温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

台湾の国道最高地点「武嶺」へドライブ その3(3275mの武嶺へ)

2015年09月25日 | 台湾
※今回の記事に温泉は登場しません。今回どころか、来月中旬まで、当分の間は温泉と無関係の記事が続きます。申し訳ございません。あしからず。
前回記事の続編です。

 
【14:15 泰山隧道(文山温泉入口・標高575m・台8線167.7km地点)】
文山温泉で太魯閣峡谷の自然の恵みを存分に堪能した後は、急な階段を駆け上がって車に戻り、国道最高地点の武嶺を目指すべく、体から放つ硫黄の匂いを車内に充満させながら、ハンドルを握ってドライブを再開させました。


 
素掘りのトンネルを抜け、崖の上を走り…


 
【14:32 標高1000m地点】
泰山隧道から15分強で標高1000メートル地点を通過です。まだ越すべき高さの3分の1にも達していません。険しい山中の道ですから、たまに1台しか通れない狭隘区間があるものの、ほとんどの場所で1.5台分の道幅があるので、乗用車同士の行き違いならほとんど問題なく、特に運転しにくいような場所はありません。


 
【14:35 洛韶(標高1117m・台8線154km地点)】
道路管理事務所をはじめとして、数棟の建物が集まっている洛韶付近は道幅が広くて快適。青い空と緑の山に赤い欄干が映えていました。標識によればこの付近から先、大型バス(甲類大客車)は通行禁止とのこと。


 
【14:44 華緑渓(標高1380m・台8線148km地点)】
【14:50 標高1500m地点】
走りやすいワインディングを順調に登ってゆきます。あっという間に標高1500m地点を通過。


 
ところどころで道幅がキュッと窄まって、トンネルを潜ったり鉄橋を渡ったり。



【15:13 標高2000m地点】
ただ標識が立つだけの標高2000m地点をパス。高さとしては既に半分を越えていたんですね。


 
 
【15:18~15:23 碧緑神木(標高2150m・台8線128.3km地点)】
ワインディングのドライブに疲れはじめた頃、碧緑神木というポイントに差し掛かったので、ここで小休止することに。碧緑神木とは樹齢3000年を越すマザーツリーと言うべき杉の大樹で、中横公路の沿道では最も高い木なんだとか。ここには駐車場やトイレがある他、路傍ではカフェが営業していました。私は利用しておりませんが、飲食店が極めて少ない天祥以西で、お茶や軽食ができる店は貴重な存在であり、家族連れやカップルなど多くのお客さんが出入りしていました。


 
 
碧緑神木から10分ほど走った先の見晴らしが良いところでイワツバメの大群が飛び交っていたため、車を路肩に止めて辺りを見回してみたら、道路の真下はほぼ垂直に切り立った断崖で、あまりの高低差に怖くなり足がすくんでしまいました。こんな険しい地形に道を切り拓く人々の努力に心から感服です。


 
【15:45 関原(標高2374m・台8線117.4km地点)】
フロントガラスに「中油」の二文字が見えた時にはビックリしました。こんな僻地且つ高地なのに、ガソリンスタンドが営業しているとは! この関原にある「中油」は台湾で最も高いところにあるガソリンスタンドなんだそうですが、ここまで油を運搬してくるタンクローリーのドライバーさんは大変だろうなぁ。見方を変えれば、それだけこの道は交通量が多くて給油需要があるということなんですね。
日本における一般車が通行可能な最高地点は山梨長野県境の大弛峠で標高2360mですが、それよりも高い位置に設けられているんですから、台湾ってすごい。



【15:52 標高2500m地点】
関原を通り過ぎて、中央山脈の山頂を結ぶ稜線が見え始めたころ、これまで登り一辺倒だった坂道は一転して下りに入り、「あれあれ?そんなに下って大丈夫?」と不安を覚えた辺りで再び登り返しました。2500メートル地点を通過して間もなく…


 
【15:53 大禹嶺(標高2565m・台8線112km地点・台14甲線41.7km地点)】
中横公路の要衝である大禹嶺へたどり着きました。あたりには商店や屋台が連なっており、花蓮から上がってきたオレンジ色の花蓮客運バスが停車していました。道はここで二又に分岐しており、右へ折れてトンネルに入ると台8線の梨山方面、道なりに左の方へ進むと台14線の合歓山・武嶺・埔里方面です。私は武嶺を通過したいので、ここで台8線とお別れして道なりに左へ進み、台14甲線へと入ります。
大禹嶺からは勾配が一層きつくなるのですが・・・


 
大禹嶺以降で注目すべきは上画像に写っている青い丸の標識です。イラストでお分かりかと思いますが「チェーン装着」の注意喚起なのであり、サインの下には「雪季期間 輪胎加鏈」(雪シーズンにはタイヤにチェーンを塡めよ)と記されています。つまり冬期は積雪するんですね。台湾でチェーンとは意外です。



大禹嶺では「雪鏈租售」と書かれた貸しチェーン屋さんを見かけました。常夏の台湾で、こんな高山以外ではスタッドレスやチェーンなんて不要ですから、大禹嶺ならではの商売と言えそうです。


