東京都大田区池上にある池上本門寺です。
本門寺は日蓮宗の大本山で、山号は長栄山、院号は大国院といいます。全国に末寺200寺を持ち、日蓮入滅の地として知られています。
本門寺の石段は加藤清正の寄進によって造営されたそうです。「法華経」宝塔品の偈文96字にちなんで96段あります。「此経難持坂(しきょうなんじざか)」と呼ばれています。
日蓮は弘安5年(1282)9月に病を治療するため身延山を下りました。常陸国隠井の湯におもむく途中に池上衛門大夫宗仲の屋敷に立ち寄りました。しかし次第に病が重くなり、10月13日に現在大坊本行寺となっている宗仲邸で入滅したということです。
日蓮の死後、宗仲が自分の邸(約7万坪)を寄進し、日蓮の直弟子の日朗を中心として寺院の建立が推進されました。日蓮の七回忌の頃に伽藍の整備も進み、本門寺ができあがったようです。
中世においては関東の有力武士、近世では徳川幕府や加藤清正などの力を得て発展し、寛永の頃に大本山としての役割を持つようになりました。
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日蓮は弘安5年(1282)9月に病を治療するため身延山を下りました。常陸国隠井の湯におもむく途中に池上衛門大夫宗仲の屋敷に立ち寄りました。しかし次第に病が重くなり、10月13日に現在大坊本行寺となっている宗仲邸で入滅したということです。
日蓮の死後、宗仲が自分の邸(約7万坪)を寄進し、日蓮の直弟子の日朗を中心として寺院の建立が推進されました。日蓮の七回忌の頃に伽藍の整備も進み、本門寺ができあがったようです。
中世においては関東の有力武士、近世では徳川幕府や加藤清正などの力を得て発展し、寛永の頃に大本山としての役割を持つようになりました。
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