岡山県津山市山北に鶴山八幡宮があります。
鶴山八幡宮は、「八子(やご)の八幡さま」とも呼ばれ、津山市北部の大産土神です。祭神は譽田別尊、神功皇后、玉依姫で、本殿は国の重要文化財に指定されています。
鶴山八幡宮は津山城が築かれている鶴山山上にありましたが、慶長8年(1603)森忠政が津山藩主となり、鶴山に城を築いたため、慶長10年(1605)に覗山に遷座しました。その3年後の慶長13年(1608)に、現在の場所に再び遷座しました。
寛永12年(1635)と寛文9年(1669)に2代藩主の森長継(ながつぐ)が社殿の造営や改築を行っています。森長継は社領50石を寄進し、3代森長成は30石加増しています。森氏と、森氏改易後に藩主となった松平氏の崇敬を受け繁栄しました。
津山の名の起こりは鶴山からきているといわれています。森忠政は語呂が悪いと「かくざん」と呼んだため、鶴山公園はかくざんこうえん、小中学校もかくざんと読んでいます。鶴山八幡宮だけがつるやまと読まれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
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鶴山八幡宮は、「八子(やご)の八幡さま」とも呼ばれ、津山市北部の大産土神です。祭神は譽田別尊、神功皇后、玉依姫で、本殿は国の重要文化財に指定されています。
鶴山八幡宮は津山城が築かれている鶴山山上にありましたが、慶長8年(1603)森忠政が津山藩主となり、鶴山に城を築いたため、慶長10年(1605)に覗山に遷座しました。その3年後の慶長13年(1608)に、現在の場所に再び遷座しました。
寛永12年(1635)と寛文9年(1669)に2代藩主の森長継(ながつぐ)が社殿の造営や改築を行っています。森長継は社領50石を寄進し、3代森長成は30石加増しています。森氏と、森氏改易後に藩主となった松平氏の崇敬を受け繁栄しました。
津山の名の起こりは鶴山からきているといわれています。森忠政は語呂が悪いと「かくざん」と呼んだため、鶴山公園はかくざんこうえん、小中学校もかくざんと読んでいます。鶴山八幡宮だけがつるやまと読まれています。
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