旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

愛染堂(勝鬘院)

2009年12月28日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市天王寺区夕陽丘町にある愛染堂(勝鬘院)です。
 愛染堂(勝鬘院)は四天王寺の別院で、飛鳥時代の推古天皇元年593年、聖徳太子によって建立されたお寺と伝えられています。
 当初は庶民救済の地として薬草を植えて病人に与える「施薬院」の役割を果たしていたとみられています。
 聖徳太子がここで勝鬘経を講義されたことから「勝鬘院」となりました。金堂に縁結び、夫婦和合の愛染明王が奉安されたため、現在は「愛染堂」または「愛染さん」と称されています。
 境内にそびえ立つ多宝塔は天正4年(1576)織田信長に焼き払われたものの、豊臣秀吉によって慶長2年(1597)再建され、市内唯一の桃山時代の建物として国の重要文化財に指定されています。
 金堂は徳川秀忠の再建で府の指定文化財です。毎年6月30日~7月2日には大阪三大夏祭りの1つである「愛染まつり」が行なわれます。


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本経寺

2009年12月28日 | 旅 歴史
 大阪府大阪市中央区中寺町にある本経寺です。
 本経寺山門の横には「豊竹若太夫墓所」という石碑が建っています。豊竹若太夫は竹本義太夫と並び、江戸時代に活躍した浄瑠璃の太夫で「竹本座」のライバル「豊竹座」の創始者であります。
 天声の美声を生かした華麗な節回しは、世の人から竹本座の「西風」に対し、「東風」と呼ばれる独特の芸風を確立したそうです。この竹本座と豊竹座が競い合いで浄瑠璃が発展したそうです。この両者が後には融合し、現在の浄瑠璃の節回しの基本となっているそうです。豊竹若太夫は明和元年(1764)84歳で没しここに葬られました。



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