上田市中央6-3-3(鍛冶町)にある本陽寺です。この寺は小諸城主であった仙石秀久(ひでひさ)が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てられた寺です。仁王門は元禄5年(1692)の建立です。
元和8年(1622)上田へ移封の際、息子である仙石家上田城主初代の忠政(ただまさ)が、小諸から寺と墓を移したそうです。秀久夫人の法名「本陽院殿槃室妙栄大禅定尼」が寺の名前になったそうです。本陽寺客殿の東側境内地の一角に上田城主仙石氏一族の墓がひっそりと並んでいます。
墓一角の東北隅に立派な宝形造の覆屋があります。三代城主となるはずだった忠俊の墓です。病気のため28才で他界したそうです。前面左右には、10基の石灯籠が並んでいます。忠俊の宝篋印塔ひは「春光院殿梅心日香大居士」という法名が書かれています。仙石秀久の墓は同じ上田市の芳泉寺に廟の中に納められています。三代城主には政明(まさあきら)がなりました。
元和8年(1622)上田へ移封の際、息子である仙石家上田城主初代の忠政(ただまさ)が、小諸から寺と墓を移したそうです。秀久夫人の法名「本陽院殿槃室妙栄大禅定尼」が寺の名前になったそうです。本陽寺客殿の東側境内地の一角に上田城主仙石氏一族の墓がひっそりと並んでいます。
墓一角の東北隅に立派な宝形造の覆屋があります。三代城主となるはずだった忠俊の墓です。病気のため28才で他界したそうです。前面左右には、10基の石灯籠が並んでいます。忠俊の宝篋印塔ひは「春光院殿梅心日香大居士」という法名が書かれています。仙石秀久の墓は同じ上田市の芳泉寺に廟の中に納められています。三代城主には政明(まさあきら)がなりました。