吉本ばななの文学は、わたしにはどうもわかりにくい。
はっきりいえば「おもしろくない」のである。
ところが「吉本ばななは売れている」のだそうである。
じっさいのところ、彼女の公式サイトは、850万ヒットにものぼろうとしている。
「BANANA YOSHIMOTO」
http://www.yoshimotobanana.com/
いったい、どんな読者が、どんな風に吉本ばななを読んでいるのか?
予想してはいたが、やっぱり、であった。
読んでいるのは、ほとんどが同世代の女性だそうである。
彼女のエッセイなどを斜め読みしていると、
あけっぴろげといっていいような、
驚くべき「率直さ」が理解されてくる。
親子対談でもいわれているのだが「ばななの読者は太宰治の読者ににている」ということである。
作者のばななさんも「わたしは読者のために書いている」と断言し、
読者からの返送メールなど、十分意識しているのである。
「きみは人間を書こうとはしていない。きみにとって意味のある、ある場を書こうとしている」とは父親の批評。
読んだことのある人は「キッチン」冒頭の台所の描写を思い出す。
娘のばななさんの方は、鋭い舌鋒をするり、するりとかわしている。
「あれは、おれのこと書いたのじゃないか」
父親がいうのは、「キッチン」に出てくる母親(じつは父親)のこと。
「おれを、おかまとして書いたのじゃないか」という吉本氏の発言には笑ってしまった。
それにしても、ばななさん、
やっぱりわたしにはおもしろくはない。
「この人の本領はエッセイストかな~」
「若い女性特有の、あるふしぎ感覚をうまくすくっているのかもしれないぞ・・・」
わたしはいろいろ考えてみる。
「B級BANANA」「TUGUMI」「哀しい予感」も書棚にあるから、
まあ、おいおいつきあってみよう。
しかしな~。
研究しようなどと考えてはいないが、謎はまだまだ残るぞ・・・。
海外での評判などは、まあ、考えても仕方ないが、
「読まれている」ことには、理由があるのだ。
それが、気になる。
「吉本隆明×吉本ばなな」(株)ロッキング・オン>☆☆☆
はっきりいえば「おもしろくない」のである。
ところが「吉本ばななは売れている」のだそうである。
じっさいのところ、彼女の公式サイトは、850万ヒットにものぼろうとしている。
「BANANA YOSHIMOTO」
http://www.yoshimotobanana.com/
いったい、どんな読者が、どんな風に吉本ばななを読んでいるのか?
予想してはいたが、やっぱり、であった。
読んでいるのは、ほとんどが同世代の女性だそうである。
彼女のエッセイなどを斜め読みしていると、
あけっぴろげといっていいような、
驚くべき「率直さ」が理解されてくる。
親子対談でもいわれているのだが「ばななの読者は太宰治の読者ににている」ということである。
作者のばななさんも「わたしは読者のために書いている」と断言し、
読者からの返送メールなど、十分意識しているのである。
「きみは人間を書こうとはしていない。きみにとって意味のある、ある場を書こうとしている」とは父親の批評。
読んだことのある人は「キッチン」冒頭の台所の描写を思い出す。
娘のばななさんの方は、鋭い舌鋒をするり、するりとかわしている。
「あれは、おれのこと書いたのじゃないか」
父親がいうのは、「キッチン」に出てくる母親(じつは父親)のこと。
「おれを、おかまとして書いたのじゃないか」という吉本氏の発言には笑ってしまった。
それにしても、ばななさん、
やっぱりわたしにはおもしろくはない。
「この人の本領はエッセイストかな~」
「若い女性特有の、あるふしぎ感覚をうまくすくっているのかもしれないぞ・・・」
わたしはいろいろ考えてみる。
「B級BANANA」「TUGUMI」「哀しい予感」も書棚にあるから、
まあ、おいおいつきあってみよう。
しかしな~。
研究しようなどと考えてはいないが、謎はまだまだ残るぞ・・・。
海外での評判などは、まあ、考えても仕方ないが、
「読まれている」ことには、理由があるのだ。
それが、気になる。
「吉本隆明×吉本ばなな」(株)ロッキング・オン>☆☆☆