7時半、起床。バタートーストと牛乳の朝食。こういうシンプルな朝食のときは、昼食にボリュームのあるものを食べようと考えているのである。
昼食はまた「大衆食堂越中屋」に食べに行く。昨日の今日であるが、一種のひと目惚れというか、「越中屋」についてもっと知りたい。あれとこれを頼んでみようとか、なぜ肉野菜炒めと野菜炒めが同じ値段(250円)なのか聞いてみようとか。
ところが、勢い込んで出かけたのだが、店の外に「準備中」の札が出ている。まだ午後1時である。いくら老夫婦でやっている店とはいえ、1時から中休みというのは早すぎるだろう。もしかして土日は休みなのか。いや、休みであれば暖簾が出ているのは変だ。やはり午後1時から中休みなのだろうか。また1つ解明すべき謎が生まれた。
それではということで、先日、営業中なのに店内に誰もおらず、諦めて出てきた「喜八食堂」に行ってみる。ちゃんと営業中で、ガラス戸越にカウンターに座っている客の背中が見える。たぶん女性でこの店に一人で入れるという人は少ないであろう。私とてそうそう気楽に入れるタイプの店ではない。深呼吸をして、気合を整えて、引き戸を開ける。
店内には先客が二人いた。L字型のカウンター席の一辺に一人、もう一辺に一人、どちらも常連客で互いに知り合いのようで、カウンターの中の主人と3人で喋っている。アウェー感を全身に感じながら、店主に会釈をする。客の一人が席を立って、私がカウンターの奥の席に行けるようにしてくれた(カウンターと壁の間がそれほど狭いのだ)。礼を言って奥の席に着く。
下の写真は今日撮ったものではない。先日、来たときに、「すみませ~ん」と三度店の奥に向かって呼びかけながら、店の人が出てくるのを待ちながら、撮った写真である。私が座ったのはカウンターにポン酢が置いてある辺りである。席に着いて、背後の壁に貼られた品書きを見ながらフライの盛り合わせ(380円)とご飯と味噌汁を注文する。その後で横の黒板に書かれたメニュー気づき、鯖の味噌煮(260円)を追加で注文する。ご飯と味噌汁がいくらなのか書かれていないので、合計がいくらになるかはわからない。
そのうちにもう一人客が入ってきて、さっき席を立って道を開けてくれた客と私の間に座った。この客も常連客のようですぐに先客とご主人の会話に加わった。みんな冷奴や野菜炒めを肴にお酒を飲んでいる。昼間からやっている居酒屋のようである。彼らにとってここは社交場であり、居場所なのである。地元の男たちの世界だ。みんなチャールズ・ブロンソンのような面構えをしている。
壁にかかった調理師免許の名前は「喜八」ではなかった。店名はご主人の名前とは無関係のようである。「喜ぶ」に「末広がり」の縁起のいい店名なのだろう。
私が注文した料理ができあがった。ご飯と味噌汁を頼んだのだが、沢庵と白菜のお新香が付いてきた(「越中屋」ではお新香もメニューにあって150円だった)。味噌汁の実は浅利である(「越中屋の30円の味噌汁は若布だった)。100円はするだろう。でも、浅利の味噌汁は嬉しい。フライの盛り合わせは、トンカツ、ハムカツ、そして鮪のフライの3種。トンカツはとくに言及するほどのものではないが(「鈴文」のとんかつとは比べるべきものではない)、ハムかつと鮪のフライは好物で、しかも普通の洋食屋では食べられないので、嬉しかった。鯖の味噌煮は大衆食堂の象徴的メニューというべきもので、期待通りの味付けでだった。
支払いはちょうど900円だった。ということはご飯+味噌汁+お新香で260円ということだ。浅利の味噌汁で260円というのは安いのではなかろうか。これに生卵を付けたら朝食として十分である。
食後のコーヒーは駅の方まで歩いて「シャノアール」で。「あるす」は「喜八」のそばだが、今日はおしゃべりではなく、一人の時間を楽しみたかった。カフェにもおしゃべりに向いた店と一人の時間を過ごすのに向いている店がある。「あるす」のように小さい店では、店の人とおしゃべりをしないのはかえって不自然である。「シャノアール」や「ルノアール」のようなチェーン店は一人の時間を過ごすのに適している。
デジタルカメラで撮った写真をコンビニでプリントして、日誌に貼り付ける作業をする(こういうときのために鞄の中には小さなハサミとスティック糊がいつも入っている)。
3時頃から雨が降り始めた。予想より早い。夜、だんだん風雨が激しくなってくる。
しかし、いま、深夜の2時半、すでに峠は越えたようである(台風の目の中ってことはないよね)。