京都府宇治市宇治蓮華に平等院があります。
平等院は宇治川を挟んで宇治神社の対岸にあります。平安時代後期の天喜元年(1053)、関白藤原頼通によって建てられました。この付近は平安時代の初めに貴族の別荘が多くあったところです。現在の平等院の地は、光源氏のモデルともいわれる左大臣・源融(とおる)の別荘でした。
その後、宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て、長徳4年(998)に摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となりました。万寿4年(1027)に道長が亡くなると、その子・頼通の所有となり、宇治殿はお寺に変えられました。その時、三井寺にあった平等院という寺名を使ったということです。
極楽浄土を再現し多くの堂舎が整備された平等院ですが、治承4年(1180)、以仁王を奉じた源頼政と平家との合戦、建武2年(1335)の楠正成と足利尊氏との合戦で兵火に遭い、阿弥陀堂(鳳凰堂)を除きほとんどが焼失し、応仁の乱で衰亡しました。
本堂、懴法堂、小御所、法華堂、多宝塔、五大堂、不動堂、経蔵は今はありませんが、阿弥陀堂であった鳳凰堂は、奇跡的に戦災を免れました。平安時代の貴族が建立したお寺で建物、仏像、壁画、庭園まで残存しているのはここ平等院だけです。
鳳凰堂は国宝に指定され、観音堂は国の重要文化財に指定されています。本尊の阿弥陀如来像、雲中供養菩薩52体、木造天蓋、鳳凰1対、梵鐘、壁扉画14面すべて国宝に指定されています。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/

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平等院は宇治川を挟んで宇治神社の対岸にあります。平安時代後期の天喜元年(1053)、関白藤原頼通によって建てられました。この付近は平安時代の初めに貴族の別荘が多くあったところです。現在の平等院の地は、光源氏のモデルともいわれる左大臣・源融(とおる)の別荘でした。
その後、宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て、長徳4年(998)に摂政・藤原道長の別荘「宇治殿」となりました。万寿4年(1027)に道長が亡くなると、その子・頼通の所有となり、宇治殿はお寺に変えられました。その時、三井寺にあった平等院という寺名を使ったということです。
極楽浄土を再現し多くの堂舎が整備された平等院ですが、治承4年(1180)、以仁王を奉じた源頼政と平家との合戦、建武2年(1335)の楠正成と足利尊氏との合戦で兵火に遭い、阿弥陀堂(鳳凰堂)を除きほとんどが焼失し、応仁の乱で衰亡しました。
本堂、懴法堂、小御所、法華堂、多宝塔、五大堂、不動堂、経蔵は今はありませんが、阿弥陀堂であった鳳凰堂は、奇跡的に戦災を免れました。平安時代の貴族が建立したお寺で建物、仏像、壁画、庭園まで残存しているのはここ平等院だけです。
鳳凰堂は国宝に指定され、観音堂は国の重要文化財に指定されています。本尊の阿弥陀如来像、雲中供養菩薩52体、木造天蓋、鳳凰1対、梵鐘、壁扉画14面すべて国宝に指定されています。平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されました。
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