8時半、起床。
チーズトースト、目玉焼き、ソーセージ、サラダ、牛乳、珈琲の朝食。
最終回の『ブギウギ』。引退コンサートということでこれまでの主要な登場人物が集まった(登場させやすい設定だった)。しかし、全員というわけにはさすがにいかなかった。幼馴染のタイ子とその息子(靴磨きの少年)の姿はなかった。福来スズ子の楽団のメンバーの姿もなかった(楽団のお金を持ち逃げした五木はどうしているだろう)。スズ子が間借りをしていた小村夫婦は戦災で死んでしまったのだろうか。「はな湯」を継いだゴンベエ夫婦はどうしているだろう。そして「はな湯」の常連客たち(とくにアホのおっちゃん)は元気だろうか。気になる人々は多い。この点、『ひよっこ』は完璧だったな。
朝からの雨は昼には上がった。
我が家の桜も開花が進んでいる。
昨日のブログをアップしてから昼食を食べに「ホンズ・キッチン」へ。
ホンさんとお久しぶりですの挨拶。「忙しい?」と聞かれたので、入院・手術のことを話す。
ブン・チャージョーを注文。揚げ春巻ののった汁なし麺に甘酢を掛け回して食べる。
ホンさんが買物の出たので、ウェイさんとおしゃべり。今年、花粉症になってしまったそうだ。
その足で大学へ。今日は夕方から現代人間論系の教員懇親会があるのだ。
東京ステーションギャラリーで開催中の「生誕120年 安井仲治」展を覗いていく。
安井仲治は1903年に大阪に生まれ、1942年に37歳の若さで病死した。戦後、しばらくは忘れられた写真家だったが、1970年代から再評価は始まり、森山大道が「安井仲治という大きな山領」とリスペクトしたことで若い世代にも知られるようになった。
安井仲治の作品は、「芸術写真」(絵画風の写真)から始まって、「新興写真」(都市の風景や労働者たちをルポルタージュ風に撮った写真)を経て、「シュルレアリスム」と移行していったが、決して新しい層が古い層に入れ替わるわけではなく、何層にも積み重なって厚みのある作風が形成されていったと見るべきだろう。
ポスターに使われている作品の中では、私はビルの窓辺に3人の女性(モデルだと思う)を配した1939年の「作品」というタイトルの写真が好きである。安井仲治が亡くなる3年前の作品であるが、「芸術写真」とも「新興写真」とも「シュルレアリスム」とも分類できない写真である。
会場を出たロビーで撮った一枚。以下、「安井仲治風」のスナップを数枚。
ロビーの窓越しに撮った東京駅丸の内中央口前の風景。
丸の内北口前の横断歩道。
「オアゾ」ビル前の広場。
さて、大学へ。
スロープの上の桜はまだ全然咲いていない・・・と思ったら。
三輪咲いていました。
研究室のカギを忘れてしまったので、教員ロビーでカギを借りて入り、でも、教員ロビーの閉室時間が迫っていたので、パソコンでメールのチェックをしてから、カギを返却し、中庭のベンチに座る。
ベンチに座って見上げる中庭の空。雲一つない。
39号館前の桜もまだ咲いていない。
でも、八重椿はいつも通りのタイミングで咲いている。
卒業式が行われた早稲田アリーナは入学式の準備に入っている。
「単位と和解せよ」の立看が今年も目を引く。
立て看のある大学も少なくなっているのだろう。
懇親会は6時からなのだが、まだ30分以上ある。
会場は本キャン南門前の「高田牧舎」なのだが、ちかくのカフェで時間をつぶすことにしようと「ぷらんたん」へ行くと、「準備中」(営業終了)の札が出ていた。
それではと「早苗」に入る。
早苗スペシャルブレンドを注文する。
6時5分前まで滞在。
6時数分前に「高田牧舎」に入ると、ほとんで全員がすでにいらしていた。遅刻じゃないからね、もっと前から近くには来ていたんだかんね(東海林さだお風の口調で)と心の中で呟きながら空いている席に座る。
それから2時間半ほど、食事をしながら、歓談した。楽しい会だった。事前に主任の森山先生から頼まれていた通り、私が締めの挨拶をして一次会は終了。多くの先生方は二次会に向かわれたが、私はここで失礼する。
10時前に帰宅。
風呂から出て、今日の日記を付ける。
1時、就寝。