旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

吉備津彦神社

2014年08月12日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市一宮に吉備津彦神社があります。
 吉備津彦神社は備前の国の一の宮として由緒ある古社で吉備中山の東側の山すそにあります。中山は古代吉備国では御神体として崇められてきた場所です。中山の山上には宮内庁が管理する大きな前方後円墳などの古墳などが散在していて朝廷と深い関係があったと思われています。
 吉備津彦神社では吉備津神社と同じ大吉備津彦命を祀っています。この神は桃太郎のモデルといわれています。日本紀には第7代の孝霊天皇の皇子で、四道将軍の一人として西国へおもむき、平定したと記されているそうです。
 大吉備津彦命の住居跡に吉備津彦神社の社殿が創建されたと推察されています。古くから備前国の一宮として尊崇を受け、広大な境内は、備前流造りの手法を伝える華麗な社殿を中心に、鶴島や亀島を配した蓬莱庭園になっています。
 これらの庭園が社殿と調和して、太古の神を祀る霊廟らしい荘厳な趣を出しています。日本一の大灯篭や日本一の備前焼大狛犬なども見ごたえがあります。夏至の日に太陽が随神門から昇り、社殿上を通過して沈むように造られていて、別名「朝日の宮」とも呼ばれています。
 戦国時代には、日蓮宗への改宗を迫る金川城主の松田左近将監によって社殿が焼き討ちに遭い、松田氏滅亡後、宇喜多直家が崇敬し、天正年間(1573-1592)に宇喜多秀家が造営に着手しました。しかし関ケ原の合戦で敗れたため頓挫しました。、
 江戸時代に入ると吉備津彦神社は岡山城主池田氏に崇敬されました。寛文8年(1668)池田光政が社殿の造営に着手し、延宝5年(1677)には300石の社領を寄進しました。その子、池田綱政が元禄10年(1697)に社殿を完成させています。
 境内には社殿の他に摂社・子安神社の他、稲荷神社、下宮、伊勢宮、幸宮、鯉喰神社、矢喰神社、坂樹神社、祓神社、岩山神社、楽御崎神社、尺御崎神社、楽御崎神社、鶴島神社、亀島神社、十柱神社、牛馬神社、卜方神社、祖霊社、龍神社などがあります。

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