旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

少林寺

2009年12月13日 | 旅 歴史
 大阪府堺市堺区少林寺町東にある少林寺です。
 元徳2年(1330)、桃源宗悟によって開山されました。開基である小林亮法の姓をとリ小林寺としました。のちに菩提達磨の少林寺にならって「少」の字に改めたそうです。かつての寺の境域は、現在の寺地町・少林寺町を合わせ両町の海浜にまで達していたそうです。
 永徳元年(1381)塔頭、耕雲庵の住持白蔵主が、鎮守稲荷明神に參籠して「霊狐」を得ました。そして狂言大蔵流の始祖・霊狐の所作を狂言に作り、『釣狐』として上演したのです。それ以後、狂言や歌舞伎関係者は『釣狐』を上演する際は少林寺に參詣し、祈願するそうです。寺内の逆芽竹を1本祈祷してもらった上で持ち帰り、上演の時の杖に使用するそうです。


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宝珠院

2009年12月13日 | 旅 歴史
 今日は大阪府堺市堺区宿屋町東にある宝珠院を紹介します。
 三光山宝珠院は、栄亮大僧正の開基で真言宗に属し本尊に虚空像菩薩を祀っています。堺事件で切腹した土佐藩士11名の墓が境内にあります。切腹した妙国寺が勅願寺であったため埋葬が許されず、向かいの宝珠院に埋葬されたのです。
 慶応4年(1868)2月堺港に上陸してきたフランス軍艦デュプレー号の水兵に対し、堺の警固にあたっていた土佐藩士がこれを阻止しようとしてフランス人11名を殺傷した事件です。フランス公使は明治新政府に対し土佐藩士の斬刑や賠償金などを要求しました。その結果、土佐藩士隊長箕浦猪之吉ら20人の切腹が妙国寺本堂庭前でフランス人士官等の立ち合いのもと行なわれました。しかし、11人が切腹した時点で、フランス人達は切腹の悲惨さにすっかり青ざめ切腹の中止を命じ、残りの9人は罪人として土佐に返されることになりました。



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