上田市中央2-14にある宗吽寺はそううんじと読みます。もともとは上田城の堀近くにあったものを上田城築城の時にここに移したといわれています。開山は什慶といわれ、中興は慶英といわれています。宗吽寺は上田藩主の祈願寺となり、松平氏の参勤交代の折りには、江戸への出立の吉日をこの寺が選んだといわれています。
本堂前にある石幢(石造物)は六地蔵塔で石灯籠として使われていたものだそうです。石幢は六角形の石灯籠型で6面に6地蔵を浮き彫りにするタイプか、6面に窓を開けて内部に6地蔵を置くタイプが普通だそうです。 「正平4年」(1349)と彫られています。南北朝時代の南朝の年号だそうです。ということは当時、このあたりは南朝方についていたようです。
本堂前にある石幢(石造物)は六地蔵塔で石灯籠として使われていたものだそうです。石幢は六角形の石灯籠型で6面に6地蔵を浮き彫りにするタイプか、6面に窓を開けて内部に6地蔵を置くタイプが普通だそうです。 「正平4年」(1349)と彫られています。南北朝時代の南朝の年号だそうです。ということは当時、このあたりは南朝方についていたようです。