7時45分、起床。
我が家の紫陽花が見頃を迎えている。
これは古典的な紫陽花。紫陽花といえば、こういうイメージだろう。
こちらは新種の紫陽花。こういうのもあるんだ。
パン、ベーコン&エッグ、サラダ、牛乳、紅茶の朝食
今日は水曜日。今日中に明日から公開のオンデマンド授業「日常生活の社会学」をアップしておかなくてはならい。
午前中に「講義」(音声)のパート2の放送台本を書き上げる。
昼食前に昨夜書き上げた「講義」(音声)のパート1の放送台本を元に収録作業をする(25分)。夜間の収録であれば周囲の雑音(電話や宅配便のピンポンなど)はあまり気にしなくてよいのだが、昼間だとリスキーである。
昼食はもり蕎麦。かき揚げをトッピングして。
書斎に戻って作業の続き。窓が西側にあるので、夏の午後はクラーを入れずにはいられない。もっとも通常であれば、午後は大学に出ていたり、そうでない日も昼食を食べがてら外に出ているので、部屋にいる時間は短いのであるが、最近はそういうわけにはいかない(さすがにまだクーラーは使っていないが、収録中は窓を閉めるので少々暑い)。
「講義資料」を作成。動画のない音声だけのラジオ講座のような授業なので、ダウンロードして手元に置きながらメモを取りながら聴いてもらうための資料である。パワポで作成しPDFにしてアップする。
「講義」(音声)のパート2の収録をする(28分)。
完成した「講義資料」「講義」(音声)2部、「課題」(レビューシート)一式をムードルにアップして作業終了。学生がアクセスできるのは、今夜、日付が変わってから。
散歩に出る。
近所の専門学校のキャンパス。学生たちの姿はない。ここもオンライン授業なのだろう。
「プラハの演奏家」というタイトルのついた彫像。ジャズメンに見えるのだが。
緊急事態宣言が解除されて、駅前は普段の人出である。
駅ビルも金曜日から全館営業再開とのことである。
サンカマタ商店街の「ラ・パン」の前を通る。本日の食パンは完売である。
ラフランスのジャムを購入。食パンではなく、これが買いたかったのだ。
帰宅する前に近所の「まいばすけっと」でアイスとカレー煎餅とアーモンドチョコレートを購入。
夕食は地鶏三色丼、サラダ(+笹かまぼこ)、蕪の味噌汁。
デザートは葡萄。
夕方に収録した「講義」(音声)パート2に付け加えたい内容があったので、放送台本に加筆して、再収録(29分30秒)。アップしているものと差し替える。
今日が締め切りのレビューシート。駆け込みで提出された30枚ほどに目を通す。
卒業生のアオバさん(論系ゼミ2期生)から彼女が参加している「もぐら会」の同人誌が送られてきた(事前にLINEで連絡をいただいていた)。全部のページが袋とじになっていて、添付の栞をペーパーナイフに使って個々の作品を読むという凝った造りである。
とりあえずアオバさんの作品を読む。「天気雨の木曜日」というタイトルの作品だ。両親の間に起こった出来事(それは一般にいえば不幸な出来事である)を知って、「大きな成功も挫折もない平坦な私の人生」の免罪符を得たような気持ちがしたというのがモチーフの作品だ。
「そして私は気がついてしまったのだ。私はずっと不幸になりたがっていたのかもしれない、と。うまくやれない自分が許されるために。漫然とした生きづらさではなく、同情をもらえ、誰かに庇ってもらえるような、わかりやすい傷がほしかったみたいだ。」
私のゼミのテーマは「ライフストーリー」(人生の物語)だが、「成功の物語」や「幸福の物語」を追い求めながら、それゆえに、思い通りにならない人生に悩むというのがわれわれの姿である。このとき、自分の責任に由来しない(育った家族や、生まれつきの身体や、学校での理不尽ないじめなどに由来する)「不幸の物語」が「生きづらさ」とバランスをとって生きていくために求められるという逆説がはっきりと自覚され、文章化されている。読み応えのある作品である。
彼女がこれまでに「note」にアップした文章は→こちら
深夜、ウォーキング&ジョギング(4キロほど)。
2時45分、就寝。