パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

朗読に適した本探し

2016年09月03日 | ボランティア
9月3日(土)晴れ

北陸旅行だのRSPだの送別ランチだの浮かれて、ボランティア活動をサボっていた夏。
先日久々の会合に顔を出すと・・・
鬼会長がさらりと「nさん!次の朗読会、お願いするよ。先週お休みだったからそれをいいことに決めてしまったから!」
お隣のHさんが申し訳なさそうな小声で「欠席裁判ね」
え〜〜〜っっっ!
何度か、ご指名は受けつつも「金曜日は仕事なので・・・」
会長「仕事って夕方だろ?朗読会は1時から30分間だけだよ。さっと読んでさっと帰っていいから!」
n「え〜〜〜っ!なんか落ち着かないし・・・」と、子どもの様な言い訳をし続けていた。
が、とうとう逃げられないところまできてしまったってことね。

さて、何を読もうか(自分で読むものを選ばねばならない)
前回は、会長が「落語の本」から落語をやった。
その前は小川糸さんの、ちょっと感動系のやつ。
その前は海老名香葉子さんの、戦争関係の泣ける感じ。
その前は時代小説だったかなあ、でも導入部だけで、あとはCDにするから聞いてね、というパターン。
ワタクシの希望としては・・・おもしろいもの、ちょっと話題になったもの、読みやすいものにしたい。
で、キチンと終わりにしたい。
本屋さんをのぞいてみる。
最近、本を読んでない。さらには流行りの本を知らない。
ざ〜っと見渡しながら・・・
文藝春秋9月号に『コンビニ人間』全掲載とある。
これどう?話題になったよね。
ただ、時間的にどうだ?30分では読み終わらなそうだな。
となると、直木賞のほうの『海の見える理髪店』どうよ。
これって短編集でしょ?30分くらいでまとまりそうなものないかな。
昨日は久し振りに近所の小さい図書館に行き、なんとなく気になったもの三冊借りてきた。
群ようこ著『寄る年波には平泳ぎ』
佐野洋子著『私の息子はサルだった』
西加奈子著『まにまに』
結論から言うと、これらは雑誌に連載されてたエッセイなので一話だと短か過ぎるし、かといっておもしろいもの感動的なものばかりをチョイスしても少し伝わりにくいというかあざとさが出てしまう気がする。
とはいえ、まず『私の息子はサルだった』はあっという間に読み終えた。おもしろかった。
時々運が良ければ巡り合えるEテレ『ヨーコさんの言葉』
あの声の感じで淡々と読む。
男の子のアホさ真っ直ぐさかわいさなどを感じつつ、母の強さやおもしろさなどを感じつつ。
あ〜なんかに似てるこの感じ。
そうそう!西原理恵子著『毎日かあさん』だ。
そして、毎日かあさんではポン美さんというレトリバーに泣かされたが、この『私の息子は〜』では、犬の花子と息子に泣かされた。
強い母佐野洋子は、瀕死の飼い犬花子を病院に見舞った後、帰り道の車の中で「動物は動物らしく死ぬべきだ」と持論を展開する。
だから点滴なんてしてほしくないと。
中学生の息子は反論する。
「母さんは犬かよ、花子がもっと生きたいと思ってるかいないか、わかるのかよ。」
動物と人間を同じに考えては動物に失礼だ、ペットだからこそ、野生をそこなわないようにしてやるべきという母。
「じゃあなんで花子を飼ったんだ」と反論する息子。

    「動物っていうのは、もっと堂々と死ぬものだよ。点滴している犬なんか情けないよ。」
    「なんで死ぬって決めるんだよ。わかんないじゃないか。ひでえよ。」
    息子は握りこぶしでごしごし目を拭いた。中学生の男の子が泣く。
    もしかしたら、親の前で泣くなんて最後かもしれないな、と思って、
    じっくり見なきゃ損かな、と運転しながら横目でみた。

何度読み返してもここのシーンで泣けるので、絶対これは朗読できん!ボツっ!!!

そして・・この続き・・・
    しかし花子は死ななかった。
    次の日、頭を持ち上げ、立ち上がると、点滴の管を引きちぎったのだ。
    家へ連れ戻して庭へ放すと、ガブガブ水をバケツ半分くらい飲んだ。
    それから、ものすごく大きなあくびをして、尻尾をぷりぷり振った。
    息子はそれを見て、私の顔をにらみ殺すかと思うほどにらんだ。

いやぁ〜〜〜なんかすごい。この『にらみ殺す』ってのは、娘だけしか持たない母には想像もつかない。
いや、娘もにらみますよ、親の敵でも見るような目で、親を・・・
でも、にらみ殺されはしない。

そういう、自分とは違う視点からの子供というのがとても興味深い。
もう一カ所、同じその花子の話のところ。
    「ハナコ」ともう一度息子はささやいて、耳と耳の間をそっとなでた。
    私は一生の間、男にさえ、あんなに優しくなでられたことない、と思って見ていた。
    (中略)
    私は自分が死ぬ時、誰か一番愛している人に、手でも足でも握っていて欲しいと思っているのだ。

佐野洋子さんが亡くなる時、息子さんは手を握ってくれていたかなあ。
髪の毛をやさしくなでてあげてたかなあ。
ワタクシも、死ぬ時には娘に手を握っていて欲しいとは思うが、佐野さんとは少し違う感情のような気がする。
「毎日かあさん」を読んだときも感じたが、ワタクシはやっぱり娘で良かったなあと思う。
神様はよく見ている。
ワタクシは、ただただまわりの「息子を持つ母」の話をおもしろおかしく聞く側でよい。
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