岡山県津山市山下に津山城跡(鶴山公園)があります。
津山城は、美作国の領主・森忠政(もりただまさ)が、慶長9年(1604)から13年の歳月を費やして鶴山に築いた平山城です。明治33年(1900)、鶴山公園として津山町の管理となり、昭和38年(1963)に国の史跡に指定されました。
森忠政は本能寺の変で織田信長と命運をともにした森蘭丸の弟です。森氏は4代、95年間にわたって津山を治めました。森氏が改易の後、元禄11年(1698)津山藩には松平家が入府し、明治まで治めました。
本丸、二の丸、三の丸には、備中櫓や、粟積櫓、月見櫓など多くの櫓が建てられ、本丸には立派な御殿と庭園、5層の天守閣があったそうです。明治6年(1873)の廃城令で城は公売され、翌明治7年から8年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されたそうです。
平成17年(2005)に高い石垣の上に備中櫓が復元されています。公園内には数千本の桜が植えられ、「日本のさくら名所100選」に選ばれています。
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http://ogino.okoshi-yasu.com/
http://blog.goo.ne.jp/ogino_2006/
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津山城は、美作国の領主・森忠政(もりただまさ)が、慶長9年(1604)から13年の歳月を費やして鶴山に築いた平山城です。明治33年(1900)、鶴山公園として津山町の管理となり、昭和38年(1963)に国の史跡に指定されました。
森忠政は本能寺の変で織田信長と命運をともにした森蘭丸の弟です。森氏は4代、95年間にわたって津山を治めました。森氏が改易の後、元禄11年(1698)津山藩には松平家が入府し、明治まで治めました。
本丸、二の丸、三の丸には、備中櫓や、粟積櫓、月見櫓など多くの櫓が建てられ、本丸には立派な御殿と庭園、5層の天守閣があったそうです。明治6年(1873)の廃城令で城は公売され、翌明治7年から8年にかけて天守閣をはじめとする一切の建物が取り壊されたそうです。
平成17年(2005)に高い石垣の上に備中櫓が復元されています。公園内には数千本の桜が植えられ、「日本のさくら名所100選」に選ばれています。
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