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さっきmixiアルバム「郷土遊覧記P2」を見返していたら、こんな光景が眼に止った。
単に古いというだけの温度計だと思って、さして観察していなかったのだが・・・。
これはまさに「レアもの」なんですね(笑)。
なぜかというと、養蚕農家が蚕の飼育のため、蚕室に備えていた温度計だからです。
1令~2令
3令
4~5令
簇中(そうちゅう)
この用語を見て、なんのことかわかる人がいるかなあ?
蚕の脱皮をあらわしているんですね。いまでは「令」は「齢」という字をあてることが多いのかな。「2齢幼虫」とかね。昆虫好きなら、すぐにピンとくるはずですけれど。
この温度計、父の作業小屋にあって、いまでも役にたってます(^-^)
わが家は養蚕農家で、祖父の手伝いをした少年のころの記憶が甦りました。
その祖父が死んで、今年33年目。
・・・ところで、しばらく買うのをひかえていた「アサヒカメラ」の5月号を一昨日手に入れて、グラビアページや、メカ記事、写真エッセイをぱらぱら読んだ。
なぜしばらくぶりに買ったかというと、田中長徳さんの「東京逍遙50年」の連載がはじまったからです。
持ち帰って、自宅でゆっくり、何度も読み返そうと決めたのであ~る。
そこで田中さんは、沢木耕太郎さんの「老境の発見」ということばを披露している。
そこにはげしく共鳴するものがあった!
「(沢木さん)いわく、老境に達してから見えるもの、感じたことは常に自分の過去の膨大な体験と引き合わされて、それぞれが特別な意味を持ってくるという」
・・・というふうにして、田中さんは「東京逍遙50年」の写真&エッセイをはじめる一種の“マニフェスト”を書いている。
彼は過去の写真を見返しながら、現在の東京をさまよう。
断続的にではあるけれど、彼はこんな街角スナップを50年にわたってやってきた。
とくに「四十余年前の午後の光」とタイトルされた一枚に、わたしはちょっと息をのんでしまったのですね^^;
作品はモノクローム。ライカかニコンの超広角レンズで、自動車修理工場の一角が切り取られている。そこに、ノーファインダーで撮影した、まさにそのときの田中さんのシルエットが!
こういう写真に出会うと、写真とは「時の化石」だという、いい古された表現をどうしても思い出す。いやはや、写真でこんなことができるのですね。
もしこの記事で興味をおもちになったら、アサカメを購入するか、立ち読みしてお確かめ下さいませ。
よく「濃厚な気配が感じられる写真」といういい方がなされるが、この1枚こそ、そういった作品だろう。くり返し、くり返し見るに足る、すばらしい逸品であ~る。