 
【16:04 標高3000m地点】
アクセルを踏み込んで、大禹嶺からより一層きつくなった勾配を登ってゆくと、やがて森林限界を抜けて視界を阻むものが無くなり、全区間にわたって見晴らしが良くなりました。登山で3000m越えなら何度か経験ありますが、車で越えるのは我が人生で初めての体験。ここまでくれば下界より空気がいくらか薄いはずですが、今回借りたトヨタのYaris(日本名Vitz)は空気の薄さをものともせず、息切れ一つしないで順調に登ってくれています。
武嶺といえば自転車によるヒルクライムの聖地。3000m地点ではロードサイクルでピークを目指す人を見かけました。こんなところまで自転車で漕いで来られるだなんて、本当にすごい!


 
空の色も雲の様子も、下界とは全く違います。
このあたりでは、あたりの山々から下山してきたと思しきトレッキングのグループをたくさん見かけました。


 
【16:12~15 合歓山遊客服務中心(ビジターセンター)(標高3150m・台14甲線32.8km地点)】
合歓山遊客服務中心の周りにはものすごい台数の車が駐車しており、展望台では黒山の人だかりができていました。てっきり武嶺に到達できたのかと勘違いし、どんな眺望なのか自分の目で確かめたくなって、隙間なく駐車されている路肩に無理矢理車を突っ込んでみたのですが、案内掲示を読んだところ、サミット部分はまだ先であることを知り、混雑を避けてすぐに再出発。


 
規模の大きな宿泊施設「松雪楼」を眺めながらさらに先へ進むと・・・


 
 
【16:20 武嶺(標高3275m・台14甲線31.4km地点)】
ついに最高地点の武嶺まで登りきりました。3000メートルをはるかに越える山の上まで車で到達できるだなんて、日本じゃ考えられないことですね。広い駐車場が確保されていますが、週末なのでほぼ満車状態です。さすが高地だけあって、Tシャツ一枚では肌寒く、慌ててバッグから長袖を取り出して羽織ってから、展望台の上に立ちました。手を伸ばせば雲に出が届きそうな感じ。
険しいワインディングを長時間運転してきましたから、昼に太魯閣を出発したというのに、もう夕方に差し掛かっていましたが、せっかくこんな高い所まで到達しましたから、山を簡単に散策して見ることにしました。

次回へ続く

.
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾の国道最高地点「武嶺」へドライブ その2 文山温泉(2015年5月)

2015年09月23日 | 台湾
前回記事のつづきです。

※本記事の内容は2015年5月時点のものです。私の訪問後に台風被害が発生して歩道などが崩壊し、2015年9月23日現在、ゲートが閉鎖(施錠)されて立ち入りできない状態となっているようです。

今回の「中横公路」横断ドライブでは、台湾国道最高地点である「武嶺」を越えることが大きな目的ですが、太魯閣峡谷の有名野湯である「文山温泉」に入ることも二番目に大きな目的です。
険しい場所に湧く文山温泉は水害の度に閉鎖と再開を繰り返しており、2005年には土砂崩れによって犠牲者が出る事態に及んだため、つい最近まで閉鎖されていたそうですが、その後徐々に部分的な開放が実施され、2015年春の時点で入浴可能な状態であるという情報を得たので、ダメ元で行ってみることにしました。


 
【12:36 泰山隧道(文山温泉入口)】(台8線167.7km地点)
天祥から「中横公路」を2キロ西へ登ると、泰山隧道というトンネルが現れ、この手前(花蓮側)の路肩に7~8台駐められる駐車スペースがありので、まずはここにレンタカーを止め、野湯を楽しむ支度を整えます。支度と言っても大したことはなく、具体的には、予め(朝の出発時に)水着代わりの短パンを履いておき、バッグに水分・タオル・貴重品などを詰め込んだだけ。


 

【12:45 歩道を歩き始める】
トンネルポータルの右脇から伸びる文山歩道を歩き始めました。はじめのうちは、トンネルの外側と峡谷の間に挟まれた断崖の上をほぼ水平に移動するのですが・・・


 
間もなく長い階段が現れ、峡谷の底へ一気に直下します。高低差は100m近くあるでしょうか。往きは良い良い帰りは怖い。帰路にこの長い階段を上らければいけないかと思うとウンザリします。でも私はこの前日に栗松温泉で標高差300~400の山道を上下していますから、この程度の階段なら屁の河童。


 
階段は途中でヘアピン状に右へ折れるのですが、そこにはトイレ(兼更衣室)が設置されていますので、ここで水着に着替えることができるみたいです。トイレから先に進んで素掘りのトンネルを抜けると・・・


 
峡谷の対岸へ渡る吊り橋の登場です。同時に渡れるのは5人までという心細い橋です。


 
吊り橋の上からの眺める太魯閣峡谷の上流部は、山水画を現実世界に再現させたような、息を呑む絶景です。橋から真下の渓流を見下ろすと、人々が水着姿で水遊びしていました。橋の直下に文山温泉があるんですね。お天気に恵まれた野湯日和です。


