雨祈から物井川へ
おはつ稲荷社へ
源頼政塚へ
臼井八景へ
新妻川から香取浦を通って鹿島大神宮へ
ぼくはその人の姿をもとめて今日もさまよう。
地名のくらい淵にたたずんでは また
歩き出す。
倉賀野は遠いな 江戸期には繁栄したという
あの河岸への道はもうまるで消えているから。
前後不覚にねむりこけたあと
遅くなってようやく目覚めると
バッハの変奏曲が聞こえてきた。
暮色の空を満たすたくさんの鳥たちの羽音と
ゴルトベルク変奏曲はやがて あの人の後ろ姿のあたりでひとつに溶けあい
小さな農家ばかりが点在するこのあたりの風景も
時代の暮色が色濃くなってきて・・・。
音の浅瀬にうずくまる心やさしい女を抱いたあと
ぐずついた気分を蹴とばし 蹴とばしぼくは歩く。
あるいていく。
数日後には一片の骨と灰になっているかもしれない
ぼくという存在の外側にある 暮れかすんだ景物のすべてがなつかしく
ぼくは眼や指でそれらの景物に 一つひとつふれていく。
愛しい女の乳房にそっとふれるように。
あの人はどこにでもついてきて
ぼくや ぼくの隣を歩くひとを黙って見つめている。
恐ろしいあらしのような感情が去ったあとの
なんという深々とした肯定の坂道だろう。
川菜から六供の渡しへ
経石から布川大明神へ。
厩橋のへっぴり腰にもたれてコーヒーをすすり
和田城のくづれかかった石垣の横で
白衣大観音のほうへ放尿する。その快感。
「六塵(ろくじん)ことごとく文字なり」
と唱えた人の後ろ姿が
ことばでできた暮色の木道を渡っていく。
ああ ぼくは地名との“復縁”をもとめて
書籍をあさり 耳をすまし
まなざしを研ぐのだ。
往路にくらべ 帰路のなんときつい山坂のほとりは
スズメやカラスがなき騒ぐ一冊の古書のはずれなのだ。
・・・そして。
ぼくはその人の姿をもとめて今日もさまよう。
地名のくらい淵にたたずんでは また
たとえばかねの・・・鐘の音にみちびかれて
つぎの一歩を地にしるす。
地にうもれた火山礫につまずき
骨となった牛馬の蹄につまずき。
シルクロードの彼方から吹いてくる風や
地名のまぼろしの鐘の音がぼく自身の夕暮れをつげている。
※本作の地名の一部は「利根川図志」(岩波文庫)に出典があります。
写真と詩のあいだには、直接のかかわりはありません。