二草庵摘録

本のレビューと散歩写真を中心に掲載しています。二草庵とは、わが茅屋のこと。最近は詩(ポエム)もアップしています。

ピアノ協奏曲第二十七番のかたわらで(ポエムNO.73)

2012年07月18日 | 俳句・短歌・詩集

いくつものカーブを曲がって
曲がって ここまでやってきた。
長かったようで短い六十年の歳月。
だれもが抱くような感慨をぼくも覚える。
どこのカーブでどんなふうに曲がり損なったか
・・・なあんて考えはすててしまえ。
ぼくはあと何年生きていられる?
という意識といっしょに。

ぼくから去ってしまったものをカタログにして眺めても仕方ない。
愛する人に愛されないのも まあ仕方ない。
今日の気温が三十八℃だってのに これから出かけていかなければならない場所がある。
それも仕方ない。
人生の半分は「仕方ない」ことでできている。
子どものころからわかってはいたけれど。

モーツァルトのピアノ協奏曲第二十七番を聴いていると
彼のため息のような息づかいが聞こえる箇所がある。
ため息が美しく ルビーかサファイアのようにきらきら虚空で輝いている。
空気の振動にすぎない音楽に 人はどうしてこれほど惹かれ
感動さえするんだろう。
こういう音楽によってしか表現できないものが
たしかに 存在する不思議。

そうだ モーツァルトはこの曲を書き上げたあと
わずか一年しか生きてはいられなかった。
そう考えると どんなささいなパッセージも聴きすてにはできない
・・・なあんて緊張しながら
エアコンがこわれた暑い部屋の中で 汗をふきふき
耳をすます。
汗ばんだ肌を微風がなぶる。

人はいつだって ほんのわずかな不幸せと 
ほんのわずかな幸福のあいだでバランスをとりながら生きている。
不幸せの分量が多くなってハカリがかたむくと
ぼくは音楽に救いをもとめ 教えを乞いにいくのかもしれない。
今日はしばらく 第二十七番の傘の下で残酷な陽ざしをよけて
モーツァルトの“最後の一年”におもいを凝らして 暑さをしのごう。

第二楽章のあるところまできて
音符にすぎないものが 消毒液のようにヒリヒリこころのどこかにしみ渡る。
おっ いつのまにかヒマワリがぼくの背丈を追い越して夏空にそびえているな。
ぼくはその光景を眼にとめ 写真は撮らずに胸にしまいこむ。
もう少しで この音楽がおわり
ぼくは“大いなる沈黙“のただ中に立たされるだろう。
そこから今日は この残酷な陽ざしのあちらへ歩き出さなければならない。

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