 
橋を渡りきったところで、更に階段を下ります。階段の入口には「入っちゃダメよ」の看板が立っていますが、ここから先は自己責任で看板の脇を通り抜けます。


 
階段の後半は手すりがなく、ステップ自体も傾いでおり、足を滑らせたら滑落しちゃいそうで本当に怖い。しかも天井が低いので、上半身を屈ませながらバランスをとっていかねばなりません。下りきった後にその階段を振り返ってみると、まるで岩に呑み込まれるかのような感じ。岩盤が崩壊したら一巻の終わりですね。おそろしい…。


 
峡谷の底まで下りきりました。かつてはこのステップを下りきったところに大きな温泉槽があり、太魯閣屈指の観光名所として槽を埋め尽くほど多くの観光客で賑わっていたのですが、水害により崩壊して土砂が溜まってしまい、いまでは構造物の一部が残るばかりです。



【12:54 文山温泉 到着】
槽が破壊されても温泉は湧き続ける。槽の跡から川岸をちょっとだけ下流側へ歩くと、左岸の岩盤から大量の温泉がドバドバ流れ出ていました。文山温泉に到着です。
折からの渇水の影響で川の水位が非常に低く、河原をらくらく歩ける状態だったのですが、普段は岸いっぱいに奔流が迫っているんだとか。



上画像は岩からお湯が奔出する様子を川下側から撮影したもの。訪問時に入浴できそうな場所は、お湯が湧出する岩窟の内部、岩窟すぐ下の湯溜まり、それらから流れ出たお湯と川の水がブレンドされる小さな湯溜まりの計3ヶ所でした。


 
源泉は複数あって、湧き出るお湯からは硫黄の匂いが漂い、温泉がこぼれおちる岩の表面は真っ白に染まっていました。


 
川面からちょっと高いところに、ガリバーが巨大な斧で横からザックリ切り込んだような岩窟があいており、その奥で左右に走っている岩の裂け目から温泉がドバドバ大量に自噴しています。岩窟内にはこのお湯で湯船をつくるべく土嚢が積まれており、いい感じのお風呂が出来上がっていました。
プールされているお湯はほぼ無色透明ですが、底面には灰白色に染まっていました。46.1℃という結構熱い湯加減なのですが、湯船の周りに陣取っていた方々は、熱さなんてヘッチャラと言わんばかりに涼しい顔で湯浴みなさっていました。


 
 
怒涛の勢いで温泉が大量自噴する箇所に温度計を突っ込んだところ、この湧出口でも湯船と全く同じ46.1℃でした。とにかくお湯の量が多いので、湧き出たお湯はちっとも冷めることがないんですね。なお水素イオン指数はpH7.6でほぼ中性です。お湯を口に含んでみたところ、苦味を伴うタマゴ味と軟式テニスボールのゴムみたいなイオウ風味がミックスして感じられました。ツーンと鼻孔を刺激する硫化水素臭が強く、(話は前後しますが)湯上り後もいつまでも湯の香が体に残りつづけました。
数値を測り終えたら、この湧出口近くで実際に入浴です。熱いのでじっくり長湯するわけにはいきませんが、湧きたてのお湯はとっても気持ち良く、最高な湯浴みを楽しめました。


 
岩窟の湯船の下から一本の太いパイプが突き出ており、ここから45℃近い熱さのお湯が滝のようにドバドバ落ちています。このお湯を背中に当てて打たせ湯を楽しんでいる方がいたので、私もそれに倣ってチャレンジしてみたのですが、とにかくすごい勢いなので、気合いを入れて臨まないと水勢で体が砕け散りそうになりますし、熱いのでじっと当たっていられません。カメラのタイマーを設定して自撮りした際は、まさに滝行をしているような心境でした。


 
岩窟の湯船のお湯が溢れ出るところに、3~4人入れそうな湯溜まりができていましたので、ここでも入浴してみました。嵩が浅いので寝そべらないと肩まで漬かれませんが、岩窟の源泉より若干冷めて入りやすい温度になっており、この湯溜まりは他の方からも人気を集めていました。お湯は青みを帯びた灰白色に薄く微濁していました。


 
上述の湯船や湯溜まりから流れ出たお湯が川へ合流する河原にも、先客が手掘りでつくった一人サイズの湯溜まりがいくつかあり、ここは川水とブレンドされてマイルドな温度に落ち着いていましたので、枕代わりになる岩を適当に拾い、湯に寝そべって入浴してみたら、これがまたメチャクチャ気持ち良い。体が火照ったら、目の前の川に飛び込んでクールダウン。これもまた爽快です。
湯量豊富なので、野湯にありがちな淀みや鈍りとは無縁であり、どこの湯溜まりも実にフレッシュ。熱い湯もあれば適温もあり、川遊びも出来てとっても楽しく、太魯閣の自然を存分に味わえる素晴らしい温泉でした。

