旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

涌峯塔

2017年09月15日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡高坊に石清水八幡宮があります。
 涌峯塔(ゆうほうとう)は石清水八幡宮神苑でひときわ目立つ近代的な高い塔です。高さ18.3mで、昭和59年(1984)に清水九兵衛氏設計で建てられています。涌峯塔は給水塔にもなっています。山上では水圧が低いため、一度ポンプで塔の高いところに上げてから配水しているそうです。

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石清水八幡宮五輪塔

2017年09月14日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡高坊に石清水八幡宮があります。
 石清水八幡宮の五輪塔は頓宮殿の西側に建てられています。高さ6mの日本最大級の五輪塔で、下部の方形の一辺は2.4mあります。宋と貿易をしていた尼崎の商人が石清水八幡宮に祈願し、海難を避けられた御礼と感謝のために建立したそうです。鎌倉後期 (1275-1332)に造られた石造五輪塔で昭和32年(1957)に国の重要文化財に指定されています。

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石清水八幡宮頓宮南門

2017年09月13日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡高坊に石清水八幡宮があります。
 石清水八幡宮の頓宮の入口には南門が建てられています。両袖には長い回廊が広がっています。この南門は、もと上院の南総門で、昭和14年(1939)に移築したものです。頓宮殿と同様に桧皮葺屋根から銅板葺屋根に葺き替えられています。

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石清水八幡宮頓宮殿

2017年09月12日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡高坊に石清水八幡宮があります。
 頓宮(とんぐう)とは祭礼のときに、神霊が
仮に鎮座する社殿で、一般の神社では御旅所(おたびしょ)といわれますが、石清水八幡宮では頓宮殿といわれます。幕末の鳥羽伏見の戦いで焼失し、男山48坊の一つ「岩本坊」の神殿を移築し 仮宮としました。現在の社殿は大正4年に再建された建物です。

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石清水八幡宮高良神社

2017年09月11日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡高坊に石清水八幡宮があります。
 石清水八幡宮の高良神社は旧八幡町の産土神で、境内の摂社の中で一番篤い崇敬を受けています。行教が貞観2年(860)、または貞観11年(869)に創建したといわれています。吉田兼好の「徒然草」には、石清水八幡宮参詣にきた仁和寺の和尚が、間違って高良神社に参詣したことが記されています。
 仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、或る時思い立ちて、ただひとりかちよりもうでけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さてかたへの人にあひて、
  「年頃思いつることはたし侍りぬ。
聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけむ。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思いて、山までは見ず」
 とぞいひける。すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり。

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石清水八幡宮

2017年09月10日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡高坊に石清水八幡宮があります。
 石清水八幡宮は、木津川、宇治川、桂川の合流点である山崎の左岸にある男山の山頂に上院があり、ふもとに下院があります。川の対岸に羽柴秀吉と明智光秀の天下分け目の合戦が行われた天王山が見えます。京都の西南の裏鬼門に当たり、北東の鬼門にある比叡山延暦寺と対峙しています。
 社伝によると貞観元年(859)九州の宇佐八幡宮に参籠していた奈良の大安寺の僧・行教が八幡大神より「吾れ都近き男山の峰に移座して国家を鎮護せん」とのお告げを受けたといいます。翌年、清和天皇が男山に六宇の宝殿を造営して八幡大神をお祀りしたのが始まりだと伝えられています。
  標高82mの男山の中腹には霊泉「石清水」が涌き出ていて、石清水八幡宮の名に由来しています。千年の昔、京から大和の長谷寺(はせでら)詣でをする女人たちは、かならずといっていいほど、男山の石清水八幡宮に立ち寄ってお参りをし、旅の無事を祈願したそうです。
 石清水八幡宮は誉田別尊(ほんだわけのみこと)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)、多岐津毘売命(たぎつひめのみこと)を祀っています。誉田別尊は応神天皇であり八幡大神(はちまんおおかみ)の主神です。息長帯比売命は応神天皇の母親で、多岐津毘売命は海の神です。
 天慶2年(979)の平将門・藤原純友の乱が八幡大神の神意によって平定されてからは国家鎮護の社として崇敬され、伊勢神宮に次ぐ第2の宗廟となりました。平安時代中期に清和源氏の流れをくむ源頼信によって源氏の氏神と定められ、源氏の隆盛で、全国各地に八幡信仰が広まりました。

