山形県鶴岡市羽黒町手向手向にある出羽三山神社の五重塔です。
羽黒山参道「一の坂」登り口の杉並木の中に昭和41年(1966)に国宝に指定された「羽黒山五重塔」がひっそりと建っています。神社の境内にあるため、「五重塔」という名称は通称で、正確には「千憑(より)社」という出羽神社の末社で、大国主命を祭神として祀っている神社なのです。
この塔は承平年間(931-937)に平将門が建立したと伝えられています。文中元年(1372)に長慶天皇の時代、庄内の領主で羽黒山別当であった武藤政氏が再建したようです。古くは瀧水寺の五重塔といわれ、付近に多くの寺院があったようですが、今は五重塔だけが残っています。慶長13年(1608)、出羽守であった最上義光(よしあき)が修造しています。四方の額は小野道風書と伝えられています。
高さは29mの羽黒山五重塔は東北では最古の塔です。各層方3間5層、素木(しらき)造り、柿葺(こけらぶ)きの優美な塔です。正面は板唐戸で側面は連子窓となっています。初重に縁を設け、各重とも組み物は三手先、軒は二軒の構成です。柱頭柱間に間斗束(けんとずか)、腰長押(こしなげし)の下に束(つか)をたてるなど、古式の技法を伝えています。
明治時代の神仏分離により、神仏習合の形態だった羽黒山は神社となり、山内の寺院や僧坊はほとんど廃され、取り壊されました。五重塔のみが取り壊されずに残されました。江戸時代は五重塔の周囲には多くの建造物があったそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
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羽黒山参道「一の坂」登り口の杉並木の中に昭和41年(1966)に国宝に指定された「羽黒山五重塔」がひっそりと建っています。神社の境内にあるため、「五重塔」という名称は通称で、正確には「千憑(より)社」という出羽神社の末社で、大国主命を祭神として祀っている神社なのです。
この塔は承平年間(931-937)に平将門が建立したと伝えられています。文中元年(1372)に長慶天皇の時代、庄内の領主で羽黒山別当であった武藤政氏が再建したようです。古くは瀧水寺の五重塔といわれ、付近に多くの寺院があったようですが、今は五重塔だけが残っています。慶長13年(1608)、出羽守であった最上義光(よしあき)が修造しています。四方の額は小野道風書と伝えられています。
高さは29mの羽黒山五重塔は東北では最古の塔です。各層方3間5層、素木(しらき)造り、柿葺(こけらぶ)きの優美な塔です。正面は板唐戸で側面は連子窓となっています。初重に縁を設け、各重とも組み物は三手先、軒は二軒の構成です。柱頭柱間に間斗束(けんとずか)、腰長押(こしなげし)の下に束(つか)をたてるなど、古式の技法を伝えています。
明治時代の神仏分離により、神仏習合の形態だった羽黒山は神社となり、山内の寺院や僧坊はほとんど廃され、取り壊されました。五重塔のみが取り壊されずに残されました。江戸時代は五重塔の周囲には多くの建造物があったそうです。
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