滋賀県東近江市百済寺町に百済寺があります。
釈迦山百済寺は金剛輪寺、西明寺とともに湖東三山の一つです。そして、その中で最も古い天台宗のお寺です。推古天皇の頃、聖徳太子の勅願により、高句麗僧の恵慈(えじ)を導師に百済僧・道欣(どうきん)が創建したといわれています。堂塔は百済の龍雲寺を模して建てられたと伝えられています。
百済寺は平安時代に入ると、天台宗に改宗、無動寺の末寺として最盛期を迎えました。その伽藍は壮大で「湖東の小叡山」といわれ、堂塔3百余坊を容し「天台別院」とも称されたそうです。しかし文永11年(1274)の火災、明応7年(1498)の失火で堂宇のすべてを焼失しました。
文亀3年(1503)近江守護六角氏と被官伊庭貞隆の争いに巻き込まれ、天正元年(1573)には織田信長の焼き討ちで全山が灰燼に帰し寺宝も失いました。江戸時代、天海僧正の高弟亮算が尽力し、2代彦根藩主井伊直孝の援助で慶安3年(1650)に本堂、仁王門、山門などが再建されました。
百済寺の様子は、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの書簡に「多数の相互に独立した僧院、座敷と庭を備えた坊舎が立ち並び、まさに地上の天国」と記されています。百済寺本堂は国の重要文化財に指定され、境内は国指定史跡です。「日本紅葉百選」「近畿五大紅葉名所」にも選ばれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
日本一周 ブログランキングへ
にほんブログ村
http://blog.fc2.com/
釈迦山百済寺は金剛輪寺、西明寺とともに湖東三山の一つです。そして、その中で最も古い天台宗のお寺です。推古天皇の頃、聖徳太子の勅願により、高句麗僧の恵慈(えじ)を導師に百済僧・道欣(どうきん)が創建したといわれています。堂塔は百済の龍雲寺を模して建てられたと伝えられています。
百済寺は平安時代に入ると、天台宗に改宗、無動寺の末寺として最盛期を迎えました。その伽藍は壮大で「湖東の小叡山」といわれ、堂塔3百余坊を容し「天台別院」とも称されたそうです。しかし文永11年(1274)の火災、明応7年(1498)の失火で堂宇のすべてを焼失しました。
文亀3年(1503)近江守護六角氏と被官伊庭貞隆の争いに巻き込まれ、天正元年(1573)には織田信長の焼き討ちで全山が灰燼に帰し寺宝も失いました。江戸時代、天海僧正の高弟亮算が尽力し、2代彦根藩主井伊直孝の援助で慶安3年(1650)に本堂、仁王門、山門などが再建されました。
百済寺の様子は、ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスの書簡に「多数の相互に独立した僧院、座敷と庭を備えた坊舎が立ち並び、まさに地上の天国」と記されています。百済寺本堂は国の重要文化財に指定され、境内は国指定史跡です。「日本紅葉百選」「近畿五大紅葉名所」にも選ばれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/
日本一周 ブログランキングへ
にほんブログ村
http://blog.fc2.com/