山形県鶴岡市羽黒町手向にある出羽三山神社の東照宮です。
東照宮は権現造り、銅板葺きの建物です。拝殿の外壁を朱色に塗り上げ、木口を金色にするなど格式の高さを感じます。正保2年(1645)、羽黒山中興の祖50代別当天宥が、将軍に願い出て羽黒山に勧請しました。最初は仮殿に安置し、同年5月、初代鶴岡藩主酒井忠勝が社殿を寄進しました。
代々藩主の崇敬は厚く、慶安2年(1649)には2代藩主酒井忠当が参拝しています。また万治3年(1660)と寛文4年(1664)には3代藩主忠義が参拝しています。その際には300人ものお供がいたと伝えられています。
酒井氏は徳川四天王の一人忠次の系統です。忠勝は忠次の孫にあたります。元和(げんな)八年(1622)出羽鶴岡に移封され、13万8千石を領しました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
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東照宮は権現造り、銅板葺きの建物です。拝殿の外壁を朱色に塗り上げ、木口を金色にするなど格式の高さを感じます。正保2年(1645)、羽黒山中興の祖50代別当天宥が、将軍に願い出て羽黒山に勧請しました。最初は仮殿に安置し、同年5月、初代鶴岡藩主酒井忠勝が社殿を寄進しました。
代々藩主の崇敬は厚く、慶安2年(1649)には2代藩主酒井忠当が参拝しています。また万治3年(1660)と寛文4年(1664)には3代藩主忠義が参拝しています。その際には300人ものお供がいたと伝えられています。
酒井氏は徳川四天王の一人忠次の系統です。忠勝は忠次の孫にあたります。元和(げんな)八年(1622)出羽鶴岡に移封され、13万8千石を領しました。
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