ところでこの文山温泉を擁する「太魯閣国家公園」は、日本統治時代に「次高タロコ国立公園」と称されていたんだそうですが、その当時から文山温泉は既に「深水温泉」としてその存在が知られており、台湾の方のブログで当時の画像が紹介されていました(こちらをご参照あれ)。また、台湾の国家図書館が提供している「台湾記憶」で調べてみたら、当時の写真を数枚見つけることができました。実際の画像は右リンク先でご覧ください(これこれなど)。当時は小さな東屋が立てられていたんですね。てっきり深い峡谷の水場に湧く温泉という意味かと思いきや、1914年の太魯閣事件の際に日本人の深水少佐がこの温泉を発見したことが名前の由来なんだとか。日本統治時代から人々に親しまれてきた文山温泉。最近再び豪雨の被害に遭い、立ち入りができなくなってしまったようですが、いよいよ永遠に過去のものとなってしまうのでしょうか…。


花蓮から天祥行(あるいは梨山行)のバスに乗車。天祥から徒歩25分+トレイルを10分歩行
花蓮県秀林郷富世村  地図

文山歩道開通行可能時は入浴可能ですが、2015年9月現在は歩道が封鎖されているため入浴不可。今月に入った頃から「太魯閣国家公園」公式サイト内の「遊歩道通行状況」一覧から文山歩道が削除されており、いつ再開されるか不明です。詳しくは「太魯閣国家公園」公式サイト(日本語版)をご覧ください。

私の好み:★★★
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台湾の国道最高地点「武嶺」へドライブ その1(太魯閣を抜けて天祥へ)

2015年09月22日 | 台湾
l※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。

日本の国道最高地点は群馬長野県境にある標高2172mの国道292号線・渋峠。自動車で到達できる一般道の最高地点は山梨長野県境の大弛峠で標高2360m。一般車が通行不可な道路を含めると、岐阜長野県境にある乗鞍スカイラインの畳平で標高2702mです。
国内でドライブする場合はどう足搔いてもそれ以上の高さへ自動車で行くことはできないわけですが、小さな日本の国土よりはるかに小さな台湾では、畳平より500m以上も高い標高3275mまで一般車で登ることができちゃいます。日本で不可能なことを体験するのは海外旅行の醍醐味ですよね。そこで今回は台湾国道最高地点である「武嶺」をレンタカーで越えて、花蓮から台中へ台湾を東西に横断することにしました。


前回記事で取り上げた安通温泉の「玉温泉」をチェックアウトした後は、台9線をひたすら北上し、花蓮の北部にある新城という街で台9線から分かれて、台8線「中横公路」へと入ります。分岐地点の標識には「太魯閣」「天祥」「梨山」の地名が並んでおり、この道が中央山脈へ真っ直ぐ続いていることを示していました。険しい山越えのルートですから開通状況が気になりますが、標識の左側に取り付けられている電光掲示板には「山岳エリア内ではヘッドライトを点灯し、落石や土砂崩れに気をつけて慎重に運転してください」とのメッセージが表示され、特に通行止めなどの情報は無いので、問題なく通行できそうです。
ここからは各地点の通過時間・標高・省道のキロ程を画像のキャプションに織り交ぜながら、記述を進めて参ります。


 
【11:35 太魯閣牌楼(台8線187.5km地点)】(地図
花蓮から中央山脈を越えて台湾を東西に横断する省道台8線は「中横公路」(東西横貫公路)と称しており、花蓮県側では台湾屈指の名勝である太魯閣峡谷を通過します。つまり「中横公路」のスタート地点は太魯閣峡谷(太魯閣国家公園)の入口でもあるわけですね。この入口にはいかにも中華風の楼門が立っており、観光客がこぞって記念撮影をしていました。
この楼門を潜って山岳ドライブいざスタート。


 
太魯閣峡谷エリア内に入ると、早くも眼前に峻険な景色が現れ、ものすごい高低差がある峡谷の底を道路が奥へ奥へと伸びています。ところどころで大規模な土砂崩れの跡が見られ、もし走行中に呑み込まれたらどうしようという恐怖感がこみ上げるのですが、そんな心配がバカバカしくなるほど「中横公路」は交通量が多く、危なっかしい箇所なんて気にしないと言わんばかりに、一般車や大型観光バスがビュンビュン行き交っていました。


 

【11:50~55 燕子口の吊り橋(台8線179km地点)】
深く刻まれた峡谷の中を走っていると、両岸の断崖を結ぶ吊り橋が目に入ってきました。ただアクセルを踏んで走行するだけでは芸がないので、ちょっとここで小休止することに。
この場所は燕子口と言い、断崖の表面にあく無数の小穴にイワツバメが営巣するという言い伝えが地名の由来なんだとか。見るからにスリリングなこの吊り橋を往復してみたかったのですが、辺りを散策する団体客は危険防止のためヘルメットを被っており、また、遊歩道の工事の関係なのかこの時は橋の入場に許可が必要だったので、残念ながら省道の歩道から眺めるだけに留めました。


