岡山県津山市山北に衆楽園があります。
衆楽園は津山城の北にある庭園です。明暦3年(1657)、2代藩主森長継が京都から小堀遠州流の造園師を招いて築庭させました。京都の仙洞御所を模したといわれ池泉回遊式の典型的な大名庭園です。
元禄11年(1698)に松平家が藩主となってからは藩主の隠居所の庭園のほか、防備のため城内に他藩の使者を入れず、ここで応対したので「御対面所」と呼ばれていました。
明治3年(1870)に時の藩主松平慶倫が「衆楽園」として命名し、一般に公開されました。翌年、藩が廃され多くの建物が取り壊され規模も縮小し「偕楽園」「津山公園」などと改称されましたが、大正14年(1925)に「衆楽園」に戻されたそうです。
正式名は「旧津山藩別邸庭園」で、平成14年(2002)に国の名勝に指定されています。庭園は2万8千平方mあり南北に長く延びています。池が中心となっていて、中島と中島にかかる橋によって、3つの水面に分かれています。余芳閣、迎賓館、風月軒が再建され、雄大な景観を楽しめます。
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衆楽園は津山城の北にある庭園です。明暦3年(1657)、2代藩主森長継が京都から小堀遠州流の造園師を招いて築庭させました。京都の仙洞御所を模したといわれ池泉回遊式の典型的な大名庭園です。
元禄11年(1698)に松平家が藩主となってからは藩主の隠居所の庭園のほか、防備のため城内に他藩の使者を入れず、ここで応対したので「御対面所」と呼ばれていました。
明治3年(1870)に時の藩主松平慶倫が「衆楽園」として命名し、一般に公開されました。翌年、藩が廃され多くの建物が取り壊され規模も縮小し「偕楽園」「津山公園」などと改称されましたが、大正14年(1925)に「衆楽園」に戻されたそうです。
正式名は「旧津山藩別邸庭園」で、平成14年(2002)に国の名勝に指定されています。庭園は2万8千平方mあり南北に長く延びています。池が中心となっていて、中島と中島にかかる橋によって、3つの水面に分かれています。余芳閣、迎賓館、風月軒が再建され、雄大な景観を楽しめます。
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