旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

ばんこの里会館

2009年12月05日 | 旅 歴史
 三重県四日市市陶栄町にあるばんこの里会館です。
 ばんこの里会館は四日市に伝わる萬古焼の歴史や技法を紹介したり展示販売する施設です。萬古焼のすべてを体系的に紹介する展示室やギャラリーがあります。
 江戸時代中期の大商人、沼波弄山(ぬなみろうざん)は茶の湯に詳しく陶芸を趣味にしていました。自分が焼いた作品が永遠に伝わるように願いを込め「萬古不易(ばんこふえき)」の印を押したのが、萬古焼の始まりだそうです。
 萬古焼は、弄山の死とともに一時中断してしまいましたが、江戸時代後期の天保年間に森有節(本名与五左衛門)らによって、再び焼かれるようになったそうです。
 現代の四日市萬古焼は、そのときの技法を研究して明治時代の初めに焼かれたものがもとになっているそうです。1979年に伝統工芸品に指定されています。紫泥の急須や土鍋が有名です。特に土鍋の国内シェアは、7、8割を占めるそうです。
 2階にある「ふるさと工房うつわ亭」では、産地ならではの手頃な値段で萬古焼を販売しており、1階の「陶芸工房」では作陶や絵付けの陶芸体験できるそうです。
 



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多度大社

2009年12月05日 | 旅 歴史
 今日は三重県桑名市多度町多度にある多度大社を紹介します。
 多度大社の歴史は古く、太古には多度山(標高403m)全体を御神体としていたようです。5世紀後半、雄略天皇の御代になってはじめて現在地に社殿が造営されたといわれています。
 後一条天皇の御代(1016~1036)には、東海道六社のうちの1つに数えられるようになったということです。

 祭神は天照大神の皇子とされる天津彦根命(あまつひこねのみこと)です。天津彦根命は当地の豪族・桑名首(くわなのおびと)の祖神でもあります。
 天津彦根命が天照大神の御子神であることや、参詣のための街道沿いにあることから伊勢神宮との関係が深く、「お伊勢参らばお多度もかけよ、お多度かけねば片参り」とも詠われました。

 北伊勢大神宮とも称され、歴代天皇家の尊崇も厚く、産業開発、商工業繁栄の神として人々の崇敬を集めて繁栄してきました。
 中世には国司北畠氏が保護していましたが、元亀2年(1571)、織田信長の長島一向一揆平定の際に兵火により焼失してしまいました。一時荒廃しましたが、慶長10年(1605)、桑名藩主本多忠勝により再建されました。

社域は約9万7千平方mと広大で、社殿は神明造りの本殿、拝殿、別宮の一目連神社、摂社美御前社(うつくしごぜん)などたくさんの摂社・末社があります。
 一目連神社の御祭神である天目一箇命(あめのまひとつのみこと)は、伊勢忌部氏の祖神で、天照大神が天の岩戸に隠れた際に刀や斧を作って活躍された神様です。 

 美御前社は天津彦根命の妹の市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀っています。穴のあいた小石を社前に捧げると耳や下の病気に効果があるといわれています。
 昔から多度山には神がいると信じられてきました。人々の願いを神に届ける使者は多度大社に棲む「白馬」だといわれています。於葺門に向かう途中に「白馬舎」があります。 

 多度大社といえば、5月5日の本祭の際に行われる上げ馬神事、11月23日に行なわれる流鏑馬祭りが有名です。上げ馬神事は、古くは農作の時期や豊作/凶作が占われてきましたが、近年では好景気/不景気が占われるようになりました。



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