 
車に戻ってドライブ再開。断崖を削って切り拓かれた道ゆえ、山の岩盤が頭上をオーバーハングしており、大型の観光バスは天井スレスレで走行しています。この日は週末だったので交通量が多く、観光バスもひっきりなしに往来していました。
高低差の有る断崖の横っ腹を削って造られた道といえば、個人的には富山県黒部峡谷の水平歩道を思い起こさずにはいられませんが、道としての規模は比較になりませんね。断崖絶壁が続く荒々しい景色は聞きしに勝る迫力で、ドライブするだけでもその景観に圧倒されました。台湾の道路ってスゲーなぁ。
当然ながらこの道路の開削には尋常ではない労苦や犠牲が払われたわけですが、中横公路の難工事で大きな貢献を果たしたのが、大陸から逃げてきた国府軍(国民党軍)の退役軍人たちです。広大な大陸で戦うための兵士達が九州ほどの大きさしかない台湾へ一斉に雪崩れ込んできたら、いくら共産党と対峙しなきゃいけないとしても軍事力として余剰であり、しかも退役後の軍人さんを支えるための社会的負担も膨大になってしまいます。もちろん何もしないでプラプラ遊ばせておくわけにはいきません。そこでこの中横公路の建設に際し、退役軍人を労働力として大量投入したんですね。日本で言えば明治期の北海道における屯田兵みたいなものかな。
今回は太魯閣峡谷を車で通り過ぎただけですが、いずれは時間をかけてゆっくり観光したいものです。


 
 
【12:10~33 天祥(標高485m・台8線169.7km地点)】(地図
中横公路のスタート地点から45分(約18km)で、太魯閣峡谷の観光拠点である天祥にたどり着きました。縁起の良い地名ですね。ここにはバスターミナル他、数軒の食堂や宿泊施設、そして広い無料駐車場があり、到着時はランチタイムだけあって観光客で大変賑わっていました。とりわけ大陸からの団体客が圧倒的な存在感を放っていましたが、これは台湾の観光地ならばどこでも同様ですね。
ちょうどお腹が空いたので適当に食事を摂りたかったですが、どの食堂も混雑していたので、手早く入手できそうなテイクアウト用の炒米粉を購入。付近のベンチに座って、ぬるくベタっとしたその米粉を胃袋へ掻っ込みました。観光地の飯がいまいちなのは万国共通…。



【12:35 標高500m地点】
山越えのルートはここから先が正念場で長時間を要しますから、天祥では軽食を済ませただけで、さっさと出発しました。花蓮方面からやってくる観光客の多くは天祥で引き返すらしく、天祥を過ぎると通行量がガクンと減ります。ここから先の路傍には、500m毎に標高を示す標識が建植されており、天祥を出発して間もなく標高500m地点を通過しました。この標識によれば1000m地点は13km先、1500m地点は24km先とのこと。3275m地点はまだまだ先…。

その2へ続く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安通温泉 玉温泉

2015年09月21日 | 台湾
前回記事で触れたように、玉里で食事を済ませたのは夜8時すぎ。そろそろこの日の宿を決めなければなりません。本当はもっと花蓮に近い場所まで到達しておきたかったのですが、あまり深い時間まで決断を遅らせると宿選びに苦労しそうな予感がします。そこで、玉里から程近い場所にある安通温泉へ向かって、宿探しをすることにしました。


 
安通温泉には数軒の旅館がありますが、3年前に泊まった「安通温泉飯店」は値段がちょっと高そうなのでパス。メインストリート沿いにある民宿の軒先を覗いたら、屋外温泉プールにお湯が張られていなかったのでここも断念…。結局、消去法で行き着いたのは川沿いに建つ比較的規模の大きな「玉温泉」でした。駐車場には大陸からの団体客を乗せてきたと思しきバスが停まっており、騒々しい賑やかな彼らと同宿するのはなるべく遠慮したかったのですが、もう時計の針は夜9時を指そうかとしていたので、妥協してここで一晩を越すことにしたのです。なお上2枚の画像は翌朝のチェックアウト後に撮ったものです。


●客室
 
団体が利用していたものの、客室数には余裕があるらしく、遅い時間帯でも問題なくお部屋を確保できました。この晩の客室はごくごく普通のツインルーム。テレビや冷蔵庫など各設備類の他、エアコンと扇風機が1台ずつ設置されていますから南国の暑さ対策にぬかりはありません。ベッドの上には田舎のラブホテルみたいな安っぽい天蓋が吊り下げられていました。Wifiは一応飛んでいるものの、電波が弱い上、ファイアウォールが働いちゃってちっとも機能せず…。


 
 
客室に付帯しているバスルームにはガッシリした造りの一人サイズのバスタブが据えられており、シャワー付きのカランからは46.8℃でpH8.4の温泉が吐出されました。そのお湯は無色透明で、弱い塩味と軟式テニスボールのような硫化水素感、そして僅かながらセルロイドのような匂いが感じられました。湯中では弱いツルスベ浴感が得られましたが、pH値の割には滑らかさが弱く、どちらかと言えば掴みどころの無い没個性なフィーリングです。なおフロントに掲示されていたデータには炭酸イオン(CO3^2-)が400~439mgと記されていたのですが、そんなに多いはずないので、炭酸水素イオン(HCO3-)の誤記じゃないのかな。


 
 
朝食は食堂でいただくバッフェスタイル。
おかゆメインの中式で、とても簡素な内容でした。



●屋外温泉プール
 
フロントの横から建物の裏手に出ると、家族でワイワイ楽しむ温水プールが広がっていました。こちらのお宿の目玉施設であります。


 
最も目立つのは中央の滑り台付きプール。朝と夜間、それぞれ1枚ずつ撮影しました。夜間は団体客の子どもたちがキャッキャとはしゃぎながら、何度も何度も上から滑って楽しんでいました。ぬるいお湯が張られていたのですが、温泉利用なのかな。


 
滑り台が子供向けならば、左端に位置するソラ豆のような形をした大きな浴槽は、大人が楽しむための温浴槽です。長湯できる36~7℃のお湯が張られており、ジェットバスや打たせ湯などおなじみの設備が揃っており、おじさんおばさんが気持ち良さそうな表情を浮かべながら、のんびり湯浴みしていました。夜間は槽内からライトが照らされていて、画像で見ると結構綺麗なのですが、お湯はかなり鈍っていますし、各装置を動かすためのスイッチは半数近くが故障していて、稼働するものでも勢いが弱かったりするので、総じてちょっと残念な感じ。


 
子供向け滑り台付きプールと、打たせ湯等の大人向けプールの間に挟まれる形で、小ぶりの槽が2つ並んでいました。手前側は冷水槽なのですが、利用時はなぜか半分ほどしか溜まっておらず、水の鮮度が疑わしかったので利用しておりません。その奥に隣接する岩で囲まれた四角い浴槽は「高温池」と表示されており、その文字が示すようにこの槽が最も高温で、私の体感で41℃ほどの湯加減でした。温泉宿の高温槽ですから、沸かし湯ではなく天然温泉のお湯なのでしょう。お湯は底面から供給され、浴槽上部(縁の上)から溢れ出ていたのですが、実際に入浴したところ、いくらかお湯は鈍り気味であり、僅かながら赤茶色系に懸濁していたように見えました(夜間ですから色合いに関しては誤認があるかもしれませんが、澄んでいなかったのは確かです)。底面供給ですのでお湯をテイスティングできなかったのですが、匂いに関しては客室のお風呂と同じくセルロイドを想像させるようなアブラ臭らしきものが微かに漂っていたので、こちらにも同じお湯が引かれているものと思われます。アブラ臭は温泉由来なのか、はたまた貯湯や配湯の過程で何かしらが混入しているのか、そのあたりはよくわかりません。少なくともお湯に関しては、利用の都度張り替える客室のお風呂の方がはるかに良好でした。


 
滑り台付きプールの右隣には屋根付きの円形槽が4つ花びらのように配置されていました。「薬浴池」と称するんだそうでして、その名の通り、円形の浴槽には薫衣草(ラベンダー)・生薑(ショウガ)などのエキスを溶かしたオレンジ色のお湯が張られ、いかにも漢方薬らしい匂いがプンプン漂っていました。でも臭いが強烈だったので、遠巻きに見学するだけでノータッチ。



 
フロントから見て各プールを挟んだ向かい側に、まるで長屋のように個室風呂の扉がズラリと並んでいました。ざっと見た感じでは、少なくとも20室以上あるはず。浴槽の形状にはいくつかのパターンに分けられるのですが、各個室の基本的な構造は共通しており、1~2人サイズの浴槽が据え付けられていました。私が泊まった客室のお風呂と同じく、使う度にお湯を張り替えるタイプですから、お湯の鮮度感で考えるならば、玉温泉は屋外のプールではなく、こうした個室風呂を利用するのが良いのかもしれません。

以前泊まった「安通温泉飯店」の内湯ははっきりとしたタマゴ感を伴う強いツルスベ浴感を楽しめたので、それに近いお湯を期待したのですが、こちらで使われている源泉は同じ安通でもかなり毛色が異なっており、印象に残るような浴感が得られなかったのは残念です。同じ温泉地でも源泉が異なればお湯の質も違ってくるという温泉マニアの常識を、否応なく再確認した晩となりました。


氯化物硫酸塩泉 49.2~50.8℃ 蒸発残留物1540mg/kg  
Cl-:639mg, CO3--(※):400~439mg,
(※)正しくはHCO3-かと思われます。

個室風呂7:00~24:00、屋外プール7:30~23:00
入浴のみ200元

花蓮県富里郷呉江村安通58-8号  地図
ホームページ

私の好み:★+0.5
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おなじみ池上の駅弁、そして玉里麺

2015年09月20日 | 台湾
※今回の記事に温泉は登場しません。あしからず。

●池上駅弁

台20線「南横公路」を東進して山を下り、再び花東縱谷の平野へ戻ってきました。池上や関山など、卑南渓の沖積平野は台湾随一のハイクオリティなお米を生産する穀倉地帯。川の両岸に麗しい水田が広がっており、車を降りて田んぼを眺めていたら、稲の青い香りが風の足跡に揺られてこちらへ流れてきました。


 

せっかく池上まで来ているのですから、駅弁で有名な池上駅へ立ち寄ることにしました。駅前に置かれたマスコットは、右手に弁当を掲げ、首から立ち売りの箱をぶら下げていますね。


 
駅構内は台鉄の他の田舎駅とほぼ同様の造りで、のんびりとした雰囲気です。窓口の上に掲示されている観光地図には、自転車に乗った米粒くんが満面の笑みを浮かべていました。


 
台東線って昨年(2014年)に電化されていたんですね。工事をしていたことは知っていましたが、ここ1~2年の台湾旅行ではレンタカーを活用するようになり、2012年を最後にしばらく台東線に乗っていなかったので、花蓮以南は非電化という固定概念ができあがっていた私にとって、池上駅にEMU500型電車の区間車が停車している光景は、俄に信じがたいものがありました。まだ南廻線は非電化ですから、そちらへ直通する自強号はディーゼル車ですが、いずれは南廻線も電化され、台湾一周が電化されるんでしょう。


 
池上駅へ立ち寄ったからには、名物の池上弁当を食べないわけにはいきません。駅前を中心に池上の街にはお弁当屋さんがたくさん営業していますが、駅のホームで立ち売りしているのは駅前の「全美行」だけ(地図)。鉄っちゃんの端くれの一人として、ここは敢えて正統派である「全美行」のお弁当をいただくことにしました。池上の駅弁は今まで何度も食べていますが、お店に入るのは今回が初めてです。


 
お店で購入したお弁当をその場で食べられるよう、店内には食事ができるスペースが設けられているほか、池上米の販売コーナーもありました。値段をメモするのを忘れてしまったのですが、画像に写っている1.5kgの小さなパッケージですら220元(約800円)という高価ですから、大きな袋はいくらすることやら。日本よりお米がはるかに安い台湾でも、ブランド米は話が別のようです。


 
このノスタルジックなパッケージは何度見ても魅力的です。このお店では、まずレジで代金(70元)を支払い、引き換えにもらうチケットを店奥の専用カウンターへ持ってゆくことにより、できたてホカホカのお弁当を入手することができます。店内購入者だけの特典というべきか、店内にはセルフで紙カップによそうスープが用意されていましたのでこれも入手し、旅情を高めるために敢えて店内では食べず、わざわざ駅の待合室まで移動してから、ベンチに座って包みを開けました。
台湾の駅弁はどこでも大同小異で、白米の上にスペアリブか叉焼、煮玉子、少々の青菜、漬物などが並べられており、池上の駅弁もほぼ同様なのですが、他の駅より具が若干多く、そしてどの駅の弁当よりもお米が美味い。あっという間に平らげちゃいました。


●池上飯包文化故事館
 
食後にコーヒーが飲みたくなったので、駅前通りを真っ直ぐに進んだ先の角にあるファミマに入ったところ、その目の前に鉄道車両が置かれている博物館らしき建物を発見。ファミマから出て看板をよく見てみたら「池上飯包文化故事館」と書かれているではありませんか。これって私が十年ほど前にガイドブックで存在を知り、一度入ってみたかったものの訪問機会を逃していた、池上駅弁の博物館ではないか。まだこの晩の宿を決めておらず、もう日が暮れかかっていたので、本当は先を急ぎたかったのですが、せっかくですのでここにも立ち寄ってみることにしました(地図)。


 
駅を模した園内には青い車体の客車が1両保存展示されており、車内に入ることができました。1982年に改軌が完成するまで、台東線は台鉄の他路線より線路幅が狭いナローゲージで運行されていたわけですが(台鉄の線路幅は日本のJR在来線と同じ1067mmですが、ナローゲージは762mmです)、その狭軌を走っていた車両ですから車内も狭く、クロスシートは車両の片側にしか設置されていなかったんですね。この狭苦しい車両で長時間移動するのは、かなりの苦行だったんだろうなぁ…。ナローゲージだった台東線はいまや電化され、韋駄天の「プユマ号」まで走るようになったんですから、感慨深いものです。


 
屋外のテラスにも列車のシートが配置されており、「増産報国」なんてスローガンが飾られて、レトロな雰囲気です。ナローゲージの車両が現役だった頃の情景を再現しようとしているのかな。


 
 
博物館は入場無料。展示車両を嬉々として見学していた私の脇を、数組の家族連れが続いて入館していたので、それにつられて私も入場することにしました。
1階の半分は池上名物のお弁当をいただくお食事処となっており、ちょうど夕食時だったため、たくさんのお客さんで大賑わいでした。家族揃ってのディナーなのに折り詰めのお弁当をつつき合うとは、私の個人的な感覚では侘びしく思えたのですが、この場所を訪れてレトロな雰囲気に包まれながら、例え小さくささやかであっても当地の名物をいただく、という一連の行為自体に観光としての意義があるのですから、よそ者の私が疑義を挟むなんて無粋だと反省しつつ、かく言う自分だってさっきお弁当を食べたばかりであり、既にお腹は満たされていて、更にもうひとつ弁当を食べられる余裕は無かったので、ここでは見学するだけに留めました。フロアの残り半分は物販コーナーで、名産のお米の他、駄菓子類もたくさん並べられていました。館内はレトロ調の装飾で統一されており、昔日の台湾を思い起こさせる広告看板やイラストで彩られていたのですが、なぜか「京都特産」や「サッポロビール」など日本語表記も見られ、しかも戦前の日本統治時代ではなく、戦後の高度経済成長期の日本をイメージするようなものが目立っていました。平成に入ってからの日本の商業施設でもよく見られる、新横浜のラーメン博物館みたいな虚像のレトロがコンセプトなのかもしれません。


 
 
観光客で大盛況の1階とは打って変わって、2階の大部分を占める展示コーナーは誰一人おらず、「もう閉館時間を過ぎているのか」と足を踏み入れることを躊躇してしまうほど、ガランと静まり返っていました。皆さん食べることに関心があっても、その歴史的変遷にはあまり興味がないのかな。
展示コーナーで解説されているテーマは、池上駅弁の歴史、そして米作りの変遷の2つ。まずは池上駅弁の歴史から見てゆくことに。
昭和10年に駅ホームで売られていた2つ入りのサツマイモパイが池上駅弁の前身。その後、竹の皮に包まれたおにぎりとおかずのパッケージが売られるようになり、1960年代頃から今のような折り詰めへと変化し、中身の具も数度のリニューアルを経て現在に至っているようです。


 
 
池上駅弁を有名たらしめているのは、当地名産のお米の美味しさであります。このため展示スペースの半分以上はお米のために割かれており、当地でこれまで栽培されてきたお米の種類や歴史に関する解説の他、脱穀機など農機具が展示されていました。
その解説によりますと、かつて池上では原住民や中華系の住民が狩猟・漁業・農耕で生業を立てており、稲作に関しては台湾在来種のインディカ米が栽培されていたのですが、日本の統治がはじまって山形県からジャポニカ米が持ち込まれると、当地の自然環境や品種改良などによって高品質のお米が生産されるようになり、池上産のお米は昭和天皇へ献上されるほどになったとか。戦前に日本の磯永吉が中心となって品種改良された台湾のお米は「蓬莱米」と称され、台湾の水田耕作に一大変革をもたらしたわけですが、戦後は更に品種改良が進み、現在では「蓬莱米」と異なる別品種のうるち米が生産されているんだそうです。

日本統治時代とも密接に関わる興味深い展示内容でしたので、一つ一つをじっくり見学したかったのですが、私はこの日のうちに花蓮に近い場所へできるだけ北上しておきたかったので、残念ですが見学を足早に済ませて、後ろ髪を引かれる想いで池上を出発することにしました。


●玉里麺
 
池上を発つとすっかり日が暮れてしまい、あてもなく真っ暗な台9線を北上してゆくうち、玉里の街にさしかかったので、池上に続いてこの街にも立ち寄ることにしました。と言うのも、さきほど池上で駅弁を食べましたが、それだけではちょっと物足りなかったので、適当な腹の足しが欲しかったのです。行き当たりばったりですから、事前に美味しい店に関して何らの情報も得ていません。


 
街の中心部に行けば何かしらあるだろうという漠然とした発想を抱きながら、光復路と中山路がクロスするロータリー付近をウロウロしていたところ、客がそこそこ入っている黄色い看板の食堂を見つけたので、地元の人が食っているなら悪くはないだろうと判断し、この店へ入ってみることにしました。
ここで注文したのは2品。どうしても青物を摂取したかったので空芯菜炒めをひとつ。もうひとつは玉里麺なるものです。スープ無しとスープありの2種類があり、この時はスープありを注文。台湾の屋台でよく見かける切仔麺に似ており、食べ始めはやや細めのモチモチ麺の食感が良かったのですが、早々に麺が伸びはじめ、なんだかイマイチな感じに…。地元の地名を冠しているのだから、何かしら特徴のある料理かと思いきや、可もなく不可もなく、これと言った印象が残らかったのが残念です。この玉里麺が玉里の名物であることを私が知ったのは後日のことで、玉里の街なかには人気の有名店が数軒あり、有名店の玉里麺の画像をネットで見たら、私が食べたものと様子が異なっていたので、どうやら今回は選択を誤ったようです。やはり何事も事前のリサーチが大切ですね。


 
私が座ったテーブルの隣では、お店の小さな女の子がインコを手懐けており、女の子の手の先や頭の上などへ、指示通りにインコが飛んでは止まることを繰り返していたのですが、状況から察するに指示の半分ほどは伝わっていないらしく、言葉こそわかりませんが、まるで漫才のように女の子がツッコミを繰り返すコミカルなやりとりが面白く、味よりもこちらの方がはるかに強く記憶に残ったので、声をかけて写真を撮らせてもらいました。有名店ではこんな家庭的でハートフルな光景を目にできませんから、ある意味でこの店に入ってよかったのも。

玉里麺を食べ終えたのは夜8時。ここに至ってもまだ、この晩の宿を決めていません。
この日は週末。さて、どうしましょう…。

次回記事に続く
.
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする