本日の前橋地方18℃。
いまにも小雨が降ってきそうな空模様で、写真日和にはほど遠い。
追突事故の軽い後遺症があって、整形外科に通っている。
長時間うつむいてディスクワークをしていると、首に違和感を覚え、肩が凝る。じっさいに肩の筋が突っ張ってしまうのか、単に神経的にそういう感覚に襲われるだけなのか、よくはわからない(=_=)
県の総合運動公園としての機能をもっている敷島公園周辺は、本日もなにかイベントが開催されているらしく、道路は渋滞気味。およそイベントには縁のない三毛ネコさんは、そこを抜けて通勤している。
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町を歩いていると、明るいところと、暗いところがある。
むろん、その中間のいわばグレーゾーンが圧倒的な割合をしめるのだけれど、明るいところを見たあとでは、暗いところが見たくなるし、暗いところを見たあとでは、明るいところが見たくなる。
たとえば、暗いところには、時のよどみにひっそりと廃屋が沈んでいる。
たとえば、明るいところには、だれかが種または苗木を植えた花が咲いている。
ネイチャー・フォトとしてフレーミングするのではなく、街角小景として、それらをポンと撮影するのが気に入っていて、過去の写真には、そういったものがたくさんストックしてある。
町の中のフラワーは、当然ながら、野の花とは違った風情をもっている。
もうずいぶん昔のこと、・・・たぶん20年かもっとまえのことだけれど、わたしは鮮烈な光景を思い出す。
ところは、足尾市郊外。
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「食堂パリー」のこの一枚を見て、皆さんはどんな感想をもつのだろう。
かつてどこにでもあった、文化の生き残り。
昭和ロマン。
舶来志向。
庶民の街。
地方都市が元気だったころ。
アジアの一隅の光景。
――etc.
いろいろなキーワードが、頭の中を通過していく。
mixiや「二草庵摘録」をはじめてからしばらくは、ほとんど昆虫ばかり撮っていたのに、
昨年10月にLX5を手に入れ、地方都市巡礼の小さな旅に出るようになった。
企画立案は、むろんわたし自身。
いつも、カメラを2、3台もって、主に定休日の水曜に、ひとりでぶらりと出かける。
ゆくさきは、大抵その日、出かける直前に、天候や気温と相談して決める。
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松岡正剛さんが、ヴァルター・ベンヤミンの「パサージュ論」について、こんなことをいっている。
『もともとベンヤミンは「個人にとって外的であるようなかなり多くのものが、集団にとっては内的なものである」ということに関心をもっていた。
個人の内部性と集団の外部性を問題にしたのでは、ない。逆である。個人の外部性と集団の内部性に関心をもったのだ。それがベンヤミンの「集団の夢」なのだ。』
(「千夜千冊」より)
「パサージュ論」の存在は、以前、鹿島茂さんの本を読んでいて、はじめて知った。
ベンヤミンの都市論であり、文明論である。
岩波書店の‘岩波現代文庫’から、全5巻で日本語訳が刊行されている。
わたしは何冊かもっているけれど、元来、哲学・思想書が苦手ときていて、難解で歯がたたない。しかし、ここには、なぜわたしが、田舎暮らしをしているにもかかわらず、都市写真に惹かれるのか、その理由のほとんどすべてが書いてある。
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10月中にはPENシリーズのE-P3かE-PL3を買おうかとおもっていた三毛ネコさん、ごたごたがつづくオリンパスに、ちょい腰がひけた。
そこに出現したのが、FUJIの高級ズームコンパクト、X10。
某電気店で実物にふれて、そのクラシカルなデザイン、アナログ感覚を残した操作性能に、ころりとまいってしまった(^^;)
これは「そそるぞ!」
カタログをもらってきて、隅からすみまで読み、そのあとで、カメラのキタムラへいって、実機をもういっぺんチェックしてきた。
CX4の代用品にはならない。
D7000のようなAPS-C一眼とも違う。
あえていえば、LX5の延長上に誕生したカメラである。
わたしの場合は、そういう解釈になる。
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わたしは、女性と子どもが大好き。
実際にもそうなのだが、ここでは「被写体として」と限定しよう。
若い男子もおもしろいが、まあ、普通の意味で、女性や子どもほど、
被写体としては魅力を感じない。
表情が豊か。
感情が表に出ていて、服装にライフスタイルのようなものがあって、
一枚の写真から、いろいろなストーリーをみちびき出すことができる。
男性とは、こういった女性や子どものために存在している、あるいは、存在させられているのではないか?
そんなふうに思われることがある(^^;)
基本的に、タレントや有名人には、興味がない。
無名であること。
普通の人であること。
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