 甲斐武田氏の神器として知られる御旗を所有した源頼義が家紋の繁栄を祈願し、その嫡男・義家は石清水八幡宮で元服し、神名の「八幡太郎」を授かっています。武家の守護神として敬われ、源氏、平家、足利、織田、豊臣、徳川と歴代将軍家や戦国武将たちに受け継がれていきました。
 石清水八幡宮本社の本殿、幣殿、舞殿、楼門、東門、西門、廻廊は寛永11年(1634)に3代将軍徳川家光によって建造されたものです。本殿は、間口約18mの内殿と外殿を前後に並べ、内部を一体化させた八幡造り(はちまんづくり)と呼ばれる建築様式です。
 平安時代後期からの社殿形式を保ちつつ、極彩色の彫刻を施した欄間や飾り金具など、華やかな装飾を備えた完成度の高い神社建築です。平成28年(2016)に本社本殿、摂社武内社本殿、瑞籬、幣殿、舞殿、楼門、東門、西門、廻廊など10棟と棟札3枚が国宝に指定されました。

 本殿と外殿は、前面の外殿と奥の本殿の間に相の間が設けられています。本殿は三間社切妻造り、外殿は三間社流造りで、2つの建物の軒に接するところに黄金の樋がかけられています。これは織田信長が社殿を集造した時に、木樋から唐金の樋に変えたものです
 吉田兼好の徒然草にも石清水八幡宮の下院の高良神社などをお参りして肝心の上院の本殿にはいかなかった僧が登場します。明治初年に「男山八幡宮」と改称されましたが「石清水」の社号が創建以来の由緒深いものであったため、大正7年(1918)に再び石清水八幡宮と戻されたそうです。

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 京都府八幡市八幡高坊に石清水八幡宮があります。
 石清水八幡宮の高良神社は旧八幡町の産土神で、境内の摂社の中で一番篤い崇敬を受けています。行教が貞観2年(860)、または貞観11年(869)に創建したといわれています。吉田兼好の「徒然草」には、石清水八幡宮参詣にきた仁和寺の和尚が、間違って高良神社に参詣したことが記されています。
 仁和寺にある法師、年よるまで岩清水を拝まざりければ、心うく覚えて、或る時思い立ちて、ただひとりかちよりもうでけり。極楽寺、高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。さてかたへの人にあひて、
  「年頃思いつることはたし侍りぬ。
聞きしにも過ぎて尊くこそおはしけれ。そも、参りたる人ごとに山へ登りしは、何事かありけむ。ゆかしかりしかど、神へ参るこそ本意なれと思いて、山までは見ず」
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大山祇神社

2017年09月09日 | 旅 歴史
 京都府南丹市園部町大河内溝の上に大山祇神社(おおやまずみじんじゃ)があります。
 大山祇神社の創建は天暦三年(949)に藤原純索(すみもと)が神明谷に熊野三所権現を祀ったのが最初で、後に楠正季(まさすえ)が文中3年(1374)に現在の地に遷座したと伝えられています。本殿は応永26年(1419)に下村義親、田井義高らの力で再建されたといわれています。
 大山祇神社は宰玉山神明社、祭神ノ神、開明山大社、開明山田大社などと社名を変え、祇園さんとも呼ばれたそうです。明治3年(1870)までは開明山田大社という社名だったそうです。大山祇神社ですが 祭神は大山祇神ではなく、熊野夫須美大神・家都御子大神・御子速玉大神を祀っています。

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伊佐家住宅主屋

2017年09月08日 | 旅 歴史
 京都府八幡市上津屋浜垣内に伊佐家住宅があります。
 伊佐家住宅の主屋は間口11間半(23.8m)、奥行5間半(11.3m)、単層一部2階、入母屋造り、茅葺き(一部桟瓦葺き)の建物で、享保19年(1734)の建立です。厚く低い軒先をもった正面は豪壮な構えです。支える柱や梁はどっしりと太く、庄屋の屋敷らしいたたずまいです。昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されました。

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伊佐家住宅

2017年09月07日 | 旅 歴史
 京都府八幡市上津屋浜垣内に伊佐家住宅があります。
 伊佐家住宅は江戸中期の南山城地方における代表的な庄屋屋敷で棟札などから享保19年(1734)に建てられたことが判明しています。主屋が昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定され、長蔵、内蔵、東蔵、乾蔵、普請文書、古図、宅地などが昭和55年(1980)に追加指定されています。
 伊佐家は江戸幕府の直轄地である天領、浜の庄屋を代々勤めたという家柄です。敷地は約2千600平方mと広く、周囲に石垣が築かれ、壕の跡まで残っています。屋敷の裏側は竹薮で囲み、竹薮と屋敷とを区切る堀をめぐらせています。

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正法寺唐門

2017年09月06日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡清水井に正法寺(しょうぼうじ)があります。
 正法寺の唐門は前後が唐破風造り、側面が入母屋造りのめずらしい四脚門です。銅板葺きで、左右に袖塀が付いています。本堂と同じ寛永7年(1710)に建てられ、御成門としての格式の高さを示しています。本堂、大方丈とともに国の重要文化財に指定されています。

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正法寺大方丈

2017年09月05日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡清水井に正法寺(しょうぼうじ)があります。
 正法寺の大方丈は間口18.7m、奥行12.2m、単層、入母屋造り、銅板葺きです。本堂と同じ寛永7年(1710)に建てられています。6間取りの方丈形式で、違い棚と付書院が対面し、上段の間は対面所として使われました。金箔の襖絵は江戸時代初期の絢爛豪華な趣を伝えています。大方丈は玄関、中門、土塀、獅子口とともに国の重要文化財に指定されています。

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正法寺本堂

2017年09月04日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡清水井に正法寺(しょうぼうじ)があります。
 正法寺の本堂は寛永7年(1710)に建てられています。間口5間、奥行7間、単層、入母屋造り、本瓦葺きで3間の向拝が付いています。内陣の円柱や組物に極彩色の文様を施し、垂木にかぶせられている逆輪(さかわ)は金箔張りで華麗です。本堂は銘札1枚、鬼瓦1個とともに昭和59年(1984)に国の重要文化財に指定されています。

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正法寺

2017年09月03日 | 旅 歴史
 京都府八幡市八幡清水井に正法寺(しょうぼうじ)があります。
 徳迎山正法寺は浄土宗のお寺です。正法寺は源頼朝の御家人で石清水八幡宮の社家・志水氏の祖となった高田忠国が開基となり、建久2年(1191)に創建したと伝えられています。
 それ以後、志水氏の菩提所となり、第11世伝誉上人の天文15年(1546)には後奈良天皇の祈願所となっています。現在唐門に掲げられている「徳迎山」の額と、本堂に掲げられている「正法寺」の額は後奈良天皇から額字を賜ったものです。
 桃山時代末期の文禄3年(1594)、志水宗清の娘お亀(後の相応院)が、徳川家康の側室となり、慶長5年(1600)に後の尾張藩祖・義直を生み、生母となりました。その後、亡くなってからは相応院の菩提寺として、江戸時代を通して尾張藩の厚い庇護を受けました。
 明治に入り、神仏分離令後の廃仏毀釈により、石清水八幡宮の八角堂が正法寺の境外堂宇として車塚古墳上に移され、仏像、木像も移されました。八角堂は建保年間(1213-1219)に石清水八幡宮の社家善法寺祐清が建立したもので、慶長12年(1607)に豊臣秀頼によって再建された建物です。
 現在の正法寺の伽藍は相応院が寄進したもので、寛永6年(1629)頃に建立されました。本堂、唐門、大方丈は国の重要文化財に指定され、小方丈、書院、鐘楼は京都府の有形文化財に指定されています。石清水八幡宮の本地仏で八角堂に安置されていた阿弥陀如来坐像は国重文で京都国立博物館寄託となり、現在は、宝物館の法雲殿に収蔵されています。

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向日神社本殿

2017年09月01日 | 旅 歴史
 京都府向日市向日町北山に向日神社があります。
 向日神社の本殿は三間社流造りの檜皮(ひわだ)葺きで、室町中期の応永29年(1422)に建てられました。正面3間の柱間のうち、中央間のみを戸口とし、両開きの板唐戸を設け両脇間に寺院建築に見られる連子窓が付いています。明治35年(1902)に国の重要文化財に指定されています。

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