーノンクールに一歩、二歩及ばないという印象がある。
ブリュッヘンはハイドンもいい。
わたしはハイドンは交響曲第101番ニ長調「時計」が昔から好きだったが、ブリュッヘンの演奏するCDを手に入れたので、この二日間は、お休みタイムの音楽は「時計」ばかり聴いている(笑)。
朝、お出かけまえの音楽といえば、やっぱりモーツァルトだろうけれどね。
ところで、冒頭にあげた写真を見返して欲しい。真ん中やや左、七色の光が幽かに見えるだろうか? これはレンズのゴーストではなく、とても遠方に破片のように浮かび出た虹。はじめは太陽のある位置の右に見えたが、10分ほどたつと、今度は左側に移った。
こんな気象現象もあるんだねぇ。
モーツァルトの音楽を聴いていると、ときおり、こんな小さな虹が見えることがある。
ほんとうだよ(^_^)/~
眼をとじていないと、見えない虹